俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

図書館

2015-11-03 10:29:19 | Weblog
 アメリカのPLAYBOY誌が来年の3月からヌードグラビアをやめると発表した。たとえ質の高いグラビアであっても、ネット上に無数に氾濫するヌード写真に勝てなかったということだろう。ソロのアイドル歌手がAKB48に負けるのと同じような話だが、有料と無料の対立という構図でもある。
 昔の図書館の蔵書は大半が古い本で古本屋と同じような匂いがしたものだが、最近は新しい本が充実しているらしい。人気作品を複数揃える「複本」というやり方も普通に行われているようだ。この現状に対して出版社や作家が、新刊書を1年間貸し出ししないよう求めているそうだ。
 そもそも図書館はなぜ本を無料で貸し出せるのだろうか。それは税収によって運営されているからだ。書店も含めた住民からの税収があるからこそ無料で貸し出せる。こんな事業は民間では行えない。
 もしロードショーで公開中の映画を自治体が無料で公開すれば、映画館は急遽公開を打ち切るだろう。新刊書の貸し出しはこれと同じことではないだろうか。もし自治体が住民サービスとして大量の無料送迎車を提供すれば、民間のバスもタクシーも撤退するだろう。商売にならない。これらは官による民業の圧迫だろう。
 公営図書館は税収があるから安易に「住民サービス」という言葉を使うが、このことによって著者・出版社・書店の収入は確実に減る。お役所は書類1枚の発行でさえ有料なのになぜ本の貸し出しが無料なのだろうか。これは最早嫌がらせかいじめのようなものだ。大体CDやDVDでさえ認められている著作権がなぜ図書館の「著作」には適用されないのか納得できない。図書館か利用者が著作権料を負担すべきだろう。
 私は図書館の存在を否定しようとは思わない。棲み分けが必要と考える。現在書店で販売している本を無料で貸し出すことは営業の妨害であり、図書館は今書店では扱っていない本を中心にして貸し出すべきだろう。
 書籍は毎年約8万点が新刊され約8億冊売れているらしい。どんな巨大な書店でも新刊書の総てを揃え切れないし、旧刊書ならロングセラー以外は扱い切れない。書店は新刊書を中心に品揃えをし、図書館は旧刊書を中心とすべきだろう。
 私自身は、本は買うべきものと考えている。新刊書であれば書店で、旧刊書の大半はネットで購入している。読んだ後で手元に残すのは半分以下で、残りは古本屋に売る。売値は1割以下にしかならないから購入費の半分以上が無駄になるがそれで構わないと考えている。購入者がいるからこそ出版文化は成り立っているからだ。本が売れなければ新刊書など出版できなくなる。言い方が悪いかも知れないが、借りて済ませることはタダ乗り(フリーライダー)ではないだろうか。著者や出版社の労に全く報いていない。共有できるという意味で図書館という仕組みは素晴らしいが、それが出版文化を破壊するものであってはならない。

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