書類の片づけが遅々として進まないので、とりあえず簡単な小物類に移ることにしました。
こんまりメソッドの順番(服→本→書類→小物類→思い出品)通りではないのですが、やりやすいところから手をつけたっていいんじゃない、と思ってね。
というのも、我家には食品のストックがけっこうある、ということに気づいてしまったからです。これは早く何とかせにゃ。
押し入れのプラスティックの引き出し式衣装ケース(長いケース)に食品をストックしているので、いくらでも収納できちゃうのです。
ここに入っている食品ストックを全部出してみました。インスタント食品やカレールウ、レトルトカレー、インスタントラーメン、缶詰類、調味料など。
何と賞味期限2015年のレトルトカレーなんてのもあって、さすがにこれはまずい。それほど古くなくても、2019年のものがけっこう多い。
結局半分以上が賞味期限切れ、という衝撃の事実が判明した。
オーマイゴッド!
もちろん捨てることにしたのですが、食品は捨てるのが大変なのですよ。
レトルトカレーなどは全部中身を出してから外箱は紙類、中袋はプラ類に分別するとか、缶詰などは全部開けて中身を捨ててからビン缶の収集日に捨てるとかね。
捨てるのが大変なのは父の家を片付けたとき、嫌というほど経験したのに、あれから10年あまりが経過して、私自身が父の年齢に近づき、すっかり物忘れがひどくなったようです。
つくづくモノはためないほうがいい。
父の家の片づけといったらもう、思い出したくもないのですが・・
食器棚や流しの下などにあった大量の缶詰類を捨てたときの徒労感といったら・・
シジフォスの神話のように、毎日毎日缶切りを手に缶詰を開けては中身を捨て開けては捨て、という果てしない作業を繰り返していたのですが、いっこうに缶詰は減らない。あとからあとから出てくる出てくる。何日かが過ぎたとき、もうやってらんない!と思って業者に頼みました。
すると、業者は一切合切段ボール箱に詰めこんでトラックに乗せ、あっという間に走り去っていったのでした。あれらの夥しい数の賞味期限切れの缶詰及び食品群、洗面所にあった大量のシャンプーや化粧品類を業者は一体どこに捨てたのだろうかと気にはなったけど、怖くて聞けなかった。
父はとにかく物を捨てない人でした。
ある時、我家に父から段ボール箱が3箱送られてきたことがありました。
中身は全部食品。レトルト食品やインスタント食品、缶詰類。夥しい量の食品です。しかも、そのうち賞味期限内のものは三分の一もなく、大半は捨てるしかないモノばかりでした。
捨てるのがどんだけ大変だったことか!
「お母さん、ゴミをうちに送ってくるのはやめてほしいって、おじいちゃんに言ったほうがいいよ」と娘にいわれました。
けれども父曰く「賞味期限なんてものは食品会社の売らんがための陰謀だ」
と反省の色は全くない。それなら自分で喰え、と思ったけどね。
両親にまつわるエピソードは山ほどあるのですが、思い出すとしんどいのでこの辺でやめようと思います(また出てきたらごめんね)。
両親ばかりでなく、親戚からも古着を山ほど送られたことがあります。
我家が貧乏だから施してやろうと思ったようですが、大半は着られない古いTシャツとかで非常に迷惑しました。
賞味期限切れ食品に限らず、自分が使わないものを人にあげるのはやめましょう。
自分の罪悪感を人に押し付けるのはやめましょう。
相手は必ず迷惑します。
でも、いいモノはありがたくいただくことにしていました。
時々友人から送られてくる古着を我家では楽しみにしていたものです。その友人はけっこうリッチなので上等の服をたくさんくれたからです。
人にあげるときは、いいモノをあげるようにしましょう。さもないと自分の価値を貶めることになります。
食べきれない食品、着ない服、読まない本などは、相手のことをよく考えて寄付するようにしましょう。
当たり前のことですが、この当たり前が通じない人が世の中にはけっこういる、ということも覚えておいたほうがいいかもしれません。
両親がいなくなって初めて、自分を大切にするとはどういうことかを学び始めた気がします。自分を大切にしていなかったことに長い間(ほぼ60年間)気づかずに暮らしてきたのです。
団塊の世代にはこういう人けっこう多いんじゃないかと思います(そうじゃないあなたはとても幸運です)。
死ぬ前に気づいてよかった。
片づけは確かにいろんな気づきをもたらしますね。
明日は何に気づくだろうか。楽しみです。
あ、その前に食品ストックを終わらせなくちゃ。
一週間ほどストックだけで暮らしてみようかしら。
また報告しますね。