俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

2016-04-24 10:28:07 | Weblog
 主に芸術において、日本では知的所有権が認められている。しかし知は所有すべきものだろうか。知とは共有すべき人類共通の財産ではないだろか。
 無知は不幸を招く。くだらない迷信は人生をつまらなくさせる。正しい知識を持つことによって人は自由になれる。オウム真理教の信者は間違った信仰を持ったばかりに自分も他人も不幸にしてしまった。
 学校は良い典型だ。共通知を共有することによって人々が幸福になれるのだから、知は囲い込まれるべきものではなく開放されるべきものだ。
 昔から「知は力なり」と言われる。しかし知は競われるべきものではあるまい。自らを律するためにこそ使われるべきだ。知を自慢する人には知性が欠けている。
 似た作品を見付ける度に「盗作だ!パクりだ!」と騒ぎ立てる人がいる。真実は1つなどと言うつもりは全く無いが、優れた思想や優れた作品が似るのは当然だろう。誰が計算をしても2+3=5であり、地球は太陽の周りを回っている。こんな知恵を個人が独占しても無意味であって広く共有すべき人類の知的財産と位置付けられて然るべきだ。
 固有知は所詮、個人的かつ個別的なものに過ぎない。より重要なのは普遍知だ。科学の発見のように、優れた知が広く公開されてこそ知の価値が高まる。
 私が「避難船」という記事を書いたのは20日のことだった。昨日(23日)、自衛隊は民間のフェリーをチャーターして避難民に開放した。この行動と私の提言との間に何らかの因果関係があったかどうか私は知らないが、多分、無関係だろう。それはどうでも良いことだ。ある理想を掲げてそれに近いことが実現されたならそのことで充分に満足できる。知恵は共有されるべきものであって手柄を競うためのものではない。良い意見であれば見知らぬ誰かがそれを実現してくれるかも知れない。

コメントを投稿