「西洋は罪の文化だが、日本は恥の文化だ」とルース・ベネディクトは指摘したが、絶対者を持たない日本人は「世間」を価値の基準としている。周囲の評価こそ行動規範であり「後ろ指を指されない」ために行動を慎む。
こんな日本ではルールによる規制は余り重要ではなかった。ルールよりずっと厳しいマナーがあり、各人がそれを守れば心優しく快適な社会生活が約束されていた。
しかし日本人のマナーを支えた共有価値が幻想となることによってマナーによる秩序は期待できなくなった。
子供なら、弱い者をいじめたり成績の自慢をしたりすることなどは周囲の顰蹙を買った。悪いことだからではなく、軽蔑される行為だからそんなことを殆どの子供が忌み嫌った。
大人なら、金持ちであることを自慢したり公共の場で騒ぐことなどは軽蔑を招くので自粛された。
しかし世間の合意が無くなるとこういう行動基準は成り立たなくなる。各人が好き勝手に振舞うことになる。「何が悪い」という開き直りに対して反論することは困難だ。共有価値の崩壊は行儀の悪い者の横暴を招く。電車やエレベーターの中で騒いでも法律違反ではないのだから誰も規制できない。
「恥」の意識がバラバラになってしまった現代の日本人にマナーによる秩序を期待すべきではない。シンガポールのようなルールによる秩序を目指さざるを得ない。価値観を共有してそれに背くことを恥ずかしいと感じることが無くなった現代の日本人にマナーによる秩序の復活を期待することは「無いものねだり」でしかない。
「品格」という言葉を振りかざして自己満足に浸っていても問題は解決されない。
こんな日本ではルールによる規制は余り重要ではなかった。ルールよりずっと厳しいマナーがあり、各人がそれを守れば心優しく快適な社会生活が約束されていた。
しかし日本人のマナーを支えた共有価値が幻想となることによってマナーによる秩序は期待できなくなった。
子供なら、弱い者をいじめたり成績の自慢をしたりすることなどは周囲の顰蹙を買った。悪いことだからではなく、軽蔑される行為だからそんなことを殆どの子供が忌み嫌った。
大人なら、金持ちであることを自慢したり公共の場で騒ぐことなどは軽蔑を招くので自粛された。
しかし世間の合意が無くなるとこういう行動基準は成り立たなくなる。各人が好き勝手に振舞うことになる。「何が悪い」という開き直りに対して反論することは困難だ。共有価値の崩壊は行儀の悪い者の横暴を招く。電車やエレベーターの中で騒いでも法律違反ではないのだから誰も規制できない。
「恥」の意識がバラバラになってしまった現代の日本人にマナーによる秩序を期待すべきではない。シンガポールのようなルールによる秩序を目指さざるを得ない。価値観を共有してそれに背くことを恥ずかしいと感じることが無くなった現代の日本人にマナーによる秩序の復活を期待することは「無いものねだり」でしかない。
「品格」という言葉を振りかざして自己満足に浸っていても問題は解決されない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます