瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート12

2005年01月16日 | 瞑想日記
◆泣きべその意味
メガネは、異様に大きくなってみたものの、それは無駄な抵抗だとメガネ自身が知っていて泣きべそをかいている。このイメージには、一人で思わず笑ってしまった。実は6日目の瞑想では、女子生徒のイメージが頻発する以外に別の気づきが進んでいた。すでに触れたが、5日目に若き日に友人に攻撃されて深く傷ついたことを思い出した。6日目には、それに関連した別の記憶や、それらに共通した自分の根深い劣等感に気づき、直視を避けていたコンプレックスの実態が見えはじめていたのだ。それを見まいとする抵抗のシンボルがメガネであった。メガネは、ヴィパッサナー瞑想という手ごわい相手を前に負けを感じて泣きべそをかいていたのだ。

もちろんこれは、メガネの意味の一面にすぎない。その意味合いに応じてイメージが変わったりする。4日目にセルロイドの気障メガネだったのは、私の虚栄や名利欲を反映してのことだろう。メガネは、広い意味ではおそらく自我による防衛と抵抗の象徴なのだ。しかし、何に対する抵抗かによってそのつどイメージや強度を変えるらしい。

◆男性性への対抗
7日目、やはり3時過ぎから座禅をしたが、思考やイメージが多く、あまりサティが入らなかった。4時の起床後から食事前までの座禅は、逆にクリアなサティが続いた。しかし、ダンマトーク後の歩行瞑想は再び思考が多かった。

昼食後、3階で歩行瞑想をした。ゆっくりとしたペースで足裏の感覚を追うのではなく、ラベリングをかんたんにして少し早めにリズムカルに歩いていた。脳の低いバイブレーションと静まりの中で、ある程度の集中を感じていた。隣では、T氏が歩行瞑想をしていた。彼のそばを通りすぎたとき、「背が高くがっちりしているな」と思った。その直後に、私はある研究誌に連載中の論文のことを考えていた。

喫茶室で補給をしながら、先ほどなぜ急に論文のことに思考が飛んだのだろうと思った。そして「あっ」と気づいた。私は、T氏の男性的な面に対抗していたのだ。自分が男性的でないことに劣等感を感じていて、それに対抗するために自分の得意な部分を意識したのである。性格は小心で気弱で女々しいが、私の男性的なところは別な面にある。全体的な視野から体系化する力や構想力、対象の理論的な矛盾を明らかにする理論性などである。無自覚のうちにそういう自分の男性的な面で「勝負」しようとしていたのである。
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