ひとこくん(永久輝せあ)の初東上公演「冬霞の巴里」を観て来ました。
オクターヴとアンブル姉弟の復讐劇、の情報だけで観に行ったので、まだ頭の中が整理できてないです
最初に浮かんだ感想は「そう言えばこれ、元はギリシャ悲劇って言ってたわ」でした。
2000年以上昔の人がこういうお話の設定を考え付くっていうのが、凄いというか怖いというか人間の変わらなさというか
とはいえオイディプス王ほどのエグい設定ではないんですけど
後味スッキリ、というわけにはいかないドロドロさでした
このお芝居の主題は、「人にはいくつもの顔がある」ってことでしょうか
良くも悪くも「え、こんな人だったの?」っていう一面を見せられることはザラにありますものね
世界観に合わせて舞台のセットは凄く凝っていましたし、お衣装もよく考えて作られていると思います。
下町の人たちのお衣装はレ・ミゼラブルっぽいというか、かなり汚されてました
お化粧もそれに合わせてか、かなり濃くて、ちょっと誰かわからないくらいで
上流階級の人たちはすごくお洒落で綺麗だったので、対比が強調されてました。
そういう意味では社会背景に「憂国のモリアーティ」と共通するものがあるんだろうなと思いました。
ネタバレ全開ですお気を付け下さいね
ちょっとわかりにくくなってるのは、主な登場人物の年齢設定に少し無理があるから、な気がします。
宝塚では子役も大人が演りますしね(凄く可愛くて上手でしたけど)
父親が殺された時、オクターヴは何歳で、アンブルは何歳だったんでしょう
アンブルは起きたことすべてを理解していたようですが、幼いオクターヴはどれだけ理解していたんでしょう。
女の子の方が精神年齢高いことが多いですが
もう一人の姉の死もオクターヴには隠されていたようですし。
それから19年後にパリに戻って来た時の年齢は?オクターヴ26歳くらいとするとアンブル30歳くらい?
姉に見えなくはないですが、ちょっと苦しいかな~
それにやっぱり一番わからないのが、そのアンブルなんですよね。
アンブル姉妹は母親の連れ子です。オクターヴとは母親も違うので血のつながりが無い。
そんな中、優しかった義理の父を殺されたからといって、実母を親の仇として憎み続けて殺そうとすることが出来るんでしょうか?
姉の死の原因が義父にあったことを知らなかったのかもしれませんが
実母と叔父が結託して義父を殺し、その後再婚したのが許せなかったんでしょうか?
汚らわしいと思ったかもしれませんね。若いほど潔癖なことが多いですから
二人は寄宿学校に行ってますが、男女別の学校ですよね、普通。
休暇の時も行きっきりで家に帰らなかったんでしょうか?親戚の家とか、友人の家とかに滞在したりして?
そうして二人で連絡を取り合って、殺意を育み続けるのは並大抵じゃないでしょう
子どもだけでそこまで出来るのかな、と思ってしまいます
それに人は簡単に死にますがそれでも人殺しはそう簡単に出来る事ではないと思うんです。
実の親でもありますし、殺すよりも怖くて近寄らないようにする人の方が多いんじゃないですかね。
それにオクターヴに憎悪と殺意を植え付けて洗脳した?のは、私にはアンブルのように見えたんですが
オクターヴがアンブルと血のつながりが無い、と知るのはパリに戻ってから。
ラストシーンでアンブルはオクターヴの姉でいたい、と言うんです。
それでいいの?という問いに、姉ならずっとそばにいられるから、と
いつ頃からかはわかりませんが、アンブルはオクターヴを愛していたようです。
でも男女関係になってもし壊れたら、別れて他人になってしまう、というのが耐えられないと思ったんでしょうか
それほどオクターヴを愛していたというべきか、執着しているというべきか
オクターヴも直接手を下した父の仇とはいえ人を殺しているので、その罪深さを抱えながら生きていかなければならない。
それで姉に寄り添って生きていく決意をしたんでしょうか。
義母や叔父がそうであったように
もう1回見たら、もう少し頭の中が整理されるかもしれません