越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 田中慎弥『切れた鎖』

2008年05月02日 | 小説
「海峡」の街の寓話  
田中慎弥『切れた鎖』(新潮社、2008年)
越川芳明

 本書は3作からなる作品集で、とりわけ読み応えのある表題作は「海峡を西へ出外れた場所にある」街を舞台にしている。

 その街は、わざわざ下関の昔の名前を用いて、「赤間関(ルビ:あかまがせき)」と名づけられている。
 
 そのような架空めいた舞台設定や、丘側(旧住民)と海側(よそ者)に分けられるという住民層の指摘、さらにその土地に見られる朝鮮人差別など、日本にいまなお根強い外国人嫌悪(ルビ:ゼノフォビア)を扱った寓話と呼ぶことができる。
 
 古来、玄界灘や対馬海峡を挟んで、日本と朝鮮半島とは人の交流が盛んであり、とりわけ半島南部と北九州周辺は同じ生活・文化圏であった。

 たった二百キロしか離れておらず、現在も、関釜フェリーの存在に象徴されるように、海峡は往来を妨げる鉄の壁ではなく、むしろ人と人との混じり合いをみちびく通路なのだ。
 
 しかし、この小説の視点人物、梅代という名の六十代の女性の一族(桜井家)は戦後、コンクリート製造と販売で知られ、海側の埋めたて開発にかかわったことで権勢を誇り、取り違えた優越感を抱いている。とりわけ、梅代の実母、梅子は戦前の民族教育のせいか、救いがたいほどの偏見にとらわれている。

「魚でも野菜でも外国産の大きなものが嫌いだった。なんでもほどほどの大きさでないと駄目だ、大きすぎると品がなくなる」と、家族に言いつのり、朝鮮人を「犬」や「偽物」と呼んで侮辱していた。

 だが、よりによって、三十年ほど前にそんな桜井家のすぐ裏手に在日朝鮮人たちの教会が「半島から流れついたようにいつの間にか建った」

 しかも、梅代の夫、重徳がその新興宗教の教徒の女性と浮気をした。その後、教会のほうから赤ん坊の泣き声が聴こえるようになり、どうも重徳と浮気相手の間にできた子のようだった。
 
 桜井一族によって作られたまま、いまその上には何も建っていない「コンクリートの地平」の索漠とした風景に象徴されるように、桜井家の栄華も長くはつづかない。
 
 とはいえ、取っ替え引っ替えいろいろな男と付き合って家に居つかない娘の美佐子の生き様には、頑な差別主義に凝り固まった桜井一族からの離脱が読みとれるし、また、孫娘が教会の青年(重徳の子?)の十字架を路面へ叩きつけて、蹴ろうとしたときに決然とそれを押しとどめる梅代の行為には、桜井家が朝鮮人に行なってきた仕打ちへの贖罪の意識が感じとれる。
 
 桜井一族にとって長く閉ざされていた海峡に船が走りはじめたのだ。
(『すばる』2008年6月号)

田中慎弥
1972年山口県生まれ。2005年「冷たい水の羊」で新潮新人賞受賞。2007年「図書準備室」で芥川賞候補。2008年「切れた鎖」で芥川賞候補。


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