江戸の昔からある亀戸天神の藤 時代を映しながら今年も咲いた
地域の商店街には藤まつりの幟も立ち 境内では毎日 何かの催しがある
肝心の藤は 少し早く 花が少ない
それでも藤の花は 心地よい香りがする
カメラを持って訪れる方も目立つ
観光バスも 相変わらず来て 多くの客を送り込んでいた
クラブツーリズムの旗を見かけると なんだか懐かしい
名古屋から 神戸へ行き そこから船に乗って東京へ来たそうだ
勿論 東京スカイツリーが 今では大きな目玉である
藤の花を添えて スカイツリーを被写体にするのも良い
境内の池には 亀が沢山棲んでいる
親亀の背中に小亀を乗せて その上にも乗ろうとしている
日を追うに従い 花は増え 長さも増してくるだろう
昨日は 句会の方たちが作品を奉納していた
この他 茶会や猿回しも出てGWには 見ごろの藤で賑いそうだ
近くの香取神社も由緒ある歴史がある
スポーツなどの勝負の神様とも言われ 勝運通り商店街が整備された
昨年の東日本大地震の翌日 オープン記念行事の日だった
5月5日には 香取神社の勝矢祭がある
平安時代の衣装で武者行列が練り歩く
平将門の乱を治めた 藤原秀郷に因んだ行事だ
この商店街からお参りをして 路地裏を通り天神に向かう
途中に 伊藤左千夫の墓がある普門寺がある
ここには 優しいお顔の菩薩様がお迎えしてくれる
この散策路を歩いている お二人の高齢のご婦人がいた
スカイツリーにも歓声を上げていたから 地方の方だろう
下町は 家々の花たちとともに ゆるやかな時間を演出してくれる
今日の午後は 江戸川区の施設に音楽訪問に行く
一番 難しい方の多い施設 音霊に精一杯の祈りを込めて
今日の誕生花 フロックス
花言葉 あなたの気に入れば幸せです
アンデルセンの童話と言えば 子供の時代 よく読んだものである
グリムやイソップと共に 夢や冒険や 優しい心を学んだものと言えよう
とりわけ アンデルセンのマッチ売りの少女などは 記憶に新しいほどだ
私も小学生のとき 早朝は納豆売りをして歩き それから学校へ行った
ある寒い日 なかなか売れず 風を除けて塀の外に立って凍えていた
すると中から おばさんが出てきて 坊や 幾つ残っているの?
多分 8個ぐらいは残っていたと思う 全部買ってくれた
嬉しかった 人の情を こんな時から教えてくれた 生きた教科書だった
アンデルセンはデンマークのオーデンセの出身 貧しい家に生まれた
最初は声楽の道を目指していたが 挫折の繰り返しだった
生涯独身だったが かなわぬ恋は 3度ほど記録にある
そんな中から生まれ出てきたのが 創造的な童話の世界だった
今では世界的な作家の名前を残し 親しまれている
船橋市とオーデンセは姉妹都市である
市政50周年の記念事業で 子供のワンパク王国から発展させて この公園が出来た
広大な敷地に 子供美術館が有ったり 夢と冒険を満たすものがいっぱいだ
私には 入園料900円が 65歳以上無料というのが嬉しい
昨日は 船橋の日帰り温泉に行った
たまには ここへ行って見ようと思い立ち訪れたが 月曜休園を忘れていた
日帰り温泉は 船橋湯楽の里 平日だというのに 結構 客が入っている
小雨降る中ではあるが サウナが気持ちよく 心身すっきりである
家に着くと 眠くなって 夕食前に心地よく一寝入りした
今日の誕生花 むれすずめ
花言葉 集い
母こそは命の泉~このフレーズが 繰り返し記憶の中をさまよう
メロディもうろ覚えではあるが 不確かである
学校で習ったわけでもないのに 何故か心に響き 大事にしまわれているようだ
母の日が近づくと 更に この歌が想い出される
思い切ってネツトで調べようとしたら 曲名が分からない
母の歌で検索していたら ようやく この歌にたどり着いた
野上弥栄子作詞 下総晥一作曲 戦時中に発表された曲だった
み国の力などとあるために 戦後は歌われなくなったのだろう
でも歌詞も曲も 私には素直に心に入ってくる
母こそは命の泉 いとし子を 胸に抱きて微笑めり
若やかに うるわしきかな 母の姿
母こそは み国の力 おのこらを 戦(いくさ)の庭に遠くやり
心勇む 雄々しきかな 母の姿
母こそは 千歳の光 人の世の あらんかぎり 地にはゆる
天つ日なり 大いなるかな 母の姿
本来は 戦場に喜んで送り出す母は居まい
懇情の別れと知りつつ どこかで帰って来て欲しいと願っていただろう
曲調の中に 母の想いが伝わってくるようだ
先日の 墨田のうたごえ講座で この曲をみんなに歌ってもらった
楽譜は あちこち探したが無かった
採譜なんて出来ないから 頭の中に出てくる音符を探しながら伴奏した
歌の切手 この道
ああ そうだよ お母さまと 馬車で行ったよ~
母は自分が幾つになっても もしかして亡くなった歳を越えても母である
幼い頃からの母の姿が 何枚かの心の写真となって 記憶をよぎる
兄弟の中でも い地銀心配させたであろう私である
大人になっても 多分 心を痛めていたであろう
最期まで 安心させてあげることが出来なかった
今は それなりに 生きがいの有る人生を送っているから心配するなよ
年に一度くらいしか墓参りも行かない
せめて写真だけは飾ってある
ここ一年くらいは 花も飾ることにした
つぼみがある花も時たま買うが きれいに咲くことは あまり無い
しゃくやくの つぼみを買って来て飾った
珍しく見事に咲いて これは美しい
もうすぐ母の日だって・・・
まあ これで 喜んでくれるかな
今日の誕生花 はなみずき
花言葉 私の想いを受けてください
桜は都心にわずかな余韻を残して 別れを告げて北に向かった
今頃は 関東をわずかに超えて 東北の玄関口にある
昨日は 三春の滝桜が中継されていた
樹齢千年 一時 台風のときに枝が折れたことがあったが 大きな滝の如く拡がる桜
西の薄墨桜と同じように 巨木のパワーさえ感じられる
三春の滝桜 岐阜・薄墨桜
この周辺には郡山まで 地蔵桜など 孫桜も大きくなり有名になっている
滝桜の品種で苗木も売られているが これを家に植えるのには注意が必要だ
千年経ったら 庭以上に大きくなってしまうからね
ツアーの都度 私が言って お客様が笑った
原発の近くの 富岡町 警戒区域の中にあり 入ることは禁止され人影が無い
誰も居ない街の 桜並木がトンネルとなって咲き誇っていた
いつか みんなが帰るまで 咲いて待っていると 言っているようだった
私が訪れた桜のツアーは 時期によって分かれる
主に北関東 大平山の桜 赤城南面の桜などがあり 一部は白河 南湖公園がある
いずれも桜のトンネルや並木が 観光客の歓声を呼ぶものだ
大平山 桜のトンネル 赤城南面の桜 芝桜と競う
次が この三春や福島の 花見山公園が多い
三春からはベコ屋敷や 阿武隈鍾乳洞が組み合わされる
東北道を走ると 1,700m余の安達太良山も近くに見えてくる
智恵子抄の光太郎と智恵子の純愛が 山の姿にダブって見える
樹下の二人 にある有名なフレーズがある
ほら あれが安達太良山 遠くに光るのが阿武隈川・・・
高速道が二本松を過ぎた頃 道路に仕掛けがある
注意していないと分からない・・・ガタン・・ゴトン・・・
三三七拍子にタイヤの振動が伝わってくるのだ
東北道は福島までトンネルが無い
東京から出る高速道は数々あるが この道だけ ここまで無いのだ
福島トンネルを過ぎた辺りの景色も好きだ
左手にまず 雪を抱いた吾妻連峰が迫ってくる
浄土山なども 小さい富士の姿に似て スカイラインの位置が分かる
そして 右に福島市街が見えてくるのだ
福島市民のシンボルのような山が 信夫山
市街地に小高く盛り上がり どこからでも分かる
百人一首 みちのくの しのぶ文字摺り誰故に 乱れ染にしわれならなくに
麓には この文字摺り石が祀られている
学生時代 福島を放浪して この山にも訪れた
この山の近くに 花見山公園がある
福島・花見山公園
個人の持ち主という 奇特で珍しい公園だ
せっせと 1本づつ年月をかけて あらゆる花を植え続けた
桜の頃は シャトルバスが運行されるほどの賑わいだ
それでも入場料も取らない この意気にも感銘される
更に近くに競馬場があり 4月 被災後初めて開催にこぎつけた
芝や周辺の樹木も 張り替えたり除染したそうである
馬も人も 大勢が多く訪れているらしい
福島と聞いただけで 援助はするが 行くのはと ためらう方が多い
徐々に 放射能の怖れは 減りつつある
とりわけ この県に現在 みんなが住んで みんなが生活している
多少 不安を持ち続けての生活だろう
しかし 立ち直り 未来を見据えて 前を向いて歩んでいる
安心して 旅に出よう 元気を分けてあげようよ
今日の誕生花 こでまり
花言葉 優雅 品位 努力する
連日 国別対抗のフィギュアをテレビ観戦している
これだけは 妙に私を惹き付けるものだ
人間の身体が成しえる最高の動きを 氷上に出し切る あの演技が素晴らしい
とりわけ今回のキャプテンでもある 高橋大輔さんの演技は 鳥肌立つものを感じた
完璧に4回転ジャンプもこなし 一つのミスも無く 最高点を叩き出した
演技終了した時には 各国の選手達さえ 称賛の拍手を贈り続けた
私がフィギュアに弾かれる魅力は 多分 音楽にもあろう
クラシックからポピュラーまで 自身に見合った曲を選び これに合わせて演技する
この曲と 演技が見事に融合されている姿に 共鳴を覚えるものだ
音楽が無かったら ただの氷上の踊りに過ぎない
音楽が無限の可能性をも引き出す 大きな役割をも果たしていると思う
昨晩は 金スマという番組で 被災地の幼稚園を取り上げていた
津波と共に 幼稚園も 幼い仲間も 優しかった先生も 一瞬に消えていった
残ったこどもたちが ようやく一堂に会し ある歌手と一緒に歌を歌った
亡くなったわが子の写真を携えて 参加している父兄も何組か居た
こども達が 懸命に歌う姿に涙を流しており 私も思わずもらい泣きした
亡くなった仲間も 先生も 今日はここに来ていると言った
音楽によって 哀しみを癒され 希望をもつ 生きることを教わる
子供達の 天使のような歌声が まだ耳に残っている
忘れることは出来ないが せめて 心から笑顔が浮かぶ日が訪れることを祈る
うたごえの休憩コーヒータイム かなり賑やかですよ
昨日は 墨田のうたごえ 60名ぐらいの方が集った
男性は そのうち3名 あとは みんな女性である
今年の4月で 7年目に入った うたごえの講座である
明るく笑いが溢れ そのくせ 情に脆い下町の人情溢れる方たちばかり
こんな私のトークと伴奏で 良く付いて来てくれる
歌がある人生 それは空気のように頼もしい
うたごえ講座を支えるスタッフの方々 コーヒー 受付 茶菓子の袋詰めもある
50年生きていれば50年の歌の積み重ねがある
70年生きていれば70年の歌が 心の引き出しに入っている
時に引き出して 一緒に歌い 一緒に笑い 楽しさが人生を高めてくれる
これが音楽 これが歌
癒され 励まされ 楽しさを盛り上げる
そして 多くの仲間を作ってくれる 人生の最高の友達だ
今日の誕生花 スイートピー
花言葉 門出 デリケートな喜び 繊細 優美