ハノイ大教会
(つづきの始まり)
市場近くのバスターミナルは大学生たちが大勢いた。
日本の大学生たちとなんら変わらない雰囲気だ。
停留所は降車と乗車が分かれている。
ノイバイ国際空港まではバスで1時間半ほどかかり、7000ドン(約40円)の超格安である。
バスの中では、よくみかけるバス酔いの女性がいる。
隣を走行するバスは入り口の扉を開けっ放しにして走っている。
徐々に田舎っぽく . . . 本文を読む
我が物顔で通る観光客の乗るツアー専用カー。
これが何台も連なっていた。
これじゃ面白いとこ何もわかりませんよ。
歩きましょう!
(つづきの始まり)
ホアロー収容所見学は精神的に疲れてしまった。
ホアンキエム湖のほとりのベンチで1時間ほど休憩したが、悪夢のような収容所の気配が体から抜けきらなかった。
そこで、湖そばにある水上人形劇でもみて、邪気払いでもしようと思った。
劇で使われる人形が展 . . . 本文を読む
ホアロー収容所のギロチン台
(つづきの始まり)
ホアンキエム湖は新婚カップルのメッカだった。
撮影スタッフをひきつれて、あちらこちらで記念写真を撮っていた。
ただ、ちょっと気になったことがある。
裸足の新婦がいたことだ。
何故だろう?
まさか湖に足を浸けるため?
ウィキペディアよりホアンキエム湖の夜景(夜景はみなかった)
湖の片隅にある何かの門(見る方向で門の名前が違う?)
. . . 本文を読む
梅酒でもつくるのかな?
日本もそんな時期ですね。
(つづきの始まり)
昼食は今まで食べたことの無いものにすることにした。
フォーでもよかったけれど、今日は最後のベトナムだから、ベトナムらしい印象に残るストリートフードが食べたかったのだ。
店の雰囲気と料理の香りからして、これは経験すべき店だと思われる場所を偶然見つけた。
それが、コレだ↓
ブンチャー(Bun Cha)というハノイの郷土料 . . . 本文を読む
歩道はもはや歩道ではない。
お店であり、居間であり、駐車場である。
店の子供人形が生きてるようにみえて不気味だ。
(つづきの始まり)
昨日とは違い、朝から天気は良かった。
今日はチェックアウトだが、荷物は重いのでホテルに預けてハノイ市内を当て等無しにブラブラするつもりである。
日本へ帰る飛行機は深夜0時過ぎなので、焦って見学する必要はなく、市内移動は路線バスか徒歩、飛行場へもノンビリ路線バス . . . 本文を読む
ハロン湾の船上生活者
(つづきの始まり)
とりあえず、食事が終了する頃、ある島に着いた。
これからスンソット鍾乳洞を見学するという。
いつも思うが、どこの鍾乳洞でもカラフルだが、俺自体は普通の白色光にしてもらいたい。
本当の色が見たいのに、歌舞伎町のネオンのようで、興醒めしてしまう。
だが、そうは言いながら、観光地ではありきたりのガイドの説明に「ああ~、○○に似てる」とうなずく日本人まるだ . . . 本文を読む
ハノイで泊まったホテル(ホテルの脇が何故か小さな材木屋)
(つづきの始まり)
朝から雨だった。
今日はサンゴ由来の石灰岩が雨によって溶かされ、複雑な地形ができあがったハロン湾へ行く予定である。
とても驚くことなのだが、地球規模で観るとベトナム北部のハロン湾は中国南部の桂林、石林とは
地続きの面積約50万平方キロの巨大な中国南部カルスト台地
なのだ。
しかも、太古の昔この辺りは海だったわけで、し . . . 本文を読む
観光客に声をかける遊覧ボートのオバちゃん達
(つづきの始まり・・・今回は文章でなく写真中心にしました。)
ダナンからハノイへ行く飛行機は夜出発なので、まだかなり時間がある。
市場で食事をしたのち、ダナン空港へいくバスの時間までホイアンの町をぶらついた。
ホイアン市場前の井戸にて
井戸は公共のものである。
ベトナムの井戸は全地域にあるのだが、これからいくハノイなどの北部では無味無臭のヒ素によ . . . 本文を読む
ジャングルの中から発見されたミーソン遺跡
(つづきの始まり)
ミーソン遺跡はホイアンから南西30kmのトウ・ボン川流域のジャングルの中にある古代チャンパ王国(現在では少数民族となっているチャム族が築いた王朝)のヒンズー教の神殿である。
ベトナムなのに何故かヒンズー教のだ。
ヒンズー教といえばインド。
インドじゃぁ、寺のみならず町中にも畑にも、リンガ・ヨーニ(ヒンズー教では生命原理の最高のシ . . . 本文を読む
ホテルへ帰る途中のホイアンの通り、まるで昭和初期の映画のワンシーンのようである。
(つづきの始まり)
ホイアンの夜は今夜も賑やかだった。
ひとりユックリと2階のテラス席で食事をした。
小さなバカチョンカメラでは美しい夕闇が撮れなかったのは残念である。
全てがピンボケのような感じになり、まともなのは下の写真と動画だけだ。
食事を終え、賑やかな夜の町をぶらついた。
ひとりで歩くのがもっ . . . 本文を読む
ベトナム料理レストラン『ホア・アン・ダオ』のテラス席からの眺め
(つづきの始まり)
急遽、一日のんびりする予定であったクアダイビーチからホイアンの町へ戻った。
ホイアンはエビの養殖池だらけである。
せっかく戻るなら、田舎町らしいところを歩いてみようと、まずは自転車をホテルに返却することにした。
昨日、自転車で走り回った感じでは、歩いても問題ないほどの小さな田舎町であることがわかっ . . . 本文を読む
クアダイビーチ
(つづきの始まり)
朝食はホテルのバイキングを利用した。
屋台で食べたいが、自転車で10分はかかるから面倒なのでそれで済ませた。
今日はクアダイビーチへ行くつもりだ。
自転車で4kmほどの道のりである。
自転車に乗りながら曲芸撮り
(画面が揺れるのでご容赦ねがいます。)
河の静かな畔で一休み
道の両脇が養殖池(たぶんエビ)になってます
ベトナムに来てから、ここまでバ . . . 本文を読む
トゥボン川にかかるアンホイ橋からみた西側景色
(つづきの始まり)
食事後、再びホイアンの町を自転車でぶらついた。
調度品などが素晴らしい商人の家、「クアンタンの家」だ。
漢方薬を扱う商家だが、前は建築家だったらしい。
300年前に建てられ、京都の町屋造り、マレーシアのショップハウスと同じウナギの寝床形式の民家で中庭があり、柱や梁は黒光りしていた。
家の表玄関(狭い間口なので見過ごしてしまいそ . . . 本文を読む
フーンフンの家の神棚(中国+日本の建築様式の家)
(つづきの始まり)
ホイアンはかつて様々な人種が共生していた町である。
16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄した町なのだ。
ただし、日本人は江戸幕府の鎖国政策によって、徐々にいなくなっていったらしい。
ベトナムでは2万ドン紙幣の裏に描かれている有名な来遠橋(日本人橋)である。
昔の日本 . . . 本文を読む
ホイアンの川沿いの町並み(アンホイ橋から)
(つづきの始まり)
まだ暗いうちにホテルを発った。
今日はホーチミンのタンソンニャット空港→ダナン空港→ホイアンの予定である。
ホテルマンは俺がホテルを出て、ちゃんと予約したタクシーに乗るまで荷物を運び、俺を送ってくれた。
タクシーは暗い人通りのない市内をガンガン飛ばす。
あっと言う間に空港に着いた。
料金は適正だと思われる料金だったので、つり銭を . . . 本文を読む