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旧中仙道ランニング「中仙道走膝痛シ」・・・日本橋~浦和宿(その3、チョコの源流)

2015年12月23日 | 中山道走膝痛シ(旧中山道ランニング)



志村坂上から中山道は急な坂(清水坂)をくだる。
距離は短いが昔は最初の難所だった。




志村橋に近い東坂下の旧道で気になる会社をみつけた。


日本チョコレート工業協同組合とかいてある。
そのHPをみると、沿革・特色につぎのように書いてあった。
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つねに時代の感性に応えた、おいしいチョコレートづくりのため、全国のメーカーが集結、昭和24年に設立された画期的な共同事業システムである。36年には、原料チョコレート共同加工工場を設け、合理化を図り経営安定の基礎を支え、新製品開発などを推進する一方、メーカーそれぞれの個性を存分に競いあえるよう経営戦略拠点の役割を果たしている。
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加盟している会社は、コロンバン、メリー、ヨックモック、モロゾフなど北は栃木から、南は沖縄までのメーカー31社でできているようである。
このチョコレートがベースの素材になり、それに各社が特徴を付け、チョコを売り出しているようだ。
ここはチョコ泉の源流なのである。

さらに、柵には次のような掲示があった。


調べてみると、通常は一般販売しないらしいが、毎年10月になると数量限定で
巨大な板チョコを売るらしい。
(350gの板チョコレートが1200円で、1枚がパソコンのキーボードぐらいあるらしい。)

これはチョコレート好きな人間にとって大変なパワースポットである。
どでかい、ズッシリとしたチョコの金塊だ。


尚、関係ない余談ではあるが、俺には
ラグビーの五郎丸のように
仕事をバリバリやる気をだすために、
毎朝行うルーティーンがある。

まず
ルーティーン1. 数日前にネットで取り寄せた有機栽培のコーヒー生豆を自分で煎っておき、
ルーティーン2. 毎朝、その豆を手動式のコーヒーミルで甘い良い香りをかぎながら、ユックリひき、
ルーティーン3. フレンチプレスかベトナム式ろ過でコーヒーをいれて、その
ルーティーン4. ブラックコーヒーを飲みながら、ビターチョコをかじるのだ。

だが、五郎丸と違うのは、思うように仕事は捗らないのだった

詳細は以下を参照
入手困難!?在庫限りで販売終了のチョコレートの組合が作る巨大板チョコ!



新河岸川(しんがしがわ)の志村橋を渡る。


また、なんか変わったものを発見!
「八宇是有せんべい」と書かれた看板だ。
店だか、工場だかわからないが、その建物はしなっていた。
色々とネットで調べたがわからない。
草加せんべいの類だろうか?

気になる也・・・



戸田橋を渡る。
風が強く、小雨が痛い。
東北上越新幹線の架橋の向こう側に戸田の渡しがあった。




この辺りは、昔の旧道がいくつか無くなっており、しかたなく国道17号沿いに数キロ走ると蕨宿の下木戸を模したモニュメントに至る。


蕨宿に入ったとたん、旧中仙道の雰囲気になる。


旧中仙道 蕨宿はこんな感じだ。


立派な建物に遭遇

蕨市立歴史民俗資料館分館であった。
明治時代に織物の買継商をしていた家で、建物は、木造平屋寄棟造り(明治20年建築)だ。
祝日は休館らしく、残念だが庭の中しか入れなかった。





維持は大変だろうが、こんな家に住んでみたい。

女房と、
「爺さんや」、「婆さんや」

日本昔話風にお互い呼び合いながら、
ガラス越しのポカポカ太陽を縁側を通して間接的に浴びて、
女房は書でも書き、
俺はスコッチウィスキーと海苔巻き煎餅という和洋の絶妙な取り合わせを味わいながら、
好きな本でも読みたいものだ。


中仙道からみた全景


昭和ロマンな八百屋
いいですねぇ。
お店も繁盛してる感じがした。


次々に立派な家に出会う。


鈴木薬局


その看板である。







蕨宿は素晴らしく立派な宿場町だ。
昔は相当栄えていたことが容易に想像できる。
これは、戸田の渡しがあったからで、川留めになると大いに賑わったからである。


『木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場』渓斎英泉 画

東京の近くで、これだけ昔の街道の雰囲気を味わえるとは思わなかった。


旧中仙道は東京外環自動車道の下をくぐるが、そこにある辻の一里塚跡
このあたりは湿地帯で通行に難渋したあたりで、
水難除けに「水の神弁財天」も一緒に祀ってある。


熊野神社
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神の勧請を受けた神社である

ここまでくると、もうすぐ浦和宿である。


徐々に古い家がみられるようになった。
だが、日が暮れてきたことと、雨雲の影響で徐々に薄暗くなってきた。


大正5年ごろに建てられた関元屋商店(米屋)と「お助け井戸」である。
関東大震災や東京大空襲で逃げ延びた人々の喉を潤したと言われている。


(よく写ってなかったのでさいたま市のHPから借りました)



調(つき)神社である。
平安期の古社
暗くなりつつあるので、中には入らなかった。
興味深い!


浦和宿江戸口そばの江戸後期から明治初期に建てられた青山茶舗だ。
今でも商いを続けている。


本日の終点は、ここ浦和駅西口交差点と決めた。
16時半ぐらいだったと思う。

すぐ近くに風呂屋がないかスマホで探す。
稲荷湯というところを発見!
スマホのナビを利用して、雨に濡れながら歩いて向かう。

完全に暗くなってしまったが、なんとか到着。
雨で冷えた体を早く温めたかったので、写真は撮り忘れてしまった。

写真は銭湯と路地裏散歩な日々からお借りしました。
昔ながらの銭湯でとても気持ちよかった。

その後、浦和駅に向かうが、途中で大変混んでいる居酒屋を発見。
その赤い提灯の点滅とともに、俺は吉田類に変身し、
そのまま、万酒引力の法則で、吸い寄せられてしまった。


」という店である。
なんという美しい建ち姿であろうか。

まだ18時前だというのに、もう超満員だ。
が、たった俺一人なので紛れ込むことができたのだ。

バンザイ\(^o^)/である。

「お姉さん、とりあえず瓶ビール大ね!」



料理が来たら、すぐ写真を撮ればいいのだが、食べてる途中で気が付く俺・・・。
(上下とも食べかけ写真ですみません。)




(岡本おさみ氏が亡くなったので、酒を呑みながら、岡本おさみ氏が夫人との旅行で青森県の蔦温泉に宿泊した際に曲想を得た「旅の宿」聴き偲びたいと思います。)


そのまま、俺は黄昏の浦和の街に消えたのであった。

(おわり)




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
八宇是有せんべい (Unknown)
2017-09-23 13:28:17
2017年の9月7日にオープンしたそうですよ。
返信する
八宇是有せんべい (会長)
2017-10-22 16:38:14
情報いただき、ありがとうございます。
色々な味の薄焼きせんべいのようですね。
返信する

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