(カオス的振る舞いをする微分方程式の解 ストレンジアトラクター)
<最後のインドのカオス>
還ってきてからは、しばらく俺の脳みそからインドのカレーの匂いが取れなかった。
ボーっとして、いつもの日常生活に戻るに数日がかかった。
俺はガイドブックの編集人に電話をかけ、ことの次第を詳しく報告し、次回はもっとよく現場調査してから載せることをお願いした。
来年も、そのホテルの名前が載ることがないよ . . . 本文を読む
<あなたはヒンドゥー教徒ですか?>
朝は気持ちよかった。
最後の朝日だという思いで感傷的にながめた。
このガンジス河の朝日と夕日はいつも素晴らしかった。
インド旅行ひとり旅は体力、気力を必要とする。
飛行場に着いてから、まず頭で考えては困惑し、それではと、考えずに心で思ってみたものの、常に激しく揺さぶられ、最終的に、どうにでもなれと腹が座って、ようやくインドが楽しめるようになった。
俺がも . . . 本文を読む
インド旅行記も終わりに近づきました。
あれから、随分と時が経ち、私の記憶が薄れてきました。
自分のためにと忘れないうちにと、書いたブログですが、短い期間ながら、さすがインド、色んなことがあったんだなぁと、感心しています。
あと一息です。
それでは続きの始まり・・・
新たな階層制度
荷物を片付けたのち、この旅の間に貯まったRs1やRs2の小銭、約Rs50ほどをガートの乞食にバクシーシし . . . 本文を読む
<外国人の行方不明者は結構毎年いる>
昨夜は早く寝た。
ガンジス川の洗礼をうけたので、精神的にも疲れてしまった。
だから、逆に朝は早く起きてしまった。
まだ相当暗いうちから、ガートに出た。
それでも、その時間からすでに沐浴場には人が結構いて、水を浴びていた。
今日は、実質の最終日なので、チャイを飲み、朝日をみてから火葬場であるマカニカルガートへ行くことにした。
このころになると、祭りがピーク . . . 本文を読む
(写真は他人のをお借りしました)
<俺は一体何なんだ???>
ボートはとりあえず、火葬場のマカニカルガートに向かった。
2時間の貸切なので、オヤジはユックリ、ユックリ漕いで行く。
途中の仲間のボートマンに声をかけたり、俺としゃべったり、他のボートのインド人観光客に声をかけたり、うれしそうだった。
オジサンは、これやってみるか、と四角い凧を差し出した。
この辺では凧あげをするインド人が沢山い . . . 本文を読む
<オジサン知ってるよ>
バートラ・マーター寺院では履物預かりの若者と親しくなった。
どうやら、家族が寺の脇に家を構え、建物の維持管理をまかされているようだった。
家といっても日本人の感覚でみたら掘っ建て小屋である。
その家のトイレを借りた。
その寺院には基本的にトイレがなかった。
というか、そういえば、小も含め、お寺のトイレにはいったことがないのだった。
お寺にあったんだろうか?
立ちション . . . 本文を読む
(ガートに祭られたリンガと、それをみおろす、すけべじじいなヤギ)
<すけべじじい>
メールを調べたら旅行会社から返事が来ていた。
ホテルのチェックアウトは無視するつもりだったが、何故だかわからないが、絶対必要で旅行会社のデリー社員をチェックアウトの日に向かわせるから、必ずしてほしいということ、更に、ホテルに電話連絡して厳しく指導したし、最終日に直接オーナーに指導するとのことだった。
道理で、い . . . 本文を読む
(ボートの上で、真面目にひとり瞑想をする人、全然動かなかった。)
<バカボンのパパ似のオヤジの哲学>
一度、早朝に起きたのだが、ガートは霧の中だった。
これでは朝日は見れないだろう。
再度、床に就き、朝は久しぶりにゆっくり起きた。
フロントにいき、明日の夜、オーナーと話をしたいと申し出た。
フロントの男は、今オーナーが不在だというので、その場でオーナーに電話してもらい約束をしてもらった。
. . . 本文を読む
(お坊さんが観光客のお凸に橙色のサフランで祝福の印をつけてあげているところ)
<旅は情け人は心>
Sの店なら、日本人に親切だから品物は安いだろうと思い、Tシャツや香辛料でも買おうと思った。
通常のTシャツはバザールで値段を確認していたし、御土産用のTシャツならデリーでRs400で購入しているのでもし300~400ならば、まあまあである。
Sの小さな店には日本人観光客が残していった古本が沢山 . . . 本文を読む
<見てはいけないものを見た!>
寺院から正門まではサイクルリキシャで、正門からは相乗りオートリキシャでゴドゥーリャに戻った。
このときに乗ったのが、運転席脇の小さな椅子。
このときは7人乗りだった。
その特別席の乗り方にはコツがある。
運転手の後ろに腕をまわし、運転席の反対側のリキシャの支柱をつかむのである。
だから、後ろから見ると運転手と両隣の席の人間3人が肩を組んで「皆で仲良し」のように見 . . . 本文を読む
<野良クジャク>
バラナシヒンズー大学は綺麗だった。
(バラナシヒンズー大学の正門。
正門の内側と外側では大差がある。
「竜馬がいく」の武市半平太と岡田以蔵ほどの差がある。
方や静かで綺麗、方や騒音でうるさく、ゴミで汚い。
教養を学ぶ所というだけで、これだけの差があるのか、と思った。)
上野の公園のような感じで、緑が多く、静かで、インドじゃ当たり前のゴミはなく、歩いている学生も立ち振る舞い . . . 本文を読む
<口臭は心と体の不浄の現れであると言うのは釈迦の教え>
アッシーガートの露店でチャイを飲み、一休みした。
まだ、時間も早かったのでガンジス河をボケーッと眺めていた。
よく平気だなと思うが、ガンジス河で歯を磨いている人がいた。
前から見ていて気になっていたが、バラナシの人は木の枝を噛んで、繊維質になった部分を利用して歯を磨いていたのである。
その歯ブラシを歯木ハブラシというらしい。
露天商から . . . 本文を読む
<オヤジ、怒髪天を衝く>
今日は今まで行ったことのない遠くのガートまで行くことにした。
Panchganga Ghatというガートである。
そして、そこからボートに乗り、Assy Ghatまでノンビリ河を遡ることにした。
もちろんRs150以下じゃなければ、乗るつもりはない。
それ以上の値段で乗ったらL君たちに日本人は軟弱だと思われてしまうからである。
朝、いつものように日の出を見てから、ゆ . . . 本文を読む
(プルワリレストランの親子猿)
<なんもいえねぇ>
肉屋街の次は布生地問屋街だった。
50mほどの距離で店が続いている。
インド・バラナシ版の日暮里繊維問屋街である。
シルクやカシミアを買うなら、この辺で買った方がやすくて、良いものに出会えると思う。
ただし、本物を見分ける知識が必要だ。
本物のシルクの一番分かりやすい方法は端っこを燃やすという方法で、髪の毛と同じたんぱく質から出来ている . . . 本文を読む
(Beniya Parkの子供たち)
<タイガージェットシンは何故つよいのか?>
ゴドゥーリャ交差点は相変わらずの混雑だった。
ここからベニヤ公園まで歩くのだが、その前に交差点の近くにあるインド人向け衣服店に入ってみた。
店舗はバラナシ版ユニクロのような感じで、ちゃんと値札がついており、客は100%インド人である。
ここでT-シャツや、柄物のカッターシャツなどを見て回った。
というのも、こち . . . 本文を読む