瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

食べることへの渇愛

2005年05月13日 | 瞑想日記
◆小食
自分の体にとってもっとも適した食事の量があるだろう。実はそれは、現代栄養学が教える量に比べるとはるかに少ないものらしい。本当に体に必要で、本当に体が要求する量以上に食べてしまうのは渇愛であり、無明に他ならない。体のバランスを崩してまで食べてしまう無明は、やはりどこかで心理的な問題が反映しているのだろう。その意味でも、小食は体質の改善ばかりではなく、生き方の変化にかかわっているのだ。

小食に徹するようになって4日になるが、今の胃腸の感覚と、それ以前の胃腸の感覚との違いがはっきりと分かる。今は、胃腸が休まって腹のあたりが心地よく安らいでいる感じがあるが、この感じから振り返ると以前がいかに胃腸に負担がかかっていたかがとてもよく分かる。この感覚を実感しているかぎりは、食べ過ぎてしまうことはないだろう。胃に負担をかける気にはとてもなれないのだ。しかし、食べ始めるとこの感覚は鈍っていく。そして食べ過ぎの悪循環に陥っていくのだ。

教育相談関係の研究会で、昼前から出張であった。会場に少し早めにつき、ほんの少しだけ空腹を感じたので、今日は日本そば屋で昼食をとった。明日は一日断食を試してみるつもりだ。

◆夢
職場の一室。新転任の人々を迎えての歓迎会のようだ。全体の歓迎会が行われたあと、組合員だけによる歓迎会行われるようだった。組合員ではないのに、なぜか私はそこに残っていた。やがて組合員による歓迎会がはじまろうとしている。私は急に、この場にいるのはふさわしくないと感じ、廊下にでる。

廊下にでて間もなく近くにいた新任らしい若い女性が突如、窓から飛び降りてしまう。私は、びっくりして「救急車だ」と叫ぶ。下をのぞき見ると女性がうつぶせに倒れている。もういちど「救急車を早く」と叫ぶ。すると、近くにいた中年の女性が、「まだあわてる必要はない、同じようなことを繰り返しているのだから」という。私はわけが分からなかったが、ふと窓の外を見ると、窓のすぐ下、左側に屋根のような突き出した部分があり、そこにもう一人女性が倒れている。これなら窓から飛び降りても大丈夫なはずだ。下に倒れていた女性と同一人物なのかとも思う。

そんなところで夢は終わった。この夢については何もわからない。ただ、もしかしたら私の中の何かの死と再生にかかわる夢かなとも思った。とりあえずここに記して心にとどめておきたい。
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