ふと、「宇宙兄弟」の中のヒビトの言葉を思い出しました。
39巻。
「俺には”帰る場所”がいっぱいあるなあ・・
あそこも・・そうかもな」
ヒビトの視線の先にあるのは、月。
彼にとって、帰る場所は地球だけじゃなくて、月もある。
宇宙飛行士というのは、究極のノマドかもしれない。
今、地球上で領土を争う戦争があちこちで勃発していますが、
どこにだって住むことができるし、帰る場所ならいっぱいある、と考えられれば、
領土争いをする必要はなくなるんじゃないか、とふと思ったのでした。
もちろん、そんなに簡単なことじゃないのだけれど。
生まれた時から摺りこまれてきた信念体系(価値観、宗教など)を変えることはすごく難しい。私たちは信念に縛られて生きているので。
でも、もしも、
世界じゅうどこにでも住めるし、地球を離れて月やアルファケンタウリにも住むことができるようになる・・
という未来を思い描くことができるなら、
そうした想像力を持てるなら、
地球のようなちっぽけな(青くて素敵だけど)銀河の辺境の惑星にしがみつく必要はないのかもしれない。
私自身、小さい頃から父の転勤で引っ越しを重ねてきたので、
見知らぬ土地に引っ越すことは、好きじゃないけど仕方のないことで、自分の力ではどうすることもできないことなのだと思って育ちました。
その場所で適応して生きていくしかない。
そういう暮らし方をしてきたので、
同じ場所に長く定住すること自体、とても不思議な感じがします。
そろそろ別の場所に引っ越さないと、どこかに行かないと、と時々、強迫観念のように思ったりもします。
これも摺り込みなので、定住派の人には定住の摺り込みがあって、引越すなんてとんでもないと思うかもしれないし、
自分の国を追われるなんて、とんでもないと思うのかもしれません。
でも、人生なんて所詮、永遠の存在から少しだけ前借りして、地球に居を構えただけのこと。
何処に行っても暮らすことはできる、
と思えば、国を死守しよう、などと考える必要もなくなるのではないか・・
もちろん、私は日本人なので日本が好きですが、どうしても別の場所で暮らさなくてはいけなくなったら、
小さい頃のように、その場所で暮らすだろうと思うのです。
住めば都で、住んでいるうちにそこが好きになってくるものです。
そしたら、ヒビトのように
「俺には”帰る場所”がいっぱいあるなあ・・」
と言えるようになるかもしれない。
考えてみれば、地球に住む私たちは、皆宇宙人。
広大な宇宙の中で、いっとき、この地球にやってきた宇宙人なのだと思うのです。
だれもが宇宙飛行士。
なので、
帰る場所はいっぱいある、
そう考えると、なんだかワクワクしてきませんか?
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