越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ロベルト・コッシーのサッカー部長日記(25)

2015年10月08日 | サッカー部長日記

(写真:神大のシュートをぎりぎりで防ぐGK服部 (c)明大サッカー部マネ—ジャー日記)

10月3日(土)  

千葉の東総運動場で、第1試合(11時半より)に神奈川大学との試合があった。なんでこんなところまで?と思えるくらい東京からは遠い。むしろ、私の実家、銚子からほんの目と鼻の先である。母親の実家が旭市なので、そこからはもっと近い。逆に言うと、選手=学生たちがかわいそうだ。会場の設定や運営を取り仕切る学連のスタッフ(おもに学生)の努力にも頭がさがる。  

「明スポ」の最新号に、「聖地なき大学サッカー」というタイトルのコラムが載っていて、その通りだと思った。六大学野球には神宮球場があり、大学ラグビーには秩父宮があるのに、大学サッカーにはメインとなる球場がないのだ。確かに、関東では西が丘があるが、使える回数がひどく限られている。  

これは日本サッカー協会が大学サッカーを軽視していることの証しである。

「聖地」は、求心力を生み出す。選手だけでなく、一般の観客の心もそちらへ向かう。マスコミも扱いやすくなる。  

人々の目は、つねに代表チームにいくが、代表チームを本当に強くしたかったら、下部の組織を強化しなければダメである。つまり、下部の層が厚ければ厚いほどよいということだ。そんなことは素人でも分かるのに。  

ユース、高校のサッカーに力を入れても、大学のサッカーには力を入れない。日本サッカー協会はバランスがわるい。大学を経て、Jリーグに入り活躍している選手が大勢いるというのに。次の長友や武藤を輩出したかったら、はやく「聖地」を作るべきではないか。    

さて、神奈川大戦である。あとで振り返ると、神大は明治をよく研究してきた。研究してきただけでなく、それをよく実行した。それは、一言で言えば、守備におけるプレスということではないか。中盤から激しい当たりで、明治に自由にボールをまわさせない。明治は、仕方なく後ろにまわすか、中盤でのパスまわしを省略して前にロングボールを蹴らざるを得ない。  

神大は、180センチ大の選手を大勢そろえていて、ゴール前にボールをあげても簡単に弾かれる。  

前半は、最初のうちだけ道渕諒平(農3)や瀬川祐輔(政経4)が攻めあがりはしたが、そのうち攻撃の手を失って防戦一方。それでも、ゼロで抑えて後半を迎える。ハーフタイムでは、三浦ヘッドコーチから、守備から攻めへの切り替えを早くするように、との指示がある。スローイングをはじめ、リスタートがのろい。それで、相手の守備網に引っかかっている、と。  

栗田監督からは、こういう内容の悪い試合でも、まだゼロで抑えていることをポジティヴに捉える発言がある。こういう悪い流れでも、最後には勝つことも覚えようというわけだ。監督はこの試合だけを考えているわけではない。選手とチームの「成長」をつねに意識している。

後半は、向こうも脚が止まってくるはずだから、チャンスは来る、と。  

栗田監督の予想通り、後半30分を過ぎると、明治が攻め込む時間が長くなり、流れは明治にきた。あとはFWの誰かが得点を入れるだけ。後半16分には、道渕に代わり櫻井敬基(政経2)を、35分には藤本佳希(文4)の代わり土居柊太(政経2)を、45分+ロスタイムには早坂龍之介(法3)の代わりに丹羽詩温(文3)を投入し、攻撃モードを加速させるも、いま一歩及ばず、0-0の引き分けに終わった。  

きょうのヒーローは、強いて言うなら、GKの服部一輝(法3)だろうか。前後半に一回ずつ、枠内にとんだシュートをぎりぎりで防いだシーンがあった。その他にも、よく声をだして、選手とコミュニケーションをとっていたし、DF陣のリーダー山越康平(法4)と一緒に落ち着いてプレーをしていた。  

試合後、選手たちに「君たちは優勝したいの?」と2度聞いた。答える選手の声が小さかったからだ。別に選手を叱ったわけでも挑発したわけでもない。いまは苦しいかもしれないけど、最後には「優勝して笑いたいの?」と聞いただけである。噴火や地震をおこす火山性マグマは困るが、選手たちの心の中のマグマはそろそろ活発になってほしいものである。

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ロベルト・コッシーのキューバ紀行ーー2015年(5)死者の声

2015年10月08日 | キューバ紀行

(写真:パンの木の実 ハバナのラリサ地区)

死者の声      

越川芳明

ビクトルの母親が亡くなったらしい。ある朝、師匠が私にそう告げた。ビクトルは師匠の子供の頃からの親友である。実は、ビクトルも司祭歴10年のババラウォである。  

若い頃は商船の船員をしていて、日本をはじめアジアにも旅したことがある。スペイン語以外にも、英語も堪能だ。プッシーとか、人前で絶対に言ってはいけないスラングもいろいろと知っているが、もちろん、普段はそんな言葉は使わない。  

ハバナのマリアナオ地区にあるビクトルの母親の家は、何度か訪ねたことがある。広い通りに面した小さな二階建ての家で、周囲に金網を張り巡らしていた。金網には植物の蔓が巻きついて、日除けの役目を果たしている。  

私と師匠は、乗り合いタクシーを降りると、ビクトルの家まで歩いていく。儀式の前にちょっと寄っていくのである。入口のドアのすぐ向こうにある小さな部屋で、冷たい水をもらい、喉をうるおしながら仕事の打ち合わせや世間話をする。そんなときに、母親が奥の部屋からぬっと顔を出して、私たちと挨拶をかわす。  

彼女がどんな顔つきをしていたのか、思い出そうとしても、記憶がはっきりしない。むしろ、彼女はすでに死者の仲間入りをしているかのように影が薄い存在だった。  

人間の死をめぐっては、あるアメリカ作家が面白いことを言っていた。その作家によれば、人間は長く生きていると、魅力的な穴があいてきて、その穴から死者たちが招き入れられるのだという。体の中が死者たちで一杯になったら、その人間は死ぬ。死んだ人間はどうなるのか。別の人間の魅力的な穴を見つけ、その中に招き入れられるのだという(1)。

ハリウッドであれば、ゾンビ映画に仕立てそうなこの発想には、はっとさせられた。いつの頃からか、私は生きている人より死んだ人のほうに惹かれるようになった。果たして、私には魅力的な穴はあいているのだろうか?  

夕食をとってから、私たちはマリアナオ地区へ向かった。師匠のパートナーと、高校三年生の娘も一緒である。外はすでに真っ暗だった。  

薄暗い葬儀場の前の通りには、いくつかのグループが散らばって、ひそひそ話をしていた。まるで獲物を襲ったあとのハイエナみたいに未練が残り、その場から立ち去れないでいるようだった。  

私と師匠だけが外の石段をのぼり葬儀場の中に入っていく。師匠は奥まった方へ廊下をどんどん歩いていく。すると、右手に壁を取り払った葬儀室が見えてくる。棺が上座に置かれている。棺に直角をなすように2列に親類縁者が向かい合うようにすわっている。廊下にも椅子がおいてあり、葬儀室に入りきれない人々がすわっている。音楽はいっさいかかっていない。人々の囁き声だけが、夏の夜の虫の音のように耳に響いてくる。  

ビクトルは廊下の椅子にすわっていた。師匠と私はそこまでに歩いていき、一人ずつビクトルとハッグをした。彼は赤い目を腫らしている。私はティッシュに包んだ紙幣をポケットから出して、ハッグするときに彼にそっと手渡した。ビクトルは、何のことか分からず一瞬ためらったが、それを受け取った。キューバには香典という考えはないのかもしれない。 でも、そんなことはどうでもいい。 

私たちは棺までいき、蓋があいているところから、ビクトルの母親の死化粧を見た。私は、そのとき初めてビクトルの母親の顔を見たような気がした。乾いた肌に白粉が塗られていて、古びたチョコレートみたいだった。黒地に白っぽい粉が浮いている。頬と唇にうっすらと紅をさしていた。でも、死者の顔には、まるで永遠の生命力があるかのようだった。きっとこうした生命力のある死者が、魅力ある生者の中に招き入れられるのだろう。  

私たちは空いている席にすわった。となりの葬儀室でも、静かに死者との最後の夜を過ごしていた。  

しばらくすると、師匠が立ち上がった。私たちはもはやビクトルには挨拶せずに外に出た。師匠のパートナーと娘が待っていた。彼女たちはやって来たものの、死者と対面するのが怖いと言う。ちょっとしんみりとなった。外にいる人たちはその場から立ち去れないのではなく、彼女たちと同じ理由で中に入れないのかもしれなかった。  

私は景気づけにある提案をした。近くの店でアイスクリームをおごる、と。それはひょっとしたら、私の口を借りて出たビクトルの母親の声だったかもしれない。アイスクリームと聞いて、二人の女性の顔には笑みが浮かんだ。  

註1 ハリー・マシューズ(木原善彦訳)『シガレット』(白水社、2013)、369ページ。

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