白眉は、本書の後半にやってくる。
ルチアはバレエの道を突然放棄してしまう。
ひそかに恋心を寄せたベケットには冷たくあしらわれ、「無反応の硬直」状態に陥る。
父はそんな娘に中世の写本に見られる装飾文字(レトリヌ)を習うことを勧める。
著者は、アイルランドに由来する福音書の写本『ケルンの書』の装飾文字を仔細に検討したうえで、
『ケルンの書』のウルトラ・バロックとも称すべき過剰装飾の特徴がジョイス文学や、
ルチアが父の詩集にほどこした装飾文字にも見られるとして、
ルチアの創造的な仕事をケルト文化の伝統の中に位置づける。
著者は、天才作家ドストエフスキーについて述べた父ジョイスの言葉を引いている。
いわく「分別だけの人間は何ごともなしえない」と。
この言葉は、大作家の娘というプレッシャーと戦いながら、ルチアの成し遂げた仕事に対して、
本書が託したメッセージでもあるような気がする。
(『北海道新聞』2011年10月23日)
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