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芭蕉の発句アラカルト(16) 高橋透水

2022年11月27日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 猿を聞人捨子に秋の風いかに  芭蕉

 千里を伴い深川から東海道を西へ進む芭蕉一行は、箱根を過ぎて富士川の渡船場にさしかかる。これもまた謎の多い句であるが、まずは『野ざらし紀行』の本文をみてみよう。
  富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子
 の哀気に泣有。この川の早瀬にかけて、浮
世の波をしのぐにたへず、露計の命待まと捨置けむ。小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしをれんと、袂より喰物なげてとほるに、
   猿を聞人捨子に秋の風いかに
とある。そして文はつぎのように続く。
  いかにぞや、汝、ちゝに悪まれたるか、
 ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむに
 あらじ、唯これ天にして、汝が性のつたな
 きをなけ。
 富士川のほとりに目撃した吟というが、芭蕉の創作した物語との見方が有力である。それにしてもなぜここに芭蕉は捨て子の句をもってきたのか、唐突過ぎる。「猿の声」云々は中国の故事からのもので、猿の親子の情に涙する詩人よ、一体捨て子の泣く姿こそあわれで、同情すべきではないかといっている。
 捨て子の多かった時代、同情と多少の社会批判もあったろうが、父親を早くに亡くし藤堂家に奉仕にだされた若き芭蕉だ。まして前年に母を亡くし、いまこうして故郷を目指している芭蕉は自分の境遇を重ねたのだろうか。
 芭蕉に仏教的思想との関係が論じられるが、ここでの「天命」とは『荘子』の思想に影響を受けたとする説が有力である。「猿を聴く人」の句のあとに、芭蕉は子供が捨てられたのはこの子供の天命だと記しているが、この文章が『荘子』「大宗師篇」の子輿と子桑の説話によっていることが、廣田二郎氏によって指摘されている(『芭蕉の芸術その展開と背景』)ことからも察する 中国の詩人は猿の鳴き声に興味を示し多く詩をつくっているが、日本では少ない。これは日本の詩歌の風情にあわないのであろう。ちなみに「断腸の思い」の故事は母猿の連れ去られた子を思う必死の情念である。ことができる。

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