○ノートを持って旅に出る
越川 僕はね、九十年代のはじめにポール・ボウルズに会いに行きました。彼の住んでいたタンジールに二回行って、それぞれ一週間くらい滞在しました。夕方になると彼のアパートメントにノーアポでただ行く。そうしていると、色々なところからいろいろな人が来るんですよ。ジャーナリストとか写真家とかがね。そのうち十人くらいになって、お茶なんか飲みながらみんなで話す。翻訳もしたんですけれど、そういう作家との出会い、付き合いっていうのも、僕にとって影響が大きいですね。管さんは、会いたかった人はいますか?
管 そうですね、けっして会いたくはなかったけれども大きな影響を受けた作家はブルース・チャトウィンですね。実際に会ったら、たぶんすごく嫌なやつだったろうと思うけど。チャトウィンの小説に対するアプローチの仕方には、文体にも主題にも形式的な実験にも、強く印象づけられました。『ソングライン』なんて、終わりのほうはノートだけですからね。
越川 あれは死にそうだったからじゃないの?(笑)でもあのノートはすごいですよね。僕も『ソングライン』は、いま研究室にある本を十冊残して全部捨てろと言われたら、残す一冊のうちに入るかな。とんでもない本ですよね。
管 チャトウィンの文章は何度読んでも戦慄を覚えますけれど、あのぶっきらぼうなくらいシンプルな文体を学んだのがヘミングウェイなんですよね。特に初期短編集の『49短編集』をつねに鞄に入れていた。
越川 でもヘミングウェイなんかよりずっといいと思うけどなあ。確かに、初期の頃の、ニック少年を主人公にした短編集は素晴らしいと思うけど、正直、『老人と海』など、どこがいいのかさっぱりわからない(笑)。何回読んでも好きになれないんですよね……。ジャック・ケルアックもそうです。青山南さんには悪いけど、僕は三十ページくらいまでしか読めませんね。
管 そうかあ、ぼくはヘミングウェイの文体は大好きだけどなあ。ケルアックというと『オン・ザ・ロード』のことですか?
越川 僕は、あれはちょっとね。ドルの優位性にあぐらをかいた自己満足という意味で、文化的なマスターベーションだと思うんですよね。そういう要素が自分にもあるから嫌なのかもしれないけど……。
管 僕も『オン・ザ・ロード』はずっと読めなくて、何でここまでラディカルに退屈なものをみんなよろこんで読むんだろうって思っていたんですよ。ところがあるとき、マット・ディロンが全文を朗読したCDを買ってダラダラと聴いていると、そのおもしろさがわかった気がした。車の運転とかしながら聞くといいんです。友達と長距離ドライブをしていて、疲れ果てて何も話すことがなくなったときに初めて出てくる思いがけない思い出話ってあるでしょう。そんな作品だと思います。
越川 じゃあ、読んじゃいけない本なんだね(笑)。『本は読めないものだから心配するな』がここで効いてくる訳だ! なるほど、今日は勉強になりましたー(笑)。
ついでに言うけれど、ケルアックにメキシコ・シティを舞台にした『Tristesa』っていう中篇があるんです。当地に滞在していたときに、この場所で読んだら意見が変わるかなと思ったんですが、結局すっごくつまらなかった(笑)。こんなものをメキシコ人が読んだら怒るぞ、と思いましたね。素朴なアメリカ人が読んだら「メキシコってこんなところなんだ」と思うかもしれないけど。自意識の欠如した、ただの観光客のような視線が嫌でした。
管 ああ、なるほど。彼の小説で一番面白いと思うのは、『The Dharma Bums』という作品があるでしょう? ゲイリー・スナイダーがモデルになっているという。あれはすごくいいですね。完全にフィクションの人物より、ずっとおもしろい。
会場: 越川さんは、外国に行かれると市場と墓場に必ず行かれるそうですが、その理由をお聞かせ願えますか?
越川 市場っていうのは食い物がある場所ですよね。生きていくために必要なものが売っている、人の欲望があらわれる場所ですね。世界中どこの市場に行ってもにぎわってるし、何も買わなくても楽しいところだと思います。あとは墓場。死っていうのは、我々がみな必ず行き着く終着駅、ターミナルじゃないですか。墓場に行くと、その土地の人たちが死者たちをどのように扱っているかがわかって、とても面白いですね。死者を手厚く扱っているところは生者にも優しい。メキシコの一番南のチアバス州のサン・クリストバルという標高の高い街から車で三〇分くらいのところにチャムラという先住民の村があります。そこの墓地が面白かったです。そこの墓地にはいろいろな色の十字架が埋まっているんですよ。黒は老人、青は若者、子どもは白とか。面白いのはね、墓地のまわりがなんだか汚いんですよ。コーラのビンやペットボトルなんかが散らばっている。どうも、死者はコーラとか、炭酸が好きらしいんです(笑)。だから、空瓶はゴミじゃなかったんです。先祖へのもてなしかたとかも、墓場を見ればわかりますし、面白いですね。メキシコには十一月一日に死者の日というのがあって、是非そこに行かれるといいと思います。お墓を花で飾り立てて、食べ物を置いて、家族が集まる行事になっています。日本にいたときはお墓などに興味はなかったんですが、メキシコに行ってその重要さを再認識しました。
会場:旅をするときには、現地で本を出会ったり、以って行かれたりするのでしょうか? それとも、旅をされるときには読書はされませんか?
管 僕は旅をしているときもしていないときも、常に十冊くらい本を持ち歩いています。習慣ですね。旅先でも本屋に行きますから、そこでの本との出会いももちろんあります。でも実際に移動中に読むかというと、あまり読まないですね。ぱらっと開いてはあるページが「よく書けてるなあ」と感心したりとか、その程度です。でもそんな印象が思いがけないところで変なつながり方をし、新しい方向性を感じることがある。それに導かれるようにして別の場所に行ったりすると、また新しい発見があったりします。昔からメアンドルシェルシュという造語で呼んできたのですが、それはメアンドル(曲がりくねった)とルシェルシュ(探求)の合成からなる、方法なき方法論。いつもそうです。
越川 この前キューバ映画祭のために二泊三日で北海道に行ったのですが、一日に四本くらい映画を観て、寒い時期だったからホテルの部屋で本ばかり読んでいました。だからその旅では、北海道の風景はほとんど見ていないんですよね。そういう旅もあれば、旅先では本など読まずに人と会ったり体験したりすることを重要視することもあります。旅に本を持って行くかどうか。これは難しい選択ですね。最近、本は置いていくことが多いです。本に頼らずに、自分の経験を書き留めることにしている。本は帰ってきてから読む。だから、旅にノートはたくさん持っていきます。去年の夏一ヶ月ほどキューバにいたんですが、僕のノートパソコンではネットもメールもできないんですよ。ホテルのロビーに一時間くらい並べばメールぐらいできるんですが、それも何だか馬鹿馬鹿しい。だから、まるまる一ヶ月ネットもメールもやらずに過ごしました。すごく新鮮でした。そのとき経験したアフリカ的な儀礼や、魔術的な治癒の仕方などをノートに書き綴って過ごしましたが、そんな旅もありますね。
司会 本日はありがとうございました。
(「図書新聞」2010年6月5日)
越川 僕はね、九十年代のはじめにポール・ボウルズに会いに行きました。彼の住んでいたタンジールに二回行って、それぞれ一週間くらい滞在しました。夕方になると彼のアパートメントにノーアポでただ行く。そうしていると、色々なところからいろいろな人が来るんですよ。ジャーナリストとか写真家とかがね。そのうち十人くらいになって、お茶なんか飲みながらみんなで話す。翻訳もしたんですけれど、そういう作家との出会い、付き合いっていうのも、僕にとって影響が大きいですね。管さんは、会いたかった人はいますか?
管 そうですね、けっして会いたくはなかったけれども大きな影響を受けた作家はブルース・チャトウィンですね。実際に会ったら、たぶんすごく嫌なやつだったろうと思うけど。チャトウィンの小説に対するアプローチの仕方には、文体にも主題にも形式的な実験にも、強く印象づけられました。『ソングライン』なんて、終わりのほうはノートだけですからね。
越川 あれは死にそうだったからじゃないの?(笑)でもあのノートはすごいですよね。僕も『ソングライン』は、いま研究室にある本を十冊残して全部捨てろと言われたら、残す一冊のうちに入るかな。とんでもない本ですよね。
管 チャトウィンの文章は何度読んでも戦慄を覚えますけれど、あのぶっきらぼうなくらいシンプルな文体を学んだのがヘミングウェイなんですよね。特に初期短編集の『49短編集』をつねに鞄に入れていた。
越川 でもヘミングウェイなんかよりずっといいと思うけどなあ。確かに、初期の頃の、ニック少年を主人公にした短編集は素晴らしいと思うけど、正直、『老人と海』など、どこがいいのかさっぱりわからない(笑)。何回読んでも好きになれないんですよね……。ジャック・ケルアックもそうです。青山南さんには悪いけど、僕は三十ページくらいまでしか読めませんね。
管 そうかあ、ぼくはヘミングウェイの文体は大好きだけどなあ。ケルアックというと『オン・ザ・ロード』のことですか?
越川 僕は、あれはちょっとね。ドルの優位性にあぐらをかいた自己満足という意味で、文化的なマスターベーションだと思うんですよね。そういう要素が自分にもあるから嫌なのかもしれないけど……。
管 僕も『オン・ザ・ロード』はずっと読めなくて、何でここまでラディカルに退屈なものをみんなよろこんで読むんだろうって思っていたんですよ。ところがあるとき、マット・ディロンが全文を朗読したCDを買ってダラダラと聴いていると、そのおもしろさがわかった気がした。車の運転とかしながら聞くといいんです。友達と長距離ドライブをしていて、疲れ果てて何も話すことがなくなったときに初めて出てくる思いがけない思い出話ってあるでしょう。そんな作品だと思います。
越川 じゃあ、読んじゃいけない本なんだね(笑)。『本は読めないものだから心配するな』がここで効いてくる訳だ! なるほど、今日は勉強になりましたー(笑)。
ついでに言うけれど、ケルアックにメキシコ・シティを舞台にした『Tristesa』っていう中篇があるんです。当地に滞在していたときに、この場所で読んだら意見が変わるかなと思ったんですが、結局すっごくつまらなかった(笑)。こんなものをメキシコ人が読んだら怒るぞ、と思いましたね。素朴なアメリカ人が読んだら「メキシコってこんなところなんだ」と思うかもしれないけど。自意識の欠如した、ただの観光客のような視線が嫌でした。
管 ああ、なるほど。彼の小説で一番面白いと思うのは、『The Dharma Bums』という作品があるでしょう? ゲイリー・スナイダーがモデルになっているという。あれはすごくいいですね。完全にフィクションの人物より、ずっとおもしろい。
会場: 越川さんは、外国に行かれると市場と墓場に必ず行かれるそうですが、その理由をお聞かせ願えますか?
越川 市場っていうのは食い物がある場所ですよね。生きていくために必要なものが売っている、人の欲望があらわれる場所ですね。世界中どこの市場に行ってもにぎわってるし、何も買わなくても楽しいところだと思います。あとは墓場。死っていうのは、我々がみな必ず行き着く終着駅、ターミナルじゃないですか。墓場に行くと、その土地の人たちが死者たちをどのように扱っているかがわかって、とても面白いですね。死者を手厚く扱っているところは生者にも優しい。メキシコの一番南のチアバス州のサン・クリストバルという標高の高い街から車で三〇分くらいのところにチャムラという先住民の村があります。そこの墓地が面白かったです。そこの墓地にはいろいろな色の十字架が埋まっているんですよ。黒は老人、青は若者、子どもは白とか。面白いのはね、墓地のまわりがなんだか汚いんですよ。コーラのビンやペットボトルなんかが散らばっている。どうも、死者はコーラとか、炭酸が好きらしいんです(笑)。だから、空瓶はゴミじゃなかったんです。先祖へのもてなしかたとかも、墓場を見ればわかりますし、面白いですね。メキシコには十一月一日に死者の日というのがあって、是非そこに行かれるといいと思います。お墓を花で飾り立てて、食べ物を置いて、家族が集まる行事になっています。日本にいたときはお墓などに興味はなかったんですが、メキシコに行ってその重要さを再認識しました。
会場:旅をするときには、現地で本を出会ったり、以って行かれたりするのでしょうか? それとも、旅をされるときには読書はされませんか?
管 僕は旅をしているときもしていないときも、常に十冊くらい本を持ち歩いています。習慣ですね。旅先でも本屋に行きますから、そこでの本との出会いももちろんあります。でも実際に移動中に読むかというと、あまり読まないですね。ぱらっと開いてはあるページが「よく書けてるなあ」と感心したりとか、その程度です。でもそんな印象が思いがけないところで変なつながり方をし、新しい方向性を感じることがある。それに導かれるようにして別の場所に行ったりすると、また新しい発見があったりします。昔からメアンドルシェルシュという造語で呼んできたのですが、それはメアンドル(曲がりくねった)とルシェルシュ(探求)の合成からなる、方法なき方法論。いつもそうです。
越川 この前キューバ映画祭のために二泊三日で北海道に行ったのですが、一日に四本くらい映画を観て、寒い時期だったからホテルの部屋で本ばかり読んでいました。だからその旅では、北海道の風景はほとんど見ていないんですよね。そういう旅もあれば、旅先では本など読まずに人と会ったり体験したりすることを重要視することもあります。旅に本を持って行くかどうか。これは難しい選択ですね。最近、本は置いていくことが多いです。本に頼らずに、自分の経験を書き留めることにしている。本は帰ってきてから読む。だから、旅にノートはたくさん持っていきます。去年の夏一ヶ月ほどキューバにいたんですが、僕のノートパソコンではネットもメールもできないんですよ。ホテルのロビーに一時間くらい並べばメールぐらいできるんですが、それも何だか馬鹿馬鹿しい。だから、まるまる一ヶ月ネットもメールもやらずに過ごしました。すごく新鮮でした。そのとき経験したアフリカ的な儀礼や、魔術的な治癒の仕方などをノートに書き綴って過ごしましたが、そんな旅もありますね。
司会 本日はありがとうございました。
(「図書新聞」2010年6月5日)