ゴールのシンボルである砦の時計台からの景色
朝早く、オバチャンの作ってくれた朝食を食べる。
スペインオムレツと蒸した温野菜、ハーブソーセージ、トースト、オレンジジュース、果物(マンゴー、パイナップル、スイカ)、コーヒーだったかな。
とにかく、沢山食べなさい、と薦めてくれた。
ピンボケしたオバチャン
列車待ちの時間がないように、ギリギリまで喋っていた。
今思うと、貧弱なる英会話力でよくあれだけ話ができたものだ。
これなら、将来、海外で住むことがあっても何とかやれそうな気がする・・・かな?
立派なホテルに泊まっていたら、こんな機会はないだろう。
どうも、貧乏旅行のほうが、俺に似合ってるみたいだ、と深く感じたのであった。
オバチャンに別れを告げ、駅まで歩いた。
オバチャンの作ってくれたお弁当(ミカン、エッグチキンサンド)と、ゴール行きの切符
デヒワラ駅
コロンボ行の各駅止まりの列車
都会への上り電車は混んでいた。
俺が乗った下り電車(マータラ行き)はガラガラである。
列車の車体枠からはみ出て乗っている人の景色はこんな感じになる。
落ちたら最後死んでしまうが、バスにとびのったり、高い仏塔の清掃を命綱なしにやってしまったりする人たちであるから、なんとも感じないのだろう。
だが、危険であることは間違いない。
だが、転落による事故は意外に少なく、むしろ、線路内の無制限の侵入(自殺も含む)のほうが圧倒的に事故が多く、次に脱線事故、踏切事故となるようである。
(スリランカ鉄道の円借款事業事後モニタリング報告書を見てみたら、そうであった。)
ずっと本を読んでいた哲学者のようなオジサン(なんかカッコイイ)
俺も髭生やせば、こうなるかな?
ただ、髭はじゃまだよね。
ガラガラだったけど、座らないでオープンな出入口に立って外を眺めた。
そして、頭と上半身を列車の枠から徐々にはみ出させてみた。
やりたかった。
列車は海岸線ギリギリを走る部分もあった。
現地の人たちのように体を電車の外に投げ出すと、キザな言い方で好きじゃないけど、
「風を感じて走ってるぜ!」
という感じなのだ。
なんだかチョー気持ちいい!
これをやりたくて、スリランカに来たような気がした。
まあ、申し訳ないけど、以下、ほんの数行だけ、旅のノスタルジックな想いに浸らせてくれ!
ノスタルジーの始め---
あの時、頭の中で、俺の好きな「Far Away」の曲が浮かんできたんだなぁ。
ここ最近、調子に乗ってるときに、頭の中のジュークボックスに自動的にセットされて浮かんでくる曲だ。
「今、旅してる!」
そういう実感がジンジン沸いてくるような気がした。
これはもう「俺だけの体験的芸術」で、俺は、その美を追う旅人だ。
これまた、美化しすぎる思い出なのかもしれないけど、流れる海岸線の景色、海の匂い、ディーゼル機関の匂い、リズミカルな列車の音、体に感じる大きな揺れ、足元から伝わる線路の振動、握りしめる鉄パイプの感触、そして、唇に感じる僅かな潮の感触・・・五感の全てが感じていたように思う。
なんだか、こちらが本物で、いつもの型にはまった自分が偽りであるかもしれない…などと、ハイテンション過ぎてアホなことを考えた。
うっ、うん…?
もしかして、俺はスピード狂か?
また、黄金海岸は砂州によって海と切り離されてできた湖や沼ラグーン(潟湖)が多く、その湖岸を走ったりもする。
それが、次の動画である。
そんな、随分と久しく感じなかった芸術的興奮を味わいながら、列車はアッという間にゴール駅についてしまった。
ノスタルジーの終わり---
ゴール駅に着いたかどうかは、いつもの通り、後ろの席の人に聞いて降りた。
列車は、この先の行き止まり駅マータラまで行く。
ゴールは欧米人が多いせいか、他の地域とは違ったオランダ色の雰囲気だ。
駅から出た途端、トゥクトゥクの観光めぐりの勧誘攻めが行われていた。
だが、ザックを背負っていかにも観光客な俺には何故か?誰も寄ってこなかった。
相当な貧乏観光客にみえたか、ついに現地人化したか、である。
スイスイと駅の外にでることができた。
ゴール駅
ゴールは狭い地域なので、自転車でさえも邪魔で不要、歩くだけで十分な観光地である。
かつて植民地時代にオランダやポルトガルが築いた要塞に向かった。
1754年ころのゴールを描いた絵画(ウィキペディアよりゴールの旧市街と要塞から)
要塞の中が旧市街になっていて、シンハラ人とムスリムが多いところだ。
要塞の時計台から眺めた景色は表題の写真である。
要塞の城壁の下ではクリケットの大会が行われていた。
ゴールの海はとにかく明るい。
とにかく、その景色を続けて掲載する。
インド洋は青かった。
当然であるが、要塞なので下は絶壁だ。
砲台の跡
波は途中で静かになり、海辺はあまり波が立たない。
とても賑やかなアジア系の旅行団体客様御一行
要塞の壁はこんな感じ
要塞の内側は旧市民街である。
最高の天然プール
ムスリムの人の海水浴
海水浴場である。
波は静かで子供でも安心して遊ばせることができる。
殆ど現地の人ばかりであった。
海辺の近くだと、こんなふうに楽しく暮らすことができるのだ、と思った。
なんだか、この先の人生、コンクリートジャングルに住んでいていいのだろうか?と考えさせられた印象深いシーンである。
チョット画像が多くて重くなってしまった。
とりあえず、ここでSTOP
(つづく)
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朝早く、オバチャンの作ってくれた朝食を食べる。
スペインオムレツと蒸した温野菜、ハーブソーセージ、トースト、オレンジジュース、果物(マンゴー、パイナップル、スイカ)、コーヒーだったかな。
とにかく、沢山食べなさい、と薦めてくれた。
ピンボケしたオバチャン
列車待ちの時間がないように、ギリギリまで喋っていた。
今思うと、貧弱なる英会話力でよくあれだけ話ができたものだ。
これなら、将来、海外で住むことがあっても何とかやれそうな気がする・・・かな?
立派なホテルに泊まっていたら、こんな機会はないだろう。
どうも、貧乏旅行のほうが、俺に似合ってるみたいだ、と深く感じたのであった。
オバチャンに別れを告げ、駅まで歩いた。
オバチャンの作ってくれたお弁当(ミカン、エッグチキンサンド)と、ゴール行きの切符
デヒワラ駅
コロンボ行の各駅止まりの列車
都会への上り電車は混んでいた。
俺が乗った下り電車(マータラ行き)はガラガラである。
列車の車体枠からはみ出て乗っている人の景色はこんな感じになる。
落ちたら最後死んでしまうが、バスにとびのったり、高い仏塔の清掃を命綱なしにやってしまったりする人たちであるから、なんとも感じないのだろう。
だが、危険であることは間違いない。
だが、転落による事故は意外に少なく、むしろ、線路内の無制限の侵入(自殺も含む)のほうが圧倒的に事故が多く、次に脱線事故、踏切事故となるようである。
(スリランカ鉄道の円借款事業事後モニタリング報告書を見てみたら、そうであった。)
ずっと本を読んでいた哲学者のようなオジサン(なんかカッコイイ)
俺も髭生やせば、こうなるかな?
ただ、髭はじゃまだよね。
ガラガラだったけど、座らないでオープンな出入口に立って外を眺めた。
そして、頭と上半身を列車の枠から徐々にはみ出させてみた。
やりたかった。
列車は海岸線ギリギリを走る部分もあった。
現地の人たちのように体を電車の外に投げ出すと、キザな言い方で好きじゃないけど、
「風を感じて走ってるぜ!」
という感じなのだ。
なんだかチョー気持ちいい!
これをやりたくて、スリランカに来たような気がした。
まあ、申し訳ないけど、以下、ほんの数行だけ、旅のノスタルジックな想いに浸らせてくれ!
ノスタルジーの始め---
あの時、頭の中で、俺の好きな「Far Away」の曲が浮かんできたんだなぁ。
ここ最近、調子に乗ってるときに、頭の中のジュークボックスに自動的にセットされて浮かんでくる曲だ。
「今、旅してる!」
そういう実感がジンジン沸いてくるような気がした。
これはもう「俺だけの体験的芸術」で、俺は、その美を追う旅人だ。
これまた、美化しすぎる思い出なのかもしれないけど、流れる海岸線の景色、海の匂い、ディーゼル機関の匂い、リズミカルな列車の音、体に感じる大きな揺れ、足元から伝わる線路の振動、握りしめる鉄パイプの感触、そして、唇に感じる僅かな潮の感触・・・五感の全てが感じていたように思う。
なんだか、こちらが本物で、いつもの型にはまった自分が偽りであるかもしれない…などと、ハイテンション過ぎてアホなことを考えた。
うっ、うん…?
もしかして、俺はスピード狂か?
また、黄金海岸は砂州によって海と切り離されてできた湖や沼ラグーン(潟湖)が多く、その湖岸を走ったりもする。
それが、次の動画である。
そんな、随分と久しく感じなかった芸術的興奮を味わいながら、列車はアッという間にゴール駅についてしまった。
ノスタルジーの終わり---
ゴール駅に着いたかどうかは、いつもの通り、後ろの席の人に聞いて降りた。
列車は、この先の行き止まり駅マータラまで行く。
ゴールは欧米人が多いせいか、他の地域とは違ったオランダ色の雰囲気だ。
駅から出た途端、トゥクトゥクの観光めぐりの勧誘攻めが行われていた。
だが、ザックを背負っていかにも観光客な俺には何故か?誰も寄ってこなかった。
相当な貧乏観光客にみえたか、ついに現地人化したか、である。
スイスイと駅の外にでることができた。
ゴール駅
ゴールは狭い地域なので、自転車でさえも邪魔で不要、歩くだけで十分な観光地である。
かつて植民地時代にオランダやポルトガルが築いた要塞に向かった。
1754年ころのゴールを描いた絵画(ウィキペディアよりゴールの旧市街と要塞から)
要塞の中が旧市街になっていて、シンハラ人とムスリムが多いところだ。
要塞の時計台から眺めた景色は表題の写真である。
要塞の城壁の下ではクリケットの大会が行われていた。
ゴールの海はとにかく明るい。
とにかく、その景色を続けて掲載する。
インド洋は青かった。
当然であるが、要塞なので下は絶壁だ。
砲台の跡
波は途中で静かになり、海辺はあまり波が立たない。
とても賑やかなアジア系の旅行団体客様御一行
要塞の壁はこんな感じ
要塞の内側は旧市民街である。
最高の天然プール
ムスリムの人の海水浴
海水浴場である。
波は静かで子供でも安心して遊ばせることができる。
殆ど現地の人ばかりであった。
海辺の近くだと、こんなふうに楽しく暮らすことができるのだ、と思った。
なんだか、この先の人生、コンクリートジャングルに住んでいていいのだろうか?と考えさせられた印象深いシーンである。
チョット画像が多くて重くなってしまった。
とりあえず、ここでSTOP
(つづく)
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