越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

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映画評  ティアオ・イーナン監督『薄氷の殺人』

2014年12月08日 | 映画

変わりゆく中国の暗闇  ティアオ・イーナン監督『薄氷の殺人』

越川芳明    

中国語の原タイトルの意味は『昼の花火』。「黒い石炭、薄い氷」という意味の英語のサブタイトルがついている。『薄氷の殺人』という邦題は、英語のサブタイトルからヒントを得たらしい。市場経済の導入により急速に変わりゆく中国で、ごく普通の人間がある出来事をきっかけにして自分でも信じられないような凶悪な犯罪に手をそめてしまう。邦題は、そうした中国のあやうい日常をたくみに示唆する。  

花火は真っ黒な夜空を背景に打ち上げてこそ美しく映える。昼の花火のシーンは、マンションの廊下で飼われている馬のシーンと同様、シュールで非現実的な雰囲気が漂う。  主人公は二人。刑事のジャンと、容疑者である若く美しい女・ウー。刑事が視点人物となり、女性を追跡する。だが、彼らは同じ穴のムジナだ。というか、鏡に映るもう一人の自分だ。  

刑事ジャンは妻から離縁状を突きつけられ、ばらばら死体事件の捜査に出向いても、心ここにあらずの状態だ。死体の一部が発見された貯炭場で、工場主任に話を聞きながら、足下にある空瓶を蹴るジャン。コンクリートの床の上をうつろで無機質な音を立てて転がる空瓶が、彼の空虚な心を表す。  一方、町のクリーニング店で働くウーは、夫が何者かに殺されたらしい。ばらばらにされた死体はウーの住む華北地方だけでなく全国各地の貯炭場に運ばれ、そのうちのどれかで夫の身分証明書が見つかったという。同僚刑事とウーを訪ねたジャンは、彼女が店の前の木のねもとに夫の遺骨を埋めているのを目撃する。ウーもまた、伴侶を失った孤独な人間に映る。  

ジャンは、逮捕したある兄弟に銃で撃たれ怪我を負う。そのため、刑事から警備員へと転職を余儀なくされる。それが一九九九年のことである。映画はそこから一気に二〇〇四年へと移り、一介の市民として、昔の同僚刑事に協力するジャンを描く。  

ここで、二つの大きな疑問が生じる。なぜ時代設定は、一九九九年と二〇〇四年なのか。なぜ舞台は華北地方の田舎の都市なのか。それらは、互いに関連しているように思える。  最初の疑問点から考えてみよう。七〇年代から始まった中国の改革開放政策は、成長と後退をくり返しながら、九九年、WTO加盟の事実上の合意によって一気にグローバル化の波に乗った。経済成長の指標ともいうべき国内総生産GDPの伸び率は、一九九九年の七・六パーセントから二〇〇七年まで右肩上がり。ちなみに、二〇〇七年は一九九九年の約二倍にまでになる。だから、一九九九年から二〇〇四年という時代設定は、そんな経済成長の最初のステージを監督が敢えて選んだということを意味している。  

そのことが二つ目の疑問にかかわってくる。急激な経済成長によって生み出される格差が顕著に現われるのは、北京や上海のような大都市ではなく、大多数の農民が暮らす田舎である。経済成長がピークに達した二〇〇七年、上位十パーセントの高所得層と下位十パーセントの低所得層の平均世帯収入の格差は約五十五倍であったという報告もある。こうした経済格差が、改革の波に乗れない住民のあいだに不満と不安を募らせるのは、言うまでもない。  

映画の中の二〇〇四年は、誰も彼もが浮かれている。とりわけ、役人と癒着して経済自由化の波に乗った新興実業家ジャオ・ジェンピンは、いわば典型的な「勝ち組」で、貿易商を経ていまはネットカフェを経営している。「税務局」にワイロをつかませているようなことを匂わすし、違法賭博で莫大な金を賭けていて、「昨夜は十万元勝った」とまで、うそぶく。二〇一四年でさえ、全世帯平均年収は、一万八千元であるというから、いかに法外な数字であるかが分かる。  

さらに、かつて「負け犬」扱いされていたジャン自身の羽振りも、なぜか二〇〇四年には良くなっている。殺人事件に関係あると睨んだ傷んだ革ジャケットを一千元も払ってクリーニング屋から引き取るのだから。  

一方、ウーは、自分がダメにしてしまった高級革ジャケットの持ち主から二万八千元の弁償金を要求されている。彼女は、二〇〇四年でもクリーニング屋の店員をして暮らしている。いわば「負け組」のウーにとって、まわりの世界は「昼の花火」同様、シュールかつ不条理に映るに違いない。ジャンにしても、警察に協力して犯人逮捕の「手柄」を立てるが、それでもダンスホールでイカれたステップで踊る彼の姿からは、決してまともな未来はみえてこない。  

「勝ち組」にとっても、「負け組」にとっても、バブル景気は束の間の夢のように儚いものだ。監督自身は、インタビューでこう言っている。「私の描くキャラクターは全員、生きることと夢の狭間を彷徨っている。彼らの人生は危なっかしい。人生を欺いていると言ってもいい。私は彼らに大いに共鳴する」と。  薄い氷の上を歩くような登場人物たちのあやうい人生をサスペンスタッチで描いた傑作だ。

(『すばる』2015年1月号)


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