6月3日、旅の荷の片付けもまだ終えていないというのに、終了が迫っていると勘違いして
都立美術館で開かれている「大英博物館展」を見に出かけました。
不忍池近くの韓国カフェで昼食をとり、不忍池を見ながら行こうと池に近づくと
手を目の前に掲げて見つめるという行為を続ける不思議な(?)男性がいるので
しばらく様子を見てしまいました。手の先には花弁がつままれてい、そこを目がけて何と!
雀が寄って行くではありませんか!最多で3・4羽。あわててカメラを取り出した後は一羽ずつ
でしたが、何羽も交代するようにして引き寄せられていました。
花弁の上にパンくずでも乗っているのでしょうか?外国では人に近づいてくる雀が不思議で
見つけて眺めていたことはありますが、日本では初めてでした。小さな花弁なのに不思議です。
池を通って、ついでに前回見落とした上野の大仏様も見て~~なんてことをしているうちに
美術館へは3時を過ぎての到着となってしまいました。
「大英博物館展ー100のモノが語る世界の歴史」
人は物なしに生きることはできない。初期人類による最初の石器の誕生以来、人間はさまざまな
理由で物に依存してきた。問題を解決するため、あるいは地位を誇示するためにも、物は役立て
られ、神々に近づく手立てにもなった。物は私たちを挑発し、惹きつけ、喜ばせ楽しませる。
物は「物語」を語るのだ。多くの社会は後世に文字を残さなかったが、そのかわり人々の作った物が
彼らの体験を雄弁に語る。
展覧会の主旨にひきよせられる様に展示されているモノに食い入るようになって見てきました。
一つ一つのモノを単なる物としてではなく、それが私に訴えかけてくる声を聞こうとじっくり
解説を読み、展示物を見、どういう風に作られているか考え、単純な美しさや精巧な華麗さに
目を見はり~~
丁寧に見ていったら、閉館前30分のアナウンスが聞こえてきた時、まだ3分の一程しか見ていない
ことに気づき、残りは大慌てで一応見るには見たという感じになってしまいました。
印象に残ったモノは「オルドヴァイ渓谷の握り斧」‘左右対称に作ったところで、道具としての
性能が増すわけでもない’のにこだわったところに美へのこだわりが生まれたとみるのだとか。
「縄文土器(深鉢)」縁が若干欠けたこの土器、裏を金貼りされて茶道の水差しとして使われて
いたのが、シーボルトの息子を通じて博物館へ。土の中から出てきた遺物を水差しにした、たぶん
茶人の発想にただ!
「古代エジプトの化粧パレット」(エジプト)言わずとも・・「ムガル王子の細密画」(インド)描かれた
内容に感心、納得。「自在置物(ヘビ)」(日本)武具が必要とされなくなった時代に代わりに
作られた物、TVの鑑定番組に登場したのを見たことがあります。
「銃器で作られた「母」像」(モザンビーク)銃の部品を材料に作られています。
後半大急ぎに見たのが残念なので、機会を見てもう一度と思っています。