私が笑顔を見せると 多くの笑顔が返ってる
誰かが笑顔を見せると 多くの方に笑顔が伝わっていく
私は笑顔を見るのが大好きだ みんなも同じだ
下町のうたごえには 多くの笑顔が行き来する
微笑返しはいいもんだ
笑顔の倍返し 10倍返し 千倍返しだ

台風20号のニュースが朝から流れていて 夜半には強い雨が降っていた
昨日の昼頃でも 本降りでは無いが 雨が降っている
それでも うたごえの会場に集ってくる方たち みんな笑顔である
なんとも言えない あたたかな雰囲気がここにある
歌を歌うことも楽しいが このうたごえが楽しいと言う
そんな中でリクエストを聞き 伴奏する私は 感謝に溢れた幸せに包まれる

調子に乗って 曲の解説をしたり 時には脱線した話もする
私の想い出や 体験談も みんなが笑って聴く
語りかけても 人と人の距離が感じられない 絆がそこにあるのだろう
休憩時に カメラを持って皆さんの間を廻る
その笑顔 私に下さい とお願いして スナップに納める
私だけでは勿体無い 多くの方にも見てもらいたい素敵な笑顔がある

誰かか このブログを読んでいて 微笑んでくれれば それも嬉しい
誰かが 元気付けられて 今日も元気で歩けたら 心で一緒に歩ける
こんなに多くの方と喜びを共にしている 幸せのお裾分け だ
うたごえのリクエストは それぞれ想いが込められているだろう
青春時代の歌 誰かに想いを寄せた歌 母や子への愛の歌
自然や花への感謝の想い この曲を歌いたい それがリクエスト

ある人が言った 私ね 異国の丘 この曲が好きで聴くだけでも涙が出る
勿論 私の歌集の中に収められている曲である
ただ こんな歌 ここでは合わないのでは?とも言う
私 台湾からの引揚者なの
日本へ帰る船の中で聴き 思わず泣いた記憶があると・・・
終戦 即 日本へ帰った方たちも居るが 数年経ってからの方も居る
まだ幼くても 小中学生であっても その心は今でも同じであろう
良かったね 日本に帰られて・・
実際には引揚者も復員兵も かなりの悲惨な背景の下で日本へ辿りついた
望郷の思いで現地で亡くなった方も多い
暴行 強姦 略奪も数多く聴いている 特に朝鮮 中国 満州に多数聞く
その中で 台湾からも何十万人が引き揚げてきた
引き揚げの方たちの話を聴けば 台湾だけは 悲惨な例は聞かない
むしろ 日本への帰還を惜しんで 宴をしたり 餞別を頂いた話しもある
日本の統治していた台湾であるが そこには互いの信頼と友好があった

ほんの短い挨拶程度の会話であったが 私は言う
歌いましょう その曲を 恥ずかしいことは無いですよ 堂堂とね・・
異国の丘の曲は 軍歌では無い 吉田正さんの作曲によるものである
あのシベリアに抑留されていた時代に 隠れるように望郷の想いを込めた
過酷な労働と極寒の地で 何十万の方が現地で亡くなって行った
先に帰った仲間が のど自慢で歌い 大ヒットしていった
そんな解説も少し話して みんなで歌った
今日も暮れ行く 異国の丘で 友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ 待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日が来る 春が来る
最後までお読みくださいまして有難うございました
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今日の誕生花 きくいも
花言葉 陰徳
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私は笑顔を見るのが大好きだ みんなも同じだ
下町のうたごえには 多くの笑顔が行き来する
微笑返しはいいもんだ
笑顔の倍返し 10倍返し 千倍返しだ


台風20号のニュースが朝から流れていて 夜半には強い雨が降っていた
昨日の昼頃でも 本降りでは無いが 雨が降っている
それでも うたごえの会場に集ってくる方たち みんな笑顔である
なんとも言えない あたたかな雰囲気がここにある
歌を歌うことも楽しいが このうたごえが楽しいと言う
そんな中でリクエストを聞き 伴奏する私は 感謝に溢れた幸せに包まれる



調子に乗って 曲の解説をしたり 時には脱線した話もする
私の想い出や 体験談も みんなが笑って聴く
語りかけても 人と人の距離が感じられない 絆がそこにあるのだろう
休憩時に カメラを持って皆さんの間を廻る
その笑顔 私に下さい とお願いして スナップに納める
私だけでは勿体無い 多くの方にも見てもらいたい素敵な笑顔がある


誰かか このブログを読んでいて 微笑んでくれれば それも嬉しい
誰かが 元気付けられて 今日も元気で歩けたら 心で一緒に歩ける
こんなに多くの方と喜びを共にしている 幸せのお裾分け だ
うたごえのリクエストは それぞれ想いが込められているだろう
青春時代の歌 誰かに想いを寄せた歌 母や子への愛の歌
自然や花への感謝の想い この曲を歌いたい それがリクエスト


ある人が言った 私ね 異国の丘 この曲が好きで聴くだけでも涙が出る
勿論 私の歌集の中に収められている曲である
ただ こんな歌 ここでは合わないのでは?とも言う
私 台湾からの引揚者なの
日本へ帰る船の中で聴き 思わず泣いた記憶があると・・・
終戦 即 日本へ帰った方たちも居るが 数年経ってからの方も居る
まだ幼くても 小中学生であっても その心は今でも同じであろう
良かったね 日本に帰られて・・
実際には引揚者も復員兵も かなりの悲惨な背景の下で日本へ辿りついた
望郷の思いで現地で亡くなった方も多い
暴行 強姦 略奪も数多く聴いている 特に朝鮮 中国 満州に多数聞く
その中で 台湾からも何十万人が引き揚げてきた
引き揚げの方たちの話を聴けば 台湾だけは 悲惨な例は聞かない
むしろ 日本への帰還を惜しんで 宴をしたり 餞別を頂いた話しもある
日本の統治していた台湾であるが そこには互いの信頼と友好があった


ほんの短い挨拶程度の会話であったが 私は言う
歌いましょう その曲を 恥ずかしいことは無いですよ 堂堂とね・・
異国の丘の曲は 軍歌では無い 吉田正さんの作曲によるものである
あのシベリアに抑留されていた時代に 隠れるように望郷の想いを込めた
過酷な労働と極寒の地で 何十万の方が現地で亡くなって行った
先に帰った仲間が のど自慢で歌い 大ヒットしていった
そんな解説も少し話して みんなで歌った
今日も暮れ行く 異国の丘で 友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ 待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日が来る 春が来る
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