瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

静けさの次元で聴く(2)

2009年05月10日 | 瞑想日記
◆続けてエックハルト・トールの新著『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-』より

「エセルの口から奔流のように言葉があふれる。『今日また、あいつらからひどい手紙が来たんですよ。私に復讐しようとしているんだわ。お願い、あなたも力になってください。私たち、一緒に闘わなくちゃ。向こうの性悪な弁護士は何が何でもやり通す気です。私、住むところがなくなってしまう。あいつらは権利を剥奪すると脅してきたのよ』。

どうやらエセルは、住宅の管理者が彼女の要求した修理に応じなかたという理由で、管理料の支払いを拒否したらしい。そこで管理者側は裁判に訴えると脅してきたのだ。

エセルは十分ほどまくしたてた。私は彼女を見つめながら聞いていた。とつぜん彼女は口を閉じ、いま夢から醒めたという表情で広げた書類を見回した。態度は落ち着いて穏やかになり、エネルギー場はすっかり変化した。それから彼女は私を見て言った。『こんなに大騒ぎするほどのことじゃありませんわね、そうでしょう?』。『そうですね』。私は答えた。それから何分か彼女は黙って座っていたが、やがて書類を拾い集めて立ち去った。」

昨日挙げたロジャース派カウンセリング(クライエント中心療法)でいう三つ条件が「自己一致」「無条件の肯定的配慮」「共感的理解」のうち、「無条件の肯定的配慮」というのが、エックハルト・トールのいう「貴い客人」として相手に接する態度にあたることは、誰にも納得してもらえるだろう。それは「それぞれの人が、あるがままのその人であることを認め許す」ことでもあった。

自分の利害に基づいた判断や思考、概念に当てはめて相手を見るのではなく、そうした概念的思考から一切自由になところでその人に接する。それは、とても難しいことのように見えるが、「瞑想」中に起こっていることを手がかりにすれば、「あ、あれか、あれでいいんだ」と思い当たるところが多分にある。瞑想中私たちは、思考をあれこれめぐらすことから自由に、起っていることをそのままに受け入れる訓練をする。まさにそれだ。
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