今回は「こんまりメソッドでお片付け。」からちょっと離れてハンナ・アーレントについて書いてみたいと思います。
前回の「こんまりメソッドでお片付け(9)」では、アメリカの大統領選から父の思想傾向まで書きました。
私の両親がちょっとヘンだったのは、戦時中の軍国主義にすっかり洗脳されていたためではないか、と書いたのですが、同時代を生きた人たちがすべて洗脳されていたかというとそうではありません。
軍国主義はおかしい、日本はこの戦争に負けるだろう、と見抜いていた人も中にはいました(というか大多数は薄々そう思っていたのではないでしょうか)。
では、どういう人が洗脳され、どういう人が洗脳されなかったのか・・
そもそも洗脳とは何なのか、なぜ父はすっかり洗脳され、カルトのような思想にハマっていったのか・・ということを考えてみたいと思います。
そこにはやはり父ならではの事情があった気がしますが、その前に、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」について少し書いてみます。
ハンナ・アーレントについて書かれた本を読んだのはずいぶん前のことなので、今回は、NHKの「100分de名著 ハンナ・アーレント『全体主義の起源』」を参考にさせてもらいました(YouTubeで見られます)。
「全体主義の起源」は、2017年1月アメリカでベストセラーになりました。2016年にトランプが大統領選に勝ち、トランプ政権が誕生した年のことです。
ハンナ・アーレントはドイツ系のユダヤ人でナチスドイツの迫害から逃れるため、アメリカに亡命しました。そこで彼女はナチスのホロコーストを知り、「決して起こってはならないことが起こった」とショックを受けます。
そして、戦後ヒトラー政権の膨大な資料を調べ上げ、「全体主義の起源」を書いたのです。
ハンナ・アーレントはこの本の中で、
「全体主義運動は一貫性をそなえた嘘の世界をつくりだす」
といっています。
「この嘘の世界は現実そのものよりも人間的心情の要求にはるかにかなっている。大衆は人間的想像力の助けで自己を確立する」
つまり全体主義の中で作られた嘘(ユダヤ人こそが悪である)の方が、事実より大衆受けしやすい、彼らはそれを自身を正当化するためのよりどころにした、というわけです。
こうして一般大衆がホロコーストに加担する仕組みが出来上がっていったのです。
これを見て私はQアノンを思い出しました。
Qアノンはトランプの熱烈な支持者たちで、妄想に近い陰謀論を掲げて、トランプこそが腐敗した民主党政治を浄化させる救世主であると論じています。日本でもかなりの人たちがこの陰謀論を信じこんでいるようです。
これって、ナチスと同じ構造なのではないか。
オウム真理教にも通じるカルトの手法なのではないか・・
どうしたってそう思えてきますよね。
アーレントが「全体主義の起源」の次に書いたのが、
「エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告」
という本です。
ホロコーストに関わったナチスの幹部アイヒマンが戦後イスラエルで裁判にかけられたのですが、その裁判をアーレントが傍聴していました。
アイヒマンは裁判の中で、自分は命令に従い、法に従っただけだ、と主張します。ホロコーストで何百万ものユダヤ人を虐殺した当事者であるにもかかわらず。
アイヒマンは極悪非道な悪人ではなく、言われたことをただ実行する凡庸な役人でした。これをアーレントは「悪の陳腐さ」と呼びました。
つまり「誰もが悪をなしうる」「服従は支持と同じ」なのです。
こうした特殊な状況下では、人は簡単に服従モードになり、容易く洗脳されてしまうようです。
上からの命令に無批判で従い、自分の行動に責任を持たない、そうしたメンタリティが全体主義を持続させるのですね。
アイヒマンの裁判とは別に、もう一つのホロコースト関連の裁判を基に作られた映画、
「否定と肯定」(アメリカ・イギリス合作、2016年公開)
(2019年6月15日の記事参照)
https://blog.goo.ne.jp/neko-pin/preview20?eid=7bce68d3c1d569e66f4502b202b1149c&t=1605847056782
この映画も大変興味深かったので紹介したいと思います(今アマゾンプライムで見れます)。
ホロコーストはなかった、と主張するアーヴィングが、ホロコーストについて書いた本の著者リップシュタットを名誉棄損で訴えます。
あろうことか、訴えられたリップシュタットの方が、相手の主張を覆す実証をしなくてはならない事態に追い込まれます。
映画なので、事実そのままではありませんが、この映画の中で、
「ホロコーストは事実なので議論する気はない」というリップシュタットに対して、「自分の見解に合わない事実を恐れるからだ、私の主張する歴史が真の歴史だ」とアーヴィングが主張するシーンがあります。
まさに相手を逆手に取ったやり方。おまえは自分の意見に沿う事実だけしか事実として認めようとしない、といってリップシュタットをやり込めるのですが、それこそがアーヴィングの事実を捻じ曲げるやり方でもあるわけです(ややこしい)。
とにかく、全体主義の異様さが浮き彫りになった映画なので、まだ見てない人は見てみてはいかがでしょうか。
翻って、父のことを考えると、
やはり戦争という特殊な状況下で上官の命令に従わざるをえず(良心の痛みを無意識下に閉じ込めてでも)自分は正しいことをしたのだ、と自分に言い聞かせる必要があったのかもしれません。
それがいつの間にか、彼自身のアイデンティティを形成してしまったのだとも考えられます。
その間に、たとえば友人なり家族なりとの論争や助言があれば違ったのでしょうけれど、父には友人がほとんどなく(妻は無抵抗で従うだけ)、相反する意見を持つ知人もいなかったと思われます。
成育歴から見ても、父は孤立無援で頼るものとてなく、赤紙で招集され中国に派兵されて、従順な兵士として日本及びアジアを守るために戦ってきた。自分は正しかった、つまりあの戦争は正しかったのだ、と自分に言い聞かせて生きてきた人なのではないかと思うのです。(続く)