カッコウやホトトギスなどの托卵は不思議だ。なぜこんなことが可能なのか分からない。母鳥は托卵先に産み付ける時、巣にあった卵を1・2個捨てる。その後、他の卵より一足早く孵化したカッコウの雛は巣にあった卵を背中に乗せて総て外へ捨てる。この雛の背中には卵を乗せるのに最適の形状の窪みがある。こうしてカッコウの雛は里親の運ぶ餌を独り占めして育つ。
私が最も不思議に思うのはこの一連の行動が本能によって準備されていることだ。母鳥が托卵先として自分が産む卵とよく似た卵のある巣を選ぶこと、巣にあった卵を1・2個捨てること、生まれたばかりの雛が他の卵を放り出すこと、これらは総て本能に基づいている。なぜなら托卵された彼らには親から学習するチャンスが全く無いからだ。但し托卵先の選択は経験に基づく可能性が高い。育ての親と同種に托卵することが本能として備わっているのかも知れない。
逆に托卵される側のウグイスは本能が弱いらしく学習しなければ正しく鳴くことさえできない。鯨や海豚は親から教わらないと呼吸することさえできず溺れ死ぬそうだ。
最も本能が壊れた動物である人類でさえ本能を持ち合わせている。1つは隣人愛へとも繋がる群居本能だ。群居本能があるから仲間と仲良くしようとする。群居本能を持たない動物にとっては配偶相手と血縁者以外は総て敵だ。
喜怒哀楽という感情も本能的に備わっているようで、乳幼児のうちから喜怒哀楽の感情が現れる。
人類のメスは性欲を本能としては失っているようだ。だからこそロマンチックな物語によって色付けしようとするのだろう。その一方でオスの性欲は極めて奇妙な性質が本能として備わっている。視覚によって発情するということだ。人類のオスは写真や映像によっても発情する。これは実に奇妙なことだ。実体が無くても発情する動物は人類のオスだけではないだろうか。これは発情したメスの赤く腫れた尻を見て発情する霊長類のオスの本能がかなり歪んだ形で継承されたからだろう。
私が最も不思議に思うのはこの一連の行動が本能によって準備されていることだ。母鳥が托卵先として自分が産む卵とよく似た卵のある巣を選ぶこと、巣にあった卵を1・2個捨てること、生まれたばかりの雛が他の卵を放り出すこと、これらは総て本能に基づいている。なぜなら托卵された彼らには親から学習するチャンスが全く無いからだ。但し托卵先の選択は経験に基づく可能性が高い。育ての親と同種に托卵することが本能として備わっているのかも知れない。
逆に托卵される側のウグイスは本能が弱いらしく学習しなければ正しく鳴くことさえできない。鯨や海豚は親から教わらないと呼吸することさえできず溺れ死ぬそうだ。
最も本能が壊れた動物である人類でさえ本能を持ち合わせている。1つは隣人愛へとも繋がる群居本能だ。群居本能があるから仲間と仲良くしようとする。群居本能を持たない動物にとっては配偶相手と血縁者以外は総て敵だ。
喜怒哀楽という感情も本能的に備わっているようで、乳幼児のうちから喜怒哀楽の感情が現れる。
人類のメスは性欲を本能としては失っているようだ。だからこそロマンチックな物語によって色付けしようとするのだろう。その一方でオスの性欲は極めて奇妙な性質が本能として備わっている。視覚によって発情するということだ。人類のオスは写真や映像によっても発情する。これは実に奇妙なことだ。実体が無くても発情する動物は人類のオスだけではないだろうか。これは発情したメスの赤く腫れた尻を見て発情する霊長類のオスの本能がかなり歪んだ形で継承されたからだろう。
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