俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

自由のパラドクス

2010-01-22 16:05:55 | Weblog
 自由が認められた社会では「他人の自由を侵害する自由」も認められるのだろうか。言葉の上ではそんな自由もありそうに思えるが「自由を侵害する」とは他人の自由を否定すること、つまり他人の自由を認めないことであり、これは最初の前提である「自由が認められた社会」に背くことになるから、こんな「自由」が認められることは論理的にあり得ない。自由の肥大は必ず他人の自由を侵害することに繋がるから、それを防ぐためには「ほどほど」であることが必要となる。
 同様に、権利が認められる社会では「他人の権利を侵害する権利」は認められない。
 傍若無人な人は自分の自由と権利を主張する。多少自分の自由と権利を多目に要求しても寛大な日本人の多くは大目に見てくれるが、他人の自由と権利を侵害するレベルにまで達したら相手からの報復は避けられない。
 甘やかされて付け上がった者は一度痛い目に会う必要があるのかも知れない。日本人はこれまで我侭な人に対して寛大であり過ぎた。これが各種のモンスターを生んだ原因だろう。彼らは決して恐るべきモンスターではない。ただの愚か者だ。

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