ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ベロニカとの記憶・・(記憶ってなんだろう)

2019-10-21 17:02:00 | 映画

 

映画「ベロニカとの記憶」(2015年)を見て思ったことをちょっと書いてみます。

この映画は「めぐり逢わせのお弁当」のリテーシュ・バトラ監督作品なので、期待して見たのですが、突っ込みどころがいろいろあって、残念ながらイマイチでした。
(シャーロット・ランプリングが出ていますが)

原作は「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ作)ブッカー賞受賞作品だそうです。

ストーリーは、初老の男トニーが弁護士から手紙を受け取るところから始まります。
学生時代につきあっていたベロニカの母親が、自殺したエイドリアンの日記をトニーに残した、という手紙です。

(ベロニカは学生時代のトニーのガールフレンド。エイドリアンは学生時代のトニーの親友で自殺した。そのエイドリアンの日記を保管していたのがベロニカの母。このベロニカの母がトニーにエイドリアンの日記を残した・・・ややこしい)

エイドリアンが自殺したのは学生時代。しかも彼はトニーの恋人だったベロニカを奪った男です。でも、トニーは彼を赦すと手紙を書いた、トニーはそう記憶しています。ではなぜ、エイドリアンの日記をベロニカの母が持っていたのか・・

トニーは別れた元妻に断片的に話をしながら、娘の出産にも立ちあいながら、少しずつ過去の記憶をたどっていきます。現在と過去が交互に進行していきます。

トニーは現在のベロニカに会いたいと思い、彼女を探しあてるのですが、ベロニカは昔と変わらずミステリアスでつれない。何が起きたのかトニーにきちんと説明せずに、トニーに一通の手紙を渡します。

それは、学生時代にトニーがエイドリアンにあてた手紙(エイドリアンを赦すどころか糾弾し、しかもベロニカの母をも凌辱するような酷い内容の手紙)でした。

つまり、実際に起きた出来事と、トニーの記憶はまるで違っていたのです。

実際はトニーはエイドリアンに酷い手紙を書き、エイドリアンはベロニカではなく、ベロニカの母と関係を持った。そして、ベロニカの母は妊娠しエイドリアンは自殺した、ベロニカの母はエイドリアンの子どもを生み、その子にエイドリアンと名付けた。つまり、ベロニカの弟。この弟のことを、トニーはベロニカとエイドリアンの子どもだと勘違いしたのでした。

ベロニカは、母が残したエイドリアンの日記は道徳的ではないので燃やした、とトニーに告げます。

それにしても、一体、トニーはなぜこれほど大きな記憶違いをしたのだろう・・というのが私が感じた違和感、というか疑問でした。自己保身のためとはいえ、人はここまで大きな記憶違いをするものだろうか…
(全体的に話がややこしくてわかりにくいのですが)

そこでふと思い出したのが、
映画「手紙は憶えている」(2019年1月14日の記事参照)

これはナチスにまつわる記憶のストーリーです。
老人ホームにいる90歳のゼブは軽い認知症を患ってはいますが、一人で旅に出ることはできます。同じホームにいるマックスがゼブに、自分たちはアウシュヴィッツを生き延びたサバイバーだと告げます。そして、収容所のブロック責任者だったルディ・コランダーという男に家族を殺された。その男はユダヤ人の名前を騙ってアメリカで生き延びている。自分は車椅子なので外には出られない。そこでゼブに復讐を依頼します。

ゼブはマックスから「ルディ・コランダー」という名前の人物リスト(同名の人が四人)を渡され、一人ひとり訪ね歩く旅に出ます。そして、最後に探り当てたルディ・コランダーは、何とかつてゼブと同僚だった男で、彼はゼブ自身がユダヤ人の家族を殺した当事者だ、と告げるのです。ゼブは絶望し自殺します。マックスはそうすることでゼブに復讐を果たしたのでした。

つまり、これも間違った記憶(あるいは操作された記憶)についての物語でした。

「ベロニカとの記憶」もまた同じように、初老の男の若き日の記憶に間違いがあったことを突き付ける内容です。

でも、「手紙は憶えている」にしろ「ベロニカとの記憶」にしろ、こんなに大事なことを人間は果たして本当に、これほどすっかりまるっと忘れるものだろうか・・

話変わって、先日、同窓会があって、50年ぶりに会った高校時代の友人に、
「そういえば昔、喫茶店であなたがタバコを吸っていて補導されたことがあったよね」という話をしたら、彼は「え、そうだっけ?」とすっとぼけています。

高校時代のけっこう大きな事件だったので私ははっきり記憶しているのですが、彼は憶えていない。「ほんとに覚えてないの?」と聞くと、「えー、ホントにそんなことあった?」と「記憶にございません」状態。まさに彼はその事件をすっかりまるっと忘れていたのでした。

ま、大したことじゃないけど、それでも人の記憶というのは、かくも曖昧で信用がおけないものなのか・・と思いました。
もしかすると、間違った記憶によって私たちも操作されてたりするのかもしれないなあ、と思ったことです。

(「マンデラ・エフェクト」がこうした記憶の間違い、あるいは勘違いについて説明を試みていることは、以前ここでもとりあげましたが…《2019年4月24日の記事参照》)

でもねえ、ナチスでユダヤ人を殺したこと、あるいはエイドリアンの相手がベロニカではなく彼女の母親だったことなんて、喫茶店でタバコを吸ったことに比べたら何百倍も大きな事件なわけで、そんな大事なことも人間てすっかり忘れるものなんだろうか。

そして、この先、老いていくにつれて、どれほどの記憶を失くしていくのだろう。
最後まで残った記憶って一体何なんだろう・・というのが目下の私の関心事ですねん。
ああ、歳はとりたくない。

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