「きみ去りしのち」重松清 2010文芸春秋
逝ってしまった者、逝く者、残された者、残る者
「幸せに死んであげたい」
逝ってしまった者へ「ごめんなさい」という時、相手はこちらを睨んでいる。
でも、「ありがとう」と言った時は笑っていた。
うひゃー!
これはふざける事ができない作品だな~
たぶん、当事者になったら同じような気持ちになる。
でも、いまの自分には実感がわかないな。
どう判断するのかも、断言できない。
それでもいいよね。
「きみ去りしのち」重松清 2010文芸春秋
逝ってしまった者、逝く者、残された者、残る者
「幸せに死んであげたい」
逝ってしまった者へ「ごめんなさい」という時、相手はこちらを睨んでいる。
でも、「ありがとう」と言った時は笑っていた。
うひゃー!
これはふざける事ができない作品だな~
たぶん、当事者になったら同じような気持ちになる。
でも、いまの自分には実感がわかないな。
どう判断するのかも、断言できない。
それでもいいよね。
小学生の集まっているラジオ体操会場で「夏休み、あと一週間」って叫びたい。
2010年08月24日(火) NHKニュース7
「波枕 おりょう秘抄」鳥越碧 2010講談社
NHKの「龍馬伝」に影響されたのね。
つい、手に取ってしまいました。
りょう→春→鞆子→ツル
わがまま娘、お嬢さん
おりょうさんが歳をとってからインタビューを受けたのは本当なのだろう。
他の作家による龍馬の人柄などの創作もそれを元にしているのだろうか。
公の史実もあるわけで、そこに当てはめた理想像。
どこまでが事実なのかな~なんて思って読むと、周りで人死にが出るたびに頭の中にミステリー仕立ての妄想が暴れる。
好意的な書き方をしているけれど、それは「龍馬の妻」としての著者(と読者)の希望だろう。悪く解釈しようとすればとんでもない人格が目の前に現れる。そして、どちらでもしっくりきてしまうのだった。
2010年08月23日(月) NHKニュース7
「金曜のバカ」越谷オサム 2010角川書店
久し振りに『さわやか系』ですな。
ああ、あれか、「ボーナス・トラック」の人か。
好きになりそうです。
どれも長編で読みたいな~なんて思うじゃないですか。でもたぶん、長編小説は大変なんだろうな。それに、長編にしたら味わいが変ってしまうだろうし、まあ、いいか。
2010年08月22日(日) NHKニュース7
「ドパミナジック」内田春菊 2010角川学芸出版
久し振りに懐かしい名前に出会ったので、読んでみた。
一度斜め読みして「くだらない」と思ったが、帯の『脳内変化に気づいていない12人の物語』という煽りを読んで見方が変わる。でも、それって、どんな物語でもそうだよねって気づいて白けた。
なんか、ありそうなんだけど、「みんなこんなにバカなまま生活しているのかな」とバカのくせに上から目線で嫌がってみせる。たぶんそこにある本当の姿を想像するのが正しい読み方なんだろうけど、頭の悪い野暮天は書かれたままを読もうとしてしまうのだった。
まあ、それでも、そのまま読んでも12作中2つくらいは面白いかもしれないのだった。
2010年08月21日(土) NHKニュース7
「四畳半神話大系」森見登美彦 2005太田出版
『文通は絶対に相手と会ってはならない』
その通りです。
ひとでなしな自分を見つけることになります。
『初手から何だかよくわからない汁がいっぱいしたたるような手紙を送っては、それこそ通報されても文句が言えない』
私にはそのような良識も無かった。
それさえも笑って済ませてくれた人物への非礼を詫びる事も無く。
読んでいて過去と現在の恥ずかしさが湧き上がってきた作品です。
学生時代の友人たちを思い出し、私の立場は小津に近いものもあっただろうと反省する。できれば友人たち一人ひとりに謝罪行脚をしたいくらいに思える。まさか、実際にはやりはしないが。
しかし、こういった作品は知識人(頭のいい人)たちが息抜きで読むべき本なのだろう。
バカである私がそれを読んでしまってはバカがバカに共感してバカを容認していくというばかばかしい不毛な行為になってしまうのだ。この作品は、それでも面白いからよしとしてしまう非常に罪深い存在に違いない。
アニメとの違いも大きな違和感はなく、アニメを先に見たがためにスムーズに読めたような気がする。
アニメを見ていなかったならば、第二話と第一話の間でなんども行ったり来たりした事だろう。その構造を理解するのに数週間悩んだかもしれない。それこそ四畳半無限地獄に落ち込んでいたかもしれないのだ。
アニメでは喫煙(主人公)と窃盗(小津)を自粛していた。喫煙の方は主人公のへたれ具合がアップして良かったのだが、窃盗の方は落ちまで違和感ぷんぷんになってしまった。あと、アニメでは四畳半ループ中にもう一人の自分を見かけてしまうが、原作にはない。なくて正解のはずだ。余計な事をしたものだ。
だが、それを除けば全体の構成が最終話に集約するアニメの形は成功しいているといえるだろう。
アニメという時間の中では流してしまうような意識下の想い出や連想、そういったものはやはり文章を読んでいる時の方が入り込みやすい。
だから、アニメ、そして原作と二度楽しめた。
2010年08月20日(金) NHKニュース7
2010年08月19日(木) NHKニュース7
「数えずの井戸」京極夏彦 2010中央公論新社
更屋敷
又市と徳次郎、仕掛けをしなかった話。
菊、播磨、主膳、吉羅、十太夫、それぞれがKぁTぁWぁなのだな。
ふつうに。それぞれを理解できそうでしたくない。
数えて~数えず~欠けて~満ちて~
悲しい・・・のか。
本(インクと紙)の匂いがまた・・・いいデザインだよね。
※ 2013年06月25日初版・・・また分厚い文庫が・・・
更屋敷?ふ~ん
それくらいのものだった。興味なかった。
でも、この作品で物語として沁みた。
永く残る物にはやっぱり意味があるんだろう。
やっぱり京極夏彦ってスゲー
でも、お仙はちょっと・・・もう少し行動に説得力を持たせて欲しかった。キャラクターの背景をちょっとだけ書いてもらえれば。
もしかしたら、書かないことで”欠けている”心持を読者に抱かせる効果を期待したのか。
2010年08月18日(水) NHKニュース7
「厭な小説」京極夏彦 2009祥伝社
「厭な子供」で「いじめてくん」?と思い、「厭な老人」では《君江さん》が登場!吉田戦車マンガのオマージュ?(でも、映像イメージは楳図マンガ)なんて思ったりした。
「厭な扉」はちょっとはずれたかな
「厭な先祖」あたりから深谷が”犯人”かと思い始める。でも、「厭な小説」でそれが否定されるんだな。・・・されたのかな。
「厭な彼女」では『君と別れるのが嫌だ』と言えば別れられるかもしれないと思ったが、本気じゃない事は相手にされないんだっけ。うん、こわいよー!「厭な家」は「厭な彼女」の彼女が家に変っただけかと思ったら~・・・でも、「厭な彼女」の方が怖い(厭だ)よ。
「厭な小説」
”俺は、この亀井という男が大嫌いだ”
・・・参院選を思い出したよ。国民新党は改選0でしたね。(にっこり)
この本の帯の煽りはすばらしい
「知りませんからね 読んで後悔しても。」
こりゃもう、「後悔させてみろ!」と挑みたくなるじゃないですか。
で、もう、当然、後悔するわけもなく満足するわけです。
もしも後悔したってそれはそれで納得なんですけどね。それはないというお約束。
まあ、夏彦さんからすると「厭な小説」なのかもしれない。
だから、厚めの紙を使って安っぽさ(かさ増し)を演出しているんですよね。
たぶん、この作品は彼の中では”売るための小説”に分類されるんでしょう。
おかげさまで私は大好きです。