「人間がただ一つの人格だけで生きるのは難しいと、私は昔からずっと分かっていたように思う」と言ったのは、アイルランドの鬼才、小説家のコラム・マッキャン。人間は誰しも、多重人格の要素があるようだ。マッキャンの言葉を裏付けるかのように、私もメキシコをはじめとする中南米やカリブ海では、「ロベルト・コッシー」と呼ばれ、2013年、キューバのハバナで修行をおこない黒人信仰<サンテリア>の司祭<ババラウォ>の資格を取得(ヨルバ協会公認)。2014年9月 明治大学体育会サッカー部副部長就任。2015年4月 部長就任(予定)。ただし、前部長・別府昭郎教授と同様、サッカーに関してはまったくのド素人。もっぱら学生諸君の学業や大学生活のサポート、大学とのパイプ役の仕事、試合観戦などに専念。若い学生諸君から学ぶことはとても多い。
3月某日(日)
白雲なびく 駿河台 眉秀でたる若人が
撞くや 時代の暁の鐘
鼻歌を歌いながら向かう先は、白雲なびく八幡山グラウンド。曇りどきどき晴れ。風はなく、暑くもなく寒くもない。
選手は10時からトレーニングマッチ。Y高校と40分X4本、2時からJ1のKユースと40分X3本と聞いた。
新宿の喫茶店で、少し仕事を済ませてから、お昼前にグラウンドに到着。すでにY高校との試合が半分終わり、残りの試合が始まるところ。
グラウンドのかたわらで、池上礼一コーチが試合に出る選手たちに指示を与えている。主務の西原天童君(政経学部4年)が出場するようだ。西原君はサッカー以外にも、スタッフ、選手、学連との連絡係として、本当によくやってくれている。
練習試合には、大勢の選手が出る。けが人を除いて、すべての部員に活躍の場が与えられるのは、すばらしい。
三浦佑介ヘッドコーチによれば、Kユースとの試合に出たチームは、いま神川明彦・ユニバーシアード監督と一緒にスペインに遠征している全日本大学代表に選ばれた5人(和泉竜二君、山越康平君、高橋諒君、差波優人君、室屋成君)を除いての、ベストメンバーだという。高校生が相手とはいえ、めっぽう強い。5人の代表選手が戻っても、果たしてレギュラーの座を取れるのか。外で武者修行している選手たちには、大きく成長して帰ってきてほしいと思うと同時に、準レギュラークラスの選手たちの反骨精神にも期待したい。
試合の合間に、新1年生の何人かと言葉を交わす。川邉駿太郎君(大分出身、農学部)、伊藤克尚君(広島出身、商学部)、村田航一君(宮崎出身、法学部)、渡辺悠雅君(東京出身、経営学部)。2月に練習を見にきたときは、富田光君(愛知出身、文学部)や橋岡和樹君(埼玉出身、文学部)、長沢祐弥君(静岡出身、政経学部)、上夷克典君(鹿児島出身、商学部)と話した。あと数名とはまだ話していないが、4月までには全員と言葉を交わしたい。まず1年生13名の顔を覚えることが自分の課題。
新1年生は、2月1日から、すでに寮生活を始めている。それでも、井澤千秋ゼネラルマネージャーは、高校の行事を最優先させなさい、と指示している。
明治大学のサッカー部は「文武両道」がモットー。学業とスポーツの二刀流を極めることを求められる。
「ヒポクラテスによれば、医学しか知らない者は、医学について何も知らないのと同じだ。そして、サッカーしか知らない者は、サッカーについて何もわかっていないのだよ」(セサール・ルイス・メノッティ、元アルゼンチン代表監督)*(1)
「どう(練習と寮生活に)もう慣れた? 明治に来てよかったの?」との質問に、川邉君は「ここで自分が成長できそうに思うのでよかったと思います」と、優等生的な受け答え。どうしてそう思うの? と、突っ込むと、「いろいろと仕事をこなさなければいけないので」との返事。1年生は、サッカー以外にもいろいろと気を使って大変なのだ。川邉君は、試合中フェンスを越えて飛んでいくボールを一生懸命拾いにいっていた。生田の農学部所属なので、4月から授業とクラブで大変だろうが、しっかり受け答えできているので、きっと大丈夫だろう。
同じく「九州の点取り屋」(出典不明/たぶん高校サッカー誌)の異名をとる村田君には、よく明治に来たね。ほかからもいろいろと誘われたんじゃないの? とちょっと意地悪な質問をする。「高校2年のときに、練習に参加させてもらって、ずっと明治に来たかったので」とのうれしい返事。村田君も、自分の試合のあとは、旗を持って次の試合の副審をまじめにやっている。
午後4時すぎに、試合もすべて終わる。私もグラウンドを後にして、原稿のつづきを書くために新宿の喫茶店へ向かう。
*注(1) シュルツ=マルメリンク『ペップの狂気』(カンゼン、2014)16ページより。
写真(上)MF富田光君のシュート 写真(下)試合後に、三浦佑介ヘッドコーチの指示に耳を傾ける選手たち