俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

突然の雨

2007-11-23 16:17:49 | Weblog
 急に雨が降り出した時、社会の縮図を見ているようでイヤな気分になることがある。
 傘を持っている人はゆっくりと歩く。持っていない人は雨から逃れようとして走る、傘を持っていない人に妨げられながら。傘を持っている人はもう少し気を使っても良いように思うが、足元を濡らしたくないからゆっくりと歩く。
 持つ人はのんびりと過ごし、持たない人はアクセク働かなければならないという社会ならば困ったものだ。

個性

2007-11-23 16:11:33 | Weblog
 近頃、知恵の欠如を個性と勘違いしている人が増えているようだ。
 数学を学ばずに数学的な問題を解くことはできない。それと同様に考えるためには「考え方」を学ばねばならない。考え方を学ばないまま何かを主張しても支離滅裂で独善的な屁理屈にしかならない。「2+3=6」と主張することは個性ではない。ただの無知だ。

モンスターペアレント(2)

2007-11-23 16:04:55 | Weblog
 モンスターペアレントの話を聞くたびに違和感を覚える。彼らが理不尽な要求をしているということだけではなく、学校側がそれに屈していることが不思議でならない。
 彼らの要求は旅客機のエコノミークラスでファーストクラスのサービスを要求しているようなものだ。近所の大衆食堂で3つ星レストラン並みのサービスを期待するようなものだ。無理なことは無理と言えば良い筈だ。
 本来、学校は市場原理に基づくべき場所ではない。教師の無償の奉仕に頼る面が少なくない。しかしその奉仕を強要されたら・・・報酬を求めれば良いのではないか。
 個人の報酬にすれば問題があるかも知れない。しかし学校への特別料金として納めてもらいその一部を各教師が手当てとして受け取るのなら良かろう。
 教育は商取引とは違うという理念は尊重すべきだが、相手が教育をサービス事業と考えて過剰なサービスを要求するならそれに見合う報酬を求めても問題は無かろう。