のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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300年前 北海道は蝦夷地だった

2012年04月02日 09時12分25秒 | 旅行

今朝は晴れたり雪が降ったり めまぐるしく天気が変わる
ツアー客が大勢 賑やかにバスで出発していった

夕べは 久しぶりに添乗員をしている夢を見た
それも帰りに お客様にアンケート配布を忘れて 落ち込んでいた
夢が覚めてほっとした

昨日は 函館ベイエリア付近を歩く
日曜日と重なって 相変わらず観光客は多い
どこからでも見える函館山の山麓には 名所旧跡が多い

そのうちの一つ 北方資料館に入る
ここは かって 日本銀行の函館支店で内部は どっしりとして構えだ
アイヌをはじめ さらに北の民族の歴史や生活の資料がある

300年前の江戸時代の地図が展示されていた
北海道は 沖縄本島のように細長く 国後や択捉もあるが 大きく描かれている
中心あたりが大沼である 函館から近い距離にある国定公園のあたりだ

未開の土地と 未知の地域は どこでも こうして描かれていた
東北でさえ 昔は白河以北は ここより蝦夷地とある
坂の上田村麻呂の東征も かっては アイヌが住んでいた土地を奪っていったのか

秋田蝦夷 津軽蝦夷も居た
明治の前には 蝦夷地には多くのアイヌが居たのだろう
北海道の各地の地名は その多くはアイヌの呼称が そのままか発展した呼び名で現存する

湯の川の温泉地に流れる川も サメかわと呼ばれる
アイヌ語のシャムが和人をさしており これがなまってサメに変わった
各地に 別 とか 内の呼称が多い 川に関する地名の変遷だ

こうしてみると 開拓の苦難の歴史があるが その裏には土着の民族の歴史があった
網走の近くには 戊辰戦争で負けた 会津の藩士たちが流された開拓地もある
現在の発展は それ以後としても 急速な文化 開発などが変遷されたものである

朝市の近くには 青函連絡船の摩周丸が係留されて 記念館となっている
50年程前には 私も この船に乗った
北海道周遊券を買って 上野から各駅停車で乗り継ぎ青森駅に立った

早朝一番の列車に乗って 何回か乗り継ぎ ごご11時ごろの到着である
連絡船は夜行であった およそ4時間の船旅 眠れぬままに函館へ着いた
そして連絡する 道内の列車に乗り継いで また うたた寝をする

そんな想いをめぐらしながら どんぶり横丁に入る
ここには 10軒近い どんぶりの店が並んでいる
私の好きな海鮮5色を選んだ イカ サケ うに いくら ホタテが乗っている

今日は連泊ツアー最終日 午後の飛行機まで 数時間
チェックアウトて 近くのスーパー銭湯で最後の温泉三昧をして帰京する

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