のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

忘れえぬ 母が泣いた日 泣かせた日

2016年10月14日 09時15分44秒 | うたごえ

昨日は下町のうたごえ 本所地域プラザでの開催である

階段式の客席 グランドピアノ 音響も素晴らしい施設でもある

通常はプロが弾くグランドピアノ それを私が弾いて皆さんの伴奏が出来ることが嬉しい

 

十三夜の日でもある 十五夜は中国から伝えられたものだが これは日本独自の月見の風習

延喜19年の文献にもある古いが優雅なもの 秋の収穫祭の一つでもあると考えられている

それに因んで 月に因む曲を冒頭に取り上げ 皆さんに解説をした

 

 

童謡の 十五夜お月さん 没落した旧家 父親は破産 母親は病死 一家は離散が背景にある

哀しい姉妹 妹は田舎に貰われて行き 姉が月を見ながら 亡き母(かか)さんに逢いたいと願う

この後もどうなるか考えると 自然に涙も溢れそうな曲である

 

十五夜お月さん ご機嫌さん ばあやは お暇(いとま)とりました

十五夜お月さん 妹は 田舎へ貰(も)られて ゆきました

十五夜お月さん 母(かか)さんに も一度 わたしは逢いたいな

 

この話をして みんなで歌う そして 更に私は付け加える

母って良いね いつでも思い出すでしょう? 私も母が亡くなって30年近くだけど思うんですよ

そんな母のことを川柳に託して 鹿児島のFM1銀河てんがらもんラジオに投稿しました

 

生放送で聴いて ちょうど発表があったところで ぷつんと切れたのですが 特選だって・・・

皆さんが拍手で良かったねと お祝いしてくれた

夜 録画で 先生のコメントなど聴きたいと思ったら こちらも初めの部分で切れて聴けない

 

私はブログも日常も いつもありのままに語り 大勢の前でも 語ることにためらいは無い

気取らず 飾らず ありのままにの方が 生きるのに気楽であるから 隠すことも無いのだ

時には笑わせ 時にはほろっとさせ そして歌い合う そんな うたごえファンが多く集ってくる

 

川柳は てんがらもんに刺激され これまで絶対無理だと諦めていた短歌 俳句と同じ部類

リスナーの皆さんと一緒だが まだ4.5回くらいであろうか

まず五七五に慣れろ 一日一回 ブログタイトルなら 必ず作れるから始めて1か月以上だ

 

投稿した句は お題が出された日 すぐ出来た

だが 日にちが経つにつれ その句が女々しい 特に母のことや妹のことを偲ぶばかりだ

締切 ぎりぎりになって 削除をパーソナリティでもあるcihidoriさんにお願いした

 

その句がこれである ちょっと恥ずかしい お題は 『とんとん』

『とんとんと 肩たたいた日 母涙』 特選にしていただいたが 添削もある

替りの句は 『とんとんと 刻む飴の音 やしろ(社)みち』 川崎大師など参道の光景である

 

ところが 両方とも cihidoriさんが取り上げて連絡され 先の句が特選になってしまった

添削付きで特選を貰っては皆さんに申し訳ないし 本当は自分としては削除依頼したもの

従って 嬉しい反面 何か複雑な想いであるが 母の写真に告げた

 

ごめんね 母さんのことを書いて 特選 貰ってしまったよ

母には 親孝行らしいことを何もした覚えがない 反抗期で罵ったことはある

でも感謝することは数えきれないくらいある

 

 

小学校6年の頃  家は貧しく父は日雇い人夫 酒を飲むと酒乱になる

夜勤明けで 何が原因か母を殴打する 母は涙をするが逆らわない

止めに入って私も殴られ 顔にあざが出来て そのまま学校に行きみんなに笑われた

 

そんな母に生活の足しになればと 早朝 納豆売りをして家計を助けた

午前3時過ぎには 起きられない 母に起こして貰い 一番電車で売りに行く

そして 中学2年の時は 9か月くらいだろうか 登校拒否をしてサボって歩いた

 

原因は 教師の私への濡れ衣であり 生徒全員の前で罵倒された

当時は 気が小さく返す言葉も無く 翌日から母には黙って 学校へ行かなくなった

かばんは持って家を出る 帰宅時間までどこか放浪して歩く

 

雨の日は困った 母にウソを言って 教材費など偽ってお金を貰い3本建ての映画を観る

背は小さいから子供料金で入れた でも通信簿は?と問われると 忘れたと言うしかない

次の学期も忘れたと言う 母は薄々感じているが 私には問わない

 

そしてあの日 母は私に向かって言う

辛いことがあるのだろうね 一緒に死のうと言い出した

学校は長いこと行っていないが 私としては そんなに深刻では無かったから驚いた

 

長期に休んでいて再登校は非常に勇気がいる 母が付いていこうかと言うが断る

そして ついに9か月後 学校へ行く 周りから何を言われても 開き直って気にしない

必死にブランクを乗り越え追いついた これが今の私につながる

 

その後のある日 母が疲れ果てているのを見た

肩を叩いたり 揉んであげたのを覚えている

母の肩が揺れる 覗き込むと泣いている おそらくうれし涙だろう

 

そんな日の情景を 川柳に想いを込めたが 本来の川柳と違うような気がする

川柳は 読んだとき 共鳴を呼び 暖かな気分になったり くすっと笑えるものが筋だろう

だから この句は ふさわしくないので 恥ずかしいので削除を依頼した

 

ボランティアのルーツは やはり母への思いが秘められているだろうか

定時制高校に行って 初めての給料は母に全額渡した

そして 次から縁があって 孤児院へ訪れ 子どもたちへ学用品や木琴など買って行った

 

その時に 今のようにピアノが弾けたら もっと喜ばれただろうと思う

ピアノは30代後半から 独学でぽつんぽつんと覚えて行った成果である

母に聴かせたことは無かった 今 聞かせたらまた母は泣くだろう

 

 

       最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

 ブログランキングに参加しています

ご支援に下のボタンをクリックして頂ければ励みになります 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ

にほんブログ村

 

コメントは伝言コーナーへもどうぞ!

(メルアドは入力しなくてもOKです)

 

 

コメント (33)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする