越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

「世界政府(その1)」第八回目

2011年01月20日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

「口実をさがして ウィリアム・ウォーカー登場」

 ジョン・ラフランドは、「クーデターのテクニック」という記事の中で説明する。
 
 「米外交問題評議会のメンバーであり、エル・サルバドル(その政府は合衆国のサポートを受けていた)駐在の前米大使であるウィリアム・ウォーカーこそ、死の部隊を作ったのである」

 1985年、ウォーカーは中米担当の国務次官補で、ニカラグア政府の転覆をはかったレーガン政権のキーパーソンだった。

 オリヴァー・ノース中佐は、1986年11月25日に国家安全保障委員会のメンバーに任命され、86年11月25日に除名されたが、レーガン政権の高官として、イランへの武器売却の利益を用いたニカラグラの反政府組織(コントラ)への秘密援助にかかわった。

 公式記録によれば、ウォーカーはエル・サルバドルのイロパンゴの空軍基地での偽りの人道的作戦を立てた。

 それは、ニカラグラを攻撃しようとしているコントラの傭兵に武器やコカイン、弾薬、食糧を密かに提供するものだった。
 
 ウォーカーは、ニカラグラでコントラに武器を手渡していたのに、こんどは平和主義者に変身して、世界のマスコミに向かって、自分はセルビアの警察による「これ以上ないほどおぞましい虐殺」を見たのであり、セルビアの警察は非難されるべきだ、と大げさに述べた。

 セルビアは、そのときまで、北大西洋条約機構とビルダーバーグの挑発を巧みにかわしていたが、ついに屈服した。「大虐殺」と申し立てられた事件が介入の口実となった。

 1月30日に、北大西洋条約機構理事会は、爆撃を承認した。

 ビルダーバーグは事務総長ハビエル・ソラナに、「セルビアの代表とアルバニア民族の代表とをフランスでの「和平」交渉の座につかせ、コソヴォの「自治」の枠組みについて話し合うために、軍隊を使うこと」を命じた。

 8月4日付け『ワシントン・ポスト』紙の記事は、たった一つのことが政策の転換を促すことがある、と述べた合衆国国防省の上級士官の言葉を引いている。

 「私が思うに、もしあるレベルの耐え難い残虐行為にまで手が届くことになったら、それが起爆装置になるだろう」

 有益な歴史的な参照点として、セルビア人が最悪の民族浄化の犠牲者であったことを思い起こすべきだろう。

 1995年、合衆国による援護を受けた*『嵐(ストーム)作戦』[ボスニア・ヘルツェゴビナ軍と共に、クロアチア軍によって展開された]の最中、20万人以上のセルビア人がクロアチアのクラジナ地方で抹殺されたり、北大西洋条約機構による爆撃後、10万人以上のセルビア人が「コソヴォ解放軍」によってコソヴォで抹殺されたりした。
 
 言うまでもなく、新世界秩序におけ正義の機関である国際裁判所が、そうした残虐行為の張本人たちを裁判にかけることなど、一切ない。

 「彼らは知っていたに違いない。

 他に、どうして英国王室をわざわざ誘いだして、儲かるアヘン貿易以外に何の価値もないその地域で軍隊を維持させることなどあるだろうか。
 
 そんなに遠い国で軍人たちを維持するのは、高くついた。
 
 きっと女王陛下は、なぜ軍隊がそこにいるのか、と尋ねたに違いない」
 
 そう疑問を投げかけるのは、『三〇〇人委員会――陰謀者たちの権力構造』の著者、ジョン・コールマン博士だ。