源正寺の六地蔵
お寺は改築中でした。
立派な屋敷発見!
西光寺内の近藤勇座像を発見!
幕末動乱の慶応4年3月、勝海舟の命により、近藤勇は新選組の生き残り他200名「甲陽鎮舞隊」を率いて江戸を発ち、土方歳三のふるさと「日野宿」に宿泊しながら、ここ「西光寺」に立ち寄ったそうです。(甲陽鎮舞隊ですが、200名のうち実際のところ新選組の残党はわずか二十名たらずだったようです。)
勝は江戸無血開城の為、甲州を鎮撫せよと命じて、目の上のタンコブだった近藤たちを体よく甲府に追い払ったと自分は聞いています。
勝沼駅近藤勇驍勇之図(ウィキペディア、甲州勝沼の戦いより)
この旧甲州街道は勝沼で大敗した甲陽鎮舞隊の道でもあったんですね。
西光寺山門
西光寺六地蔵
西光寺鐘楼仁王門(2階部分に鐘があり、真下から見上げると金が見えます。)
正面が観音堂、右は本堂
飛田給薬師堂
-------以下調布市のHPより
飛田給薬師堂の本尊は、元仙台藩士の松前意仙が諸国を遍歴した末に、ここを生涯の地と定めて庵を結び、医業のかたわら仏道に志して人々を救済するため、自ら石の薬師尊を刻んだものです。尊像完成の後、傍らに穴を掘り、その中に入って鉦をたたきながら、お経を唱えて、そのまま入定(死去)しました。江戸時代元禄5(1702)年のことです。薬師本尊開眼の貞享3(1686)年から三百年にあたる、昭和61年9月12日に意仙の遺徳を伝えるため、飛田給自治会薬師尊奉賛会が建てました。
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いわゆる即身仏ですね。
この辺の話は、ちょっと怖い世界ですね。
江戸時代、元禄5年・1702年のことのようです。
仙台と松前という名から仙台藩伊達家の門閥、仙台松前家と関係ある人ですかね。
歴史秘話ヒストリア 2015年6月3日 150603 【オレは即身仏になる!ミイ
その松前意仙の入定塚
調布市・飛田給薬師尊例大祭
かなり立派な大きな薬師尊ですね。
多摩川三十三ヶ所観音零場の21番の観音院
観音巡りといえば、秩父札所廻り(秩父札所三十四ヶ所観音霊場)でしょうか?
巡礼の旅というのはいつかやってみたいですね。
仏教だけでなく、世界のいろいろな宗教の巡礼です。
もちろん、旅ランですよ。
線路際の庚申塚(西武多摩川線白糸台駅そばの踏切にて)
コンビニで一休み
染屋不動尊(江戸時代は、玉蔵院といい、染谷八幡神社の別当寺だったようです)
小さな小さな不動堂ですが、中に長野県善光寺のご本尊を模した国宝の銅造阿弥陀如来立像が納められています。
写真はLocalWiki 染谷不動尊よりお借りしました。
その説明版があったのですが、文章に段落がなく非常に読みにくくて、理解は諦めました。
東府中駅そばの大きな踏切です。
京王線と京王競馬場線が通っています。
京王競馬場線は府中競馬場にいくための路線距離が0.9 kmと非常に短いワンマン運転の路線です。
自分は競馬はやらないので競馬場に行ったことがありません。
【FHD】京王競馬場線前面展望(東府中~府中競馬正門前 往復)(Scenery Movie of the Keio Keibajo Line)
自分は大体、賭け事の類は全く才能がなく、才能不要の宝クジさえも全くダメで、どうもそういう宿命のもとに生まれたみたいです。
(つづく)
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