20世紀を代表するフランスの2人の哲学者が激突する本と期待して「革命か反抗か」を高校生の時に読んだが大いに裏切られた。つまらない本だった。サルトルのズル賢さしか印象に残っていない。
一般にはサルトルの勝ちとされているが、詭弁術でカミュを沈黙させただけだ。サルトルはカミュの主張の揚げ足を取ってカミュ個人の問題に矮小化して、カミュの反論が自己弁護にしかならないように論点を摩り替えている。
確かに論旨はサルトルのほうが一貫しているし分かり易い。共産主義実現のためには暴力革命が必要でありそのための殺人は肯定されるとするサルトルに対してカミュの主張は根拠が乏しい。
西洋哲学には伝統的に「最高善」という考え方がある。最高善または「理想」を達成するためには次善や三善を見捨てねばならないという考えだ。先ほどは、共産主義を理想としたため余り賛同頂けなかったと思うが、ナチス打倒のためなら殺人を是とする人も多かろう。
4月21日付けの記事「あれもこれも」に書いたとおり私は最高善も次善も三善も生かそうとするスタンスを採っている。論旨は一貫しにくいし説明も難しいが今更変える気は無い。分かり易いとか説明し易いとかいうことは必ずしも「真実に近い」ということとは思えない。割り切ったほうが良いと思ってもいつまでも割り切れないものにこだわりたい。一神教の西洋人と無神教(≒多神教)の日本人の違いが出ているのだろうか。
一般にはサルトルの勝ちとされているが、詭弁術でカミュを沈黙させただけだ。サルトルはカミュの主張の揚げ足を取ってカミュ個人の問題に矮小化して、カミュの反論が自己弁護にしかならないように論点を摩り替えている。
確かに論旨はサルトルのほうが一貫しているし分かり易い。共産主義実現のためには暴力革命が必要でありそのための殺人は肯定されるとするサルトルに対してカミュの主張は根拠が乏しい。
西洋哲学には伝統的に「最高善」という考え方がある。最高善または「理想」を達成するためには次善や三善を見捨てねばならないという考えだ。先ほどは、共産主義を理想としたため余り賛同頂けなかったと思うが、ナチス打倒のためなら殺人を是とする人も多かろう。
4月21日付けの記事「あれもこれも」に書いたとおり私は最高善も次善も三善も生かそうとするスタンスを採っている。論旨は一貫しにくいし説明も難しいが今更変える気は無い。分かり易いとか説明し易いとかいうことは必ずしも「真実に近い」ということとは思えない。割り切ったほうが良いと思ってもいつまでも割り切れないものにこだわりたい。一神教の西洋人と無神教(≒多神教)の日本人の違いが出ているのだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます