俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

宝くじとネズミ講

2010-01-26 15:57:55 | Weblog
 なぜネズミ講は違法で宝くじは合法なのだろうか。私にはどちらも同じくらい、いや宝くじのほうが一層悪いようにさえ思える。
 宝くじは法律に基づくから合法だ。しかしこの法律の根拠は倫理ではなく「利権」に基づく。国や自治体以外が宝くじまがいのものを売れば違法になるのはそれが「悪いこと」だからではなく、国や自治体の利権を侵害しているからに過ぎない。宝くじは胴元が必ず儲かる仕組みになっているからその利権を権力者が独占しているだけのことだ。
 宝くじの儲けの構造は本当にエゲツない。配当率は僅か50%しか無い。これほど低配当のギャンブルは他には無い。宝くじとは正に「多空くじ」だ。普通なら誰も買わないから大量のCMで購入を煽っている。ルーレットの配当率が36/37(0~36で賭けるから)であることと比べればその不当性は明らかだ。
 宝くじは何ら付加価値を生まない。集めた金を再配分するだけだ。つまり庶民の金を搾取するシステムでしかない。国営でカジノでもやったほうが、ホテルやレストランなどの付帯事業の活性化も期待できる分だけまだマシだ。
 実は日本という国ではネズミ講にも手を出している。それは「国民年金」と呼ばれている。
 企業年金の場合は本人が積み立てた資金を運営するのだから、日本航空のように無茶な運用益を約束しない限り破綻することは無い。しかし国民年金は本人の積み立てではなく、現役世代の負担によって成り立っている。従って現役世代の収入が減れば年金額も減りかねない。それを防ぐためには現役世代の収入が永遠に拡大し続けなければならない。これはネズミ講と同じ仕組みだ。
 国は国民には宝くじやネズミ講を禁じて、自らはそれを使って膨大な利益を得ている。最も儲かるギャンブルを排他的に独占しておいて、それでも赤字国債に頼らねばならないのは、年金機構のようなどうしようもないほどの放漫経営をやっているからだろう。

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