この映画は、イタリアでは一九四四年九月二十九日から十月五日までの「マルツァボットの虐殺」と呼ばれる、ドイツ軍によるイタリア人の大虐殺を題材にしている。
当時、イタリアは南部を確保した連合国軍と、北部を拠点にするナチス・ドイツ軍に二分されていた。
イタリア・ファシスト軍がドイツ軍に加担し、一方、住民からなるパルティザン部隊がドイツ軍にレジスタンス運動を展開するという複雑な状況にあった。
本作の舞台である山間の村の近くには、ドイツ軍が連合国軍に対して築いた防衛線があり、また指導者ルーポに率いられたパルティザン部隊「赤い星」の拠点もあったらしい。
父親をはじめとする男たちは、都市への出稼ぎを禁止するファシスト党に反感を抱き、また先祖伝来の家を守ろうとするパルティザンに対しては好意的であった。
だが、マルティーナの母親をはじめとする女たちは、ドイツ軍にもパルティザンにも批判的だった。
「ドイツ軍が家畜を持っていってしまったし、パルティザンは残りの食料を持っていく」と、母は嘆く。
最後のシーンが印象的だ。
見る者に徹していた少女マルティーナは、誰もいない家のベッドを見たあと、外の丸太の上に腰をかけて、呆然と家の前の風景を眺めている。
彼女の目が捉えるのは、一面雪の冬景色でも、花々の咲き乱れる夏景色でもなく、葉がすべて落ちた枯れ木がぽつんと立っている、うらぶれた初秋の景色だ。
失語症に陥っていたマルティーナが、家族のなかで自分と共に唯一命拾いした赤子を抱きながら、ふと母がベッドの上で歌ってくれた子守歌を口ずさむ。
これ以上ない絶望のなかで、生きることを選ぶ。ディリッティ監督からの無言のメッセージだ。
(『すばる』2011年10月号、272-273頁)
2011年10月22日より、岩波ホールほかでロードショー。
当時、イタリアは南部を確保した連合国軍と、北部を拠点にするナチス・ドイツ軍に二分されていた。
イタリア・ファシスト軍がドイツ軍に加担し、一方、住民からなるパルティザン部隊がドイツ軍にレジスタンス運動を展開するという複雑な状況にあった。
本作の舞台である山間の村の近くには、ドイツ軍が連合国軍に対して築いた防衛線があり、また指導者ルーポに率いられたパルティザン部隊「赤い星」の拠点もあったらしい。
父親をはじめとする男たちは、都市への出稼ぎを禁止するファシスト党に反感を抱き、また先祖伝来の家を守ろうとするパルティザンに対しては好意的であった。
だが、マルティーナの母親をはじめとする女たちは、ドイツ軍にもパルティザンにも批判的だった。
「ドイツ軍が家畜を持っていってしまったし、パルティザンは残りの食料を持っていく」と、母は嘆く。
最後のシーンが印象的だ。
見る者に徹していた少女マルティーナは、誰もいない家のベッドを見たあと、外の丸太の上に腰をかけて、呆然と家の前の風景を眺めている。
彼女の目が捉えるのは、一面雪の冬景色でも、花々の咲き乱れる夏景色でもなく、葉がすべて落ちた枯れ木がぽつんと立っている、うらぶれた初秋の景色だ。
失語症に陥っていたマルティーナが、家族のなかで自分と共に唯一命拾いした赤子を抱きながら、ふと母がベッドの上で歌ってくれた子守歌を口ずさむ。
これ以上ない絶望のなかで、生きることを選ぶ。ディリッティ監督からの無言のメッセージだ。
(『すばる』2011年10月号、272-273頁)
2011年10月22日より、岩波ホールほかでロードショー。
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