「空中浮揚」を書いた成瀬雅春氏の本、第二弾。
「時間と空間、物質を超える生き方」(成瀬雅春著 ヒカルランド 2015年)
これもえらく面白い本です。
成瀬氏が最初にチベットを訪れたのが1977年。それから何度もチベットに行くことになるのですが、本の前半では、その間の様々な出来事を書いています。
インドのある村では、800年前の彼の前世の残留思念を感じたり、400年以上生きているエミール氏とコンタクトしたり、エミール氏がルンゴムという空中歩行術を使って十人余りの村人を率いて大きな川を渡ったことを知ったり、氷河で瞑想するためにツンモという体温コントロール法を用いたり、僧院で瞑想中に突然彼の体が床から浮き上がったりと、もう超常現象のオンパレード。
それをごく普通のことのように語る成瀬氏はやはり只者じゃない。
でも、ヨーガ行者にとっては、特段珍しいことではなく、ヨーガの修行を極めると、空中浮遊はもちろん、空中歩行も壁抜けもできるし、精神性が高くなると肉体は希薄になるといいます。
だからエミール氏は400年も生きているというのです。肉体を持った存在ではなく、すでに希薄化した存在として。
このあたりは、バシャールはじめ高次元の存在たちと同じですね。
地球は振動数(波動)の低い物質的な次元にとどまっているが、精神性を高めて振動数を上げていくと肉体は希薄になる・・
だから他の星から来た宇宙人たちには肉体を持たない者もいる・・
ヘミシンクで幽体離脱を繰り返している坂本政道氏も同じことをいっています。
まあ、信じるか信じないかはあなた次第・・というわけですが、私は信じる方です。
だって、宇宙はこんなに広いのだもの。地球の他に生命のいる星があるに決まっている。
小さな地球の上で、小さな国同士が争ってどうする、領土や資源を奪いあい、殺しあってどうする、とずっと思っていました。
でも、争うのが人間なのですね。それが人間の常で、それを経験するために、私たちは肉体を持つ存在としてここに生まれてきたのだと思います。
残念ながら、今の人類は、物質世界がすべてで、お金がなければ生きていけないと思い込まされています。
でも、人間は本来もっと大きな存在なのではないか。もっと可能性に満ちた存在なのではないか・・
その通りだ、とこの本は教えてくれます。
本の後半では、「空中浮揚術」について詳細が書かれています。これもすごく面白い。
インドでは3メートルもの高さで空中浮揚する人もいるそうです。
「ヨーガによる超常現象をシッディと呼びますが、シッディはヨーガ行者がヨーガを実践していく過程でごく普通に身につく能力です。・・」
「瞑想力が高くなると、自分が一人の人間であるという執着から離れられるのです」
「『人間』の視点で物事を捉えていると、自在に奇跡を起こすことはできません。」
「牛の視点、アリの視点、植物の視点、鉱物の視点、大気の視点、宇宙的視点を持つことで、人間離れした奇跡を起こすことが可能なのです」
「ヨーガの瞑想力があれば、国家を動かすぐらいは簡単なことです」
でも、一方で、
「奇跡を起こすには、『必然性』『必要性』が不可欠です」
とも言っています。
超常現象はヨーガの修行の一つに過ぎない。それができたからといって修行は終わりではない、その先に行かなくてはいけないのだと。
ともかく色々な意味で面白いし、興味深いし、そうなんだろうなあ、と深く腑に落ちる感覚があります。
「自分の人生に対するあらゆる答えは、外部にはありません。自分をしっかりと見据えることで、自分自身の内奥から、すべての答えが得られるのです」
「人生の最大の謎は自分。生涯をかけて知っていくべきことが「自分のこと」なのです」
ヨーガというのは自分自身を知ること。
すべての答えは自分の中にあるのですね。
なぜかふと「千と千尋の神隠し」のテーマ曲を思い出しました。
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
(「いつも何度でも」木村弓)
いやあ、人生って面白いなあ。
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