現在は ドブ川はすべて埋め立てられ あるいは埋設され親水公園となった
昔 下町はどこを歩いても ドブ川が街にあった
それは一部では 生活用水の排水などにも使われている
ドブのそばでは タライでお母さんたちが洗濯をする
家々の庭や路地には 洗濯物干しの竿があり おしめなどが干される
決して きれいな川ではないが 風情はあった
ひとたび台風や豪雨があると この川は溢れ 時には浸水する
そのあとは 水が溢れる道路には 金魚が泳いでいることがある
こんな川でも 子供が落ちて事故になることはない
向こう三軒両隣 平屋やせめて2階建て 軒を連ねている
互いに顔は覚えているし 会えば挨拶や 井戸端論議もある
ネコは障子を破って 時には外で恋を交わし 子供が泣くような声を上げる
ドブ川には たいがい ザリガニが棲んでいて 杭の上に姿を見せる
時には見事な赤いハサミを誇るものも居て子供たちはマッカチと呼んだ
ザリガニ釣りは楽しい えさにスルメを使うと 面白いようにしがみつく
スルメは高級品で その前はカエルを捕まえて 皮を剥いて餌にする
50センチくらいの棒と糸があれば 誰でも釣れる
家で飼ったりするが 大概は死んでしまう それでも面白いものであった
まだ食料不足の時には このザリガニを捕まえて茹でて食べた
伊勢エビにはかなわないが まあまあ エビの味はする
ザルいっぱい茹でて 食料の替わりにはなっていたこともある
ある時から ザリガニを食べると中毒になるとあちこちで言われ止めた
あのドブ川 まれには フナも取れることがある
そんな川は 時にはカイボリをして 水を干し 捕まえたことがある
今 江東区も周辺の足立 葛飾 江戸川区にも親水公園が整備された
そんな昔の風景を覚えている人は少なくなっただろう
ここはね 昔 ドブ川が流れていたんだと 心で思う
親水公園 私は緑と水と花がある この風景も好きだ
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今日の誕生花 やぐるまそう
花言葉 繊細 優雅
朝は晴天 それでも天気予報は 急変の可能性を伝えていた
竜巻もあるから にわかに曇ったり冷たい風が吹いてきたらビルに逃げ込め
東京の埼玉との県境 茨城へかけて かなりの危険があると報じていた
ウオーキングでもしながら どこかでランチをと 近くの回転寿司を覗く
12時を過ぎていたから 当たり前のように混雑しておりすぐ出てきた
それでは荒川でも渡って東へ歩くかと向かう
こちらは晴天 北の方を見ると黒い雲に覆われている
ああ あの下あたりは吹き荒れているのだろうか
そして あの雲は予報通りに東へ移って行くのかと思いながら歩く
どこを歩いても何かの花があって 私の足を停めさせる
雑草だって可愛い花をつけるし ひなげしやタンポポが生命力は逞しい
歩道や建物のコンクリートの隙間でも 立派に伸びて花を咲かしている
荒川の向こうは小松川 まっすぐ小岩方向に行くか船堀方面にするか
いつも適当に その時気分で 私の足は行き先が変わる
親水公園があって 緑と水と花が見れそうだから その道を行く
江戸川高校の辺りで 新小岩駅方向に向かう
時には 小岩まで歩き 更に足を延ばして柴又まで行ったことがある
4時間くらいかかるから 今回は天候も危ないので敬遠した
和菓子店があった どこかで聴いたようなような気がする名前だった
しばらく歩いて思い出した そうだ 大島のダイエーに売られていた
あの店のどら焼きや和菓子だと書いてあった 甘いものはすぐ思い出す
新小岩駅に向かって 古くからアーケード街がある
昔は喫茶店 蕎麦屋 レストランなど食べる店もかなりあった
今は 雑多な店が並び ダイソーや持ち帰り弁当などの店もある
その昔 高校生の頃 駅から真っ直ぐ このアーケードを歩いたことがある
いつのまにか 怪しげな色合いの格子がある家が並んでいた
どぎつい化粧の女たちが 店ごとに居た
ちょっと! お兄ちゃん あんたが来るようなところじゃないよ~
女の人に声をかけられ 慌てて路地を曲がってバス道路に出た
あとで 学校の友達に聞いたら 馬鹿だね それは赤線だよと教えられた
そんな純情時代があったっけと ここを通るたび 心で微苦笑する
結局 何も食べずに2時間余 新小岩から亀戸へ電車に乗り帰ることにした
弁当屋に寄って 駅から我が家まで1キロくらいである
電車に乗った時から 空は曇っていた 雨もポツポツ降り出している
少し歩きだしたら 突然雷が鳴り 冷たい強い風が吹いてくる
逃げ込める建物も無いし 雨が強くなると思いバス停の屋根の下に入った
雨は強いし 風が冷たく吹き付ける 屋根の下でも少し濡れてきた
あまりにも強い風の時は さすがの私もバス停の柱に摑まった
見ている間に 雨が道路を叩きつけ 視界が悪くなる
これが突風や竜巻に似たものだろうと 初めて体験した
我が家まで500メートルくらいなのに 身動きが取れない
それでも時間にして20分くらい 雨が小やみになって家まで急いだ
部屋に落ち着いて それから30分後には 外は晴天となった
この程度で済んだから良いものの 天候の急変には注意したいものだ
特に最近は 地球全体がおかしいから 何があっても珍しくない
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今日の誕生花 しゃくなげ
花言葉 威厳 荘厳
母こそは命の泉いとし子を~ このフレーズの分だけメロディが浮かぶ
あとはおぼろげにメロディが出てくるだけで 気になっていた
ネットで販売する楽譜のサイトに 母の歌と入力しても出てこない
図書館へ調べに行っても この曲は無かった
かろうじて ネットで歌詞だけは見つけることが出来た
昭和18年 初等科の音楽に使われていた
先月 ウォーキングで他の図書館に行った時 思い出して探した
ようやく楽譜に辿りついた
今はあまり聴かない ユーチューブにも無い名曲であった
母こそは命の泉 いとし子を胸に抱きて微笑めり
若やかに うるわしきかな 母の姿
思えば 私の教師への想い出は良い方と悪い方と極端だった
小学校低学年の時 遠足で弁当も持って行かれない私がいた
そっと 私を呼んで お弁当を分けてくれた男性教師がいた
信州の山奥から東京に来たのが 小学校5年 思わぬ出来事に遭遇した
生徒の悪戯を咎めて 男子生徒を二列に対面させて 相手を殴れという
私は理由もなく殴れず立っていたら その男性教師に嫌というほど殴られた
中学校では2年生の時 不良グループの悪質な悪戯を教師が私に濡れ衣
みんなの前で散々罵倒され 挙句の果てに廊下に一時間立たされた
この時は そばを東武電車が走っており 眺めていて気を紛らわした
多分 7月の初めだっただろうか この時から学校に行くのが嫌になった
母には心配させないように 毎朝カバンを持って定時に出かけ夕方に戻る
行き先は荒川の土手を歩いたり 遠くの街まで歩いてさ迷った
夏休みを前に 通信簿はと母に問われると 途中で無くしたと答える
この期間は家に居ても良いから 普通に暮らせることが出来た
9月になると また果てもない放浪の毎日を続けた
雨の時 冬になって寒さが厳しい時は身に応えた
母を騙して 学校のお金がいると 何がしかの金をせびり 用意していた
入るところは 映画館である 3本立ての安い映画館があって良く見た
西部劇も 母もの映画も 今は名画となった作品も見た
母はうすうす感じていたろう 冬休み前の通信簿も見せることが出来なかった
1月になったある日 母が私に不登校の事を聴く
理由は問わない そんなに学校が嫌な事があるのだろう
一緒に死のうと私に呼び掛ける この頃になると不登校もそんなに悲しくない
それよりも思いつめた母の愛の方が 私を目覚めさした
ごめん 学校に行くよと答えた
7月から1月まで 7ヶ月 長期に不登校していた
あらためて学校の門をくぐる日 母が付いて行こうかと言うが大丈夫と断った
担任も不良グループもいたが 必死に勉強の遅れを取り戻すことに集中した
すぐに追いついて 一目おかれるようになった
この時から笑顔を作れるようになった 笑顔でいればやがて身についてしまう
誰も怨んではいない 今はこの試練が人生にとって大きな糧となっている
復帰してから一時は 教師の道を目標にしたが 貧乏で高校は定時制を選ぶ
町工場で働きながら学校に行ったことも 楽しい想い出となって話が出来る
他人が経験できないような試練は 今となっては 良かったと思える
厳しい冬があってこそ 春の暖かさが嬉しく 感謝を覚えるのだ
母の想い出はいろいろあるが この時期 いつも思い出す 悪かったねと・・・・
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今日の誕生花 クレマチス
花言葉 精神的な美しさ 旅人の喜び
今回も80名を超えている 嬉しい限りである
皆さんが楽しみにしてくれる 下町のうたごえ 私も幸せに溢れる

ここは アットホーム 多分 心地よい場所だろう
皆さん良い人ばかりで 笑顔の花が一斉に開く
歌えば素敵な声 これだけの人数で歌えば 互いに元気を貰えそうだ


懐かしい歌 青春時代にときめいた歌の数々 今でも心に生きている
そう 私たちには青春が生きているのだ
歌の合間に私が言う あの情熱は 皆さんの心のうちにあるのですよ


歳は重ねて あの若さと輝きとは形を変えているのは仕方がない
たとえば石炭 黒々と光り 燃やせば燃料となり高熱を発する
そして 私たちはコークス 石炭が一度 燃えたものである


あんなにガサガサしていないだろうが 輝くものは失っていない
このコークスも燃やせば かなりの熱を発生して 廻りを温める
それが私たち 言って見れば 青春の残滓である


いつまでも燃やし続けよう 廻りを温めよう
これが うたごえに集まる方々の 心の持ち方になれば良い
歌っている時は 何か若い気分になれる これが大事である


その若さ ここへ置いて行かないで お持ち帰りですよと私が言う
皆さんが笑う 共鳴の笑いでもある
うたごえが終わって帰る時 皆さん楽しかった 元気を貰ったと言われる

笑うことも 大きな声で歌うことも大切である
学生時代 この曲のモデルの学校は 青山学院大学だと言われる
お嬢様学校だったかも知れませんね 教会もあるし・・と説明する
もしかしたら 挨拶は 「ごきげんよう」かな?
朝ドラで多用されている言葉 皆さん見ているので どっと笑う
帰りがけに 私に「ごきげんよう」と言って笑う 私も「ごきげんよう」と返す
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今日の誕生花 藤
花言葉 恋に酔う 佳客
そこは東京から近い外環道沿いの 川口・安行 道の駅
安行と言えば 昔から盆栽や花木の園芸植物の栽培で知られる
従って 他の道の駅とは趣を異にして 花がいっぱいである
一昨日の墓参りが越谷市 ここから車で寄り道して行った
いつもは スッと入れる駐車場が入れない 第2駐車場も満杯で車の列
ゴールデンウイークは 安近短 多くの家族連れが訪れたのだろう
入るのを諦めようと思ったが 思い切って路駐を決め込んだ
他には 何台か居たが 路駐はあまり居ない
都内なら 見つかると即 違反で 減点 罰金が待っている
大きな建物を中心に 幾つかの植物園芸即売場がある
小さいべランダで私の家は満杯であるが 見て歩くだけでも楽しい
アジサイやブーゲンビリア 母の日に備えてカーネーションなどが並ぶ
ああ 庭があったら あんな木も欲しい こんな花も育てたい
夢の世界では 庭があることと ピアノがあって いつでも弾ける部屋がある
わずかな時間 花の中を廻り歩いた
車の置いてあるところへ来て 何も貼られていないでほっとした
中に居る時も 本音は違反に挙げられていないか 気にはなっていた
減点は大したことないが 1万円近いお金が出て行ったら哀しくなる
買ってきたのは 78円の花苗 なまえは分からないが2株買って植えた
これでしばらく ベランダが彩られるのだから 幸せなものである
今日は 下町のうたごえ 庭は無いが グランドピアノを弾くことが出来る
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今日の誕生花 ばら
花言葉 美 愛情 内気な恥ずかしさ