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映画評『バーニー みんなが愛した殺人者』

2013年06月06日 | 映画

スモールタウンとしての「アメリカ」の悲喜劇

『バーニー みんなが愛した殺人者』 監督/リチャード・リンクレイター

越川芳明

 

 テキサス州のカーセージというスモールタウンを舞台にした映画だ。

 ニューヨークやシカゴ、ロサンジェルスなど、さまざまな人種の混在している国際的な大都市と違い、アメリカの片田舎にたくさん存在するスモールタウンは、人口が一万人に満たない小さな共同体だ。住民は均質的で、人種的には白人中心、思想的には保守、宗教的にはプロテスタント一色だ。

 たとえば主人公バーニーが、富豪の夫と死別し多額の遺産を持つマージョリーと一緒に行くメキシコ料理店は出てきても、メキシコ人は出てこない。黒人も唯一、マージョリーの庭の手入れを任されている男が出てくるのみだ。

 スモールタウンは住民たちが素朴で人が良い反面、ポピュリズムやナショナリズムに染まりやすく、アメリカらしさが一番色濃く出る土地でもある。家の台所事情も隣近所に筒抜けで、ちょっとでも変わったことがあるとゴシップが渦巻く。

 カントリー・ウェスタンの殿堂博物館があるようなある種マッチョな町で、マッチョでないことで愛される男が、この映画の主人公バーニーである。通常は女々しいとして毛嫌いされそうな男が、しかも、のちにマージョリーを殺してしまう「殺人者」が、なぜ皆から愛されるのか。言い換えるならば、この映画の提示する最大の皮肉は、この事件で名を上げたい地検のダニーを唯一の例外として、町の者が誰一人として、バーニーを憎んでいないということだ。

 この映画は、全米から注目を浴びた実在の殺人事件とその裁判を基にしている。主人公バーニー・ティーディは三十代後半の独身男性。ある葬儀社の助手として働いているが、その仕事は細やかで繊細だ。かたや、マージョリー・ニュージェントは石油で財を成した大富豪の老夫人。大富豪が亡くなり、バーニーはその葬儀でマージョリーに会い、それとなく彼女の世話を焼いているうちに気に入られる。やがて葬儀社を辞めて、運転手や執事として、あれやこれや彼女の身辺の面倒を見るようになる。五十年もの間、友達一人いなかった老夫人は心を開き、バーニーに遺産を譲るという遺書を作成。また、財産を自由に使用する代理権も彼に与える。バーニーは夫人の旅のお伴もするようになり、ファーストクラスでの移動、マンハッタンの高級ホテルでの宿泊など、さまざまな贅沢を味わう。ところが、葬儀社の社長の証言によれば、独占欲の強い夫人に「絶対服従」を強いられていたというバーニーは、あるとき発作的に夫人を銃殺してしまう。死体を冷凍庫に入れたまま九ヵ月のあいだ嘘をつきつづけるが、最後には、殺人が発覚する。

 リンクレイター監督が、そうした実話ドラマの進行の中に、三十名以上の市民たちの証言を差し挟んだのは、興味深い試みだった。

 ある老女は、殺人を犯したバーニーに対して、「もしカーセージで天国に行ける人のリストを作ったら、彼はそのリストの一番目に来るわ」と、賞賛する。一方、マージョリーは、誰からも「性悪女」として嫌われている。レノーラという中年女性は、「マージョリーは愛想が悪い」と唾棄するように言い、「もし彼女を撃ち殺せと頼まれたら、五ドルで請け負う人もいたはずよ」と付け加える。

 アメリカンドリームとは成功の夢であり、アメリカ社会ではそうした成功の証として、個人が獲得するドルの多寡がモノを言う。逆に言えば、アメリカには人々が拝金主義に陥り易い文化土壌がある。それなのに、バーニーは金に執着しなかった。むしろ、使える金をばらまいた。

 「人からもらうよりも人に与えて喜ぶ」タイプの人間だったという証言もある。バーニーはずっと粗末な家に住みつづけ、愛車のローンも滞り気味だったのにもかかわらず、地元のメソジスト教会には、夫人の名を冠した礼拝堂の建設費を寄付したり、町へ有名オーケストラを招聘する経費を捻出したり、ハープシコードを学校に寄付したり、聖歌隊をロシアに派遣したりした。それらの行為は、拝金主義とは対極をなし、キリスト教の説く慈愛(ルビ:チャリティ)の精神を体現するようなものだった。品のよい老女が言う。「神はバーニーを許してくれる。人生で大事なことはそれだけ。彼に会いたい。町中がそう思っている」と。

 だが、見方をかえてみれば、州の判断で別のスモールタウンに移し行なわれた裁判で、バーニーを「金の亡者(モンスター)」に仕立てる地検の誘導に乗って陪審員たちが全員一致で有罪にしたのを見れば分かるように、バーニーの殺人行為をまったく問題視しない住民たちの言葉は、一色に染まりやすいスモールタウン特有の証言である。

 殺人を引き起こしてしまった男を主人公にしながら、本作は「悲喜劇」と呼ぶべきタッチで描かれている。刑務所に入っても、バーニーは他の受刑者のために、賛美歌隊をリードしたり、料理教室を開いたりするなど、あくまで人の良い楽天家である。そうした人物の描き方が、「殺人者」を「善人」とみなす住民たちの証言の挿入と相まって、殺伐とした事件に喜劇性を付与しているのかもしれない。

 テキサス人でありながらリベラルで、アウトサイダーの視野を有するリンクレイターだからこそ作ることができた、スモールタウンとしての「アメリカ」を批評する優れた映画だ。

(『すばる』2013年7月号、304−305頁)


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