俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

馴養

2009-09-15 15:43:15 | Weblog
 「人間は教育によって人間になることができる」とカントが「教育学講義」に書いていることを、恥ずかしながら最近初めて知った。教育学では常識となっているカントの言葉を知らずに自分のオリジナルだと思っていた。お恥ずかしい次第だ。改めて勉強不足を痛感した。
 負け惜しみで書く訳ではないが、教育には2面性がある。「育成」と「馴養」だ。
 前者は本来の意味の「教育」であり説明は必要無い。問題は後者だ。
 権力者は市民(citizen)を家畜にしようとする。権力者にとって扱い易い従順な大衆にしようとする。権力者が意図的に流す情報を無批判に鵜呑みさせようとする。社会のため、あるいは会社のために役に立つ「社畜」に改造しようとする。馴養のカリキュラムは人間を家畜化するためのものだ。
 このような市民の社畜化が「教育」の名の元で行われている。アメリカの多くの州では進化論は教えられていないし、北朝鮮や中国の教科書に至っては嘘で塗り固められている。
 「教育」の名の元で行われる「馴養」こそ「育成」の最大の敵だ。それが育成か馴養かは、残念ながら自分で判断するしかない。教育によって育まれた「誠実性」と論理力が馴養という人間を劣化させるシステムを拒んでくれることを期待する。

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