御代田の一里塚と浅間山
江戸日本橋より41里目
千ケ滝湯川用水温水路
1965年、柏木小右衛門が開削した農業用水路です。
浅間山の雪解け水や湧水は冷たいので、そのままでは稲作には適しません。
そこで、浅くて幅広く長い用水路(全長934m、幅20m、深さ0.2m)を作り、太陽熱で水温の上昇を図るという、先人の知恵による農業土木遺産です。
「コロンブスの卵」的発想ですね。
素晴らしい
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沓掛宿のローソンから出発(先輩撮影)
朝、出発する前にローソンで食料調達をしました。
そのローソンに大学時代の先輩が応援に来てくれました。
たまたま軽井沢近辺にいた先輩(2名)が私のFBをみて、わざわざ出発前に激励に来てくれたのでした。
(本当に有難うございました。
嬉しかったです。)
二十三夜塔と木の根元に数体の小さな石仏
沓掛時次郎がこの木陰で休んでいそうな感じがします。
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本日は好天ですが、台風の影響があり、気象庁の明日の予報では
北の風 くもり 昼前 から 雨
最低気温13度 最高気温16度
12時から18時までの降水確率70%
です。
そこで、明日の旅ランは中止とします。
後日改めて、同内容の旅ランを行いたいと思います。 . . . 本文を読む
今月28日の旅ランですが、台風22号の影響を受けて天候が悪化すると予想された場合、中止する可能性があります。
現在の気象庁による予報状況は
北の風 くもり 後 一時 雨
降水確率60%
最高気温17度 最低気温13度
です。
問題はいつごろから降るかです。
明日、時間帯別の降水確率が発表になり次第、実施するか?、延期するか?を早めに決めたいと思います。
雨が降った状態で走り、風邪をひ . . . 本文を読む
軽井沢の別荘って凄いんだね‼
たまげました。
ハィ
碓氷峠のつづきです。
細い道が続き、人のすれ違いができないです。
。
何度も団体さんのために端によって待機しました。
小さな沢もありました。
(次の画像、危険につき、嫌な人は目の焦点を合わさずサッと飛ばして次の画像までいってください。
ただ、これが自然の山の姿です。)
石の上で見つけた回虫?
白い糸みたいなもの . . . 本文を読む
やたら沢山咲いていた花(花の名前はわかりません)
川久保薬師堂
碓氷峠の無事通過を願うための薬師堂だが、集会所にもなっているようです。
中にはTVもあるのでそうでしょう。
薬師の湧水
綺麗な湧水です。。
一口、飲んでみましたが、冷たくておいしい。
(その後、お腹は壊さなかった。)
昔、この湧水でトコロテンを商う茶屋があったらしいです。
だから、この辺りを心太坂というらしい。
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スカッとした紺碧の空と妙義山塊
東京から一番早く着ける方法をネットでしらべ、朝8時過ぎに松井田駅に着くことができました。
碓氷峠を越えるまで松井田駅からはコンビニもなく、普通の食料店、飲食店もないので東京のコンビニで食料調達し、飲料水は碓氷峠の入り口から軽井沢まで自動販売機はありませんので、峠入口の手前の坂本宿にて最終調達する予定にしました。
ただ、横川駅には峠の釜めしの「おぎのや」があ . . . 本文を読む
石仏石塔群(誰かが野の花を供えていた)
杉並木
安政遠足(あんせいとおあし)の図
これは街道沿いの貯水塔であるのですが、
中仙道を疾走する安中藩士
の姿が描かれていました。
-----安政遠足-----ウィキペディアより
安政遠足(あんせいとおあし)とは、1855年(安政2年)、安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競 . . . 本文を読む
雨で増水する碓氷川
高崎のホテルは起きたら朝から雨でした
カッパを着て早々に出発
今日は、JRで板鼻宿の群馬八幡駅に向かい、昨日の最終ポイントまで戻り、坂本宿手前の横川駅までたどり着きたいと思っていました。
約24キロほどかと計算したのですが、標高差はわからないので、もしかすると途中ギブの可能性があるかな、とも思っていました。
ただ、次回の中仙道旅ラン出発地点から碓氷峠までの標高差を . . . 本文を読む
中仙道脇の小さな薬師堂(神保原にて)
畑時能(はたときよし)首塚
-----ウィキペディアより-----
畑 時能(はた ときよし、正安元年9月15日(1299年10月10日) - 興国2年/暦応4年(1341年))は南北朝時代・南朝方の武将。六郎左衛門。畑胤時の次男。
(中略)
新田義貞の側近で、後代に新田四天王の一人に数えられた。
畑氏の出自は『姓氏家系大辞典』では秦氏、『苗字尽略 . . . 本文を読む