のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

コンサート ランチもついて ワンコイン  女流作曲家の曲を聴く

2020年02月09日 07時48分10秒 | うたごえ

華麗なピアノ伴奏 美しく情熱的なヴァイオリンの音色

若い女性が奏でる演奏 恒例の本所地域プラザのランチコンサートを聴いた

プログラムのテーマは 吉田隆子と女流作曲家たち

 

 

数々のコンサート 私は独身時代から通ったものである

ほとんどは クラシッ有名曲の演奏であった

だが 今回の吉田隆子 聴いたことも無い作曲家であった

 

 

ともすれば 作曲は男性の世界が近代の思想である

最近でこそ 歌の世界では シンガーソングライターも多い

しかし 協奏曲 などでは聞かない

 

女流作曲家の先駆けでもある クララ・シューマンでさえも例外ではない

若い時から演奏活動を続けていたが 37歳の時に 作曲を断念した

吉田隆子 1910=1956 恵まれた環境に育ちピアノもある家庭だった

 

戦時体制下では 思想犯として逮捕までされてしまった

彼女の曲も聴いたが 女の情念を感じるような 美しさ 激しさである

プログラムは彼女の交流のあった作曲家の作品で構成されている

 

ヴァイオリン 加藤小百合 ピアノ御法川恵里奈

 

ランチは ハヤシライスとサラダ 高齢者の私たちに優しく美味しい

コンサートが終われば 歌の仲間たちと 一階の喫茶室フロアーで懇談

珈琲や生ビールで しばしの話が弾む これも楽しみの一つである

 

 

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そろそろと 痛めた脚の 試運転   梅の香取神社へウオーキング

2020年02月08日 08時27分12秒 | うたごえ

亀戸天神や墨田区側の香取神社は梅の名所 そろそろ見ごろかなぁ

およそ一か月 脚のアクシデントで さすがの私も散歩も出来なかった

昨日もリハビリに行ったが ようやく内出血の跡も消え 痛みは少しだけ

 

リハビリ受けながら 看護師や女医さんとピアノの話などをして楽しむ?

さてランチでもしようかなと 亀戸の駅前まで出る

そうだ 休み休み 香取神社まで行ってみようか

 

その手前に 大きなスーパー オリンピックがある

ここで ランチ休憩 久しぶりに マックの照り焼きバーガーセット

ここまでくると香取神社まで徒歩五分である 

 

梅は五分咲きと言ったところ 見ごろはあと一週間後くらいだろう

行ってよかった 帰りも喫茶店で休憩 帰ったら一万歩を超えていた

歩幅が狭くなっているだろうから二割引きくらい?

 

写真の取り込みに失敗 昨年の20日頃の写真 来週の予告編です(笑)

 

 

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鹿児島で ぶらり歴史の 散歩道  誌上でいかか?

2020年02月07日 07時00分00秒 | うたごえ

小学校PTAの若いママさんたちを 地元の歴史研究家の方がご案内する

てんがらもんラジオで馴染みの鹿児島・下伊敷歴史研究会 池田会長である

永く住んでいても意外に知らない地元の歴史 遺構 遺跡 建物があるだろう

これを知ることによって 町を再発見して 子供たちへも伝えられる

 

まずは近辺の磨崖仏 大分・国東半島が有名だが 鹿児島にもある

写真が無かったが鍾馗さんも描かれる 男の子の節句人形にも見られるものだ

怒ったような顔が怖いが 学業成就など信仰が厚い

 

 

小野と言えば清水城あとも近い

島津本家筋の 島津貴久は 勢力を付けた島津實久が反乱を起こし戦う

まだ15歳の貴久は その戦いでは破れ小野に住む園田清左衛門に助けを乞う

 

 

小領主のため 追っ手の軍には適わない 裏山の祠にかくまった

追っ手が迫った時 この祠から山鳩が飛び出し それを見て居ないと判断

やがて戦いは 貴久側の勝利に終わる

 

 

島津義弘は 鬼の島津と恐れられていたが奥方や息子 武将たちにも優しい

奥方にあてた手紙は現存するが 京都にいても そなたの夢を見たと書く

たった今 会っていたような気がすると書く 側室も持たなかったそうだ

 

 

小野には 江戸時代の画家 木村探元が有名 狩野派の弟子でもある

ちょっと脱線すると 我が家にも狩野派の七福神の掛け軸がある

江戸末期のものらしい 親父が高く売るため落款を削ってしまい画家は不明

 

 

ラストは 小野の幸加木神社 今やパワースポットと言われる

うす暗い地にあり 小さな神社 滝も幽玄を醸し出す

写真 資料はネットから借用 記事中に間違いがあったらご容赦ください

 

 

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10年の 眠れるカード 眼を覚ませ   失効しているかと思った

2020年02月06日 07時58分38秒 | うたごえ

銀行 郵貯の通帳 キャッシュカード 10年も未使用だと解除され残金も失われる

こんなニュースを昨年聞いた気がする

目的があって作ったカード 何枚かあるが 千円以下端数は残っているだろう

 

私が亡くなった時に こんなカード持っていても 残された家族に役に立たない

そろそろ 他のカード会社系のものと合わせ 処分するかとまとめておいた

銀行系のものは 通帳かカードもどちらかが無い

 

さて 川柳の同人会年会費を振り込もうと郵便局に行った

今までATMで操作できたのに 今回は 初めの段階で適用する項目が無い

窓口で聴くと 過去の相手口座が新しく変わっているとのこと 窓口で処理しかない

 

いままで200円の手数料が 500円かかるという えっ そんなにかかるの?

おかしいじゃないかと突っ込んでも郵便局の決まりが優先だ もちろん そうだろう

システムが変わって 郵貯のカードや通帳があれば 初回振り込みが無料だという

 

えっ無料? 貧乏のびたは すぐ反応する ひとまず家に帰ってカードを探す

出てきた 10年未使用のカード 日を改めて 郵便局へ行った

このカード生きているかな? 恐る恐るカードを挿入して残高照会をした

 

覚えていた暗証番号である 良し 600円余 入っていた 良かったぁ

すぐ会費分を預金して 即刻振り込みにした やはり無料 嬉しいものだねぇ

1000円未満 引き出しが出来なかったが 端数預金して 1000円なら可能だ

 

 

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会いながら 切ない別れ 告げるとき   戸惑いながらの決断

2020年02月05日 06時55分08秒 | うたごえ

この介護施設へ 歌の訪問をするようになって10 数年が経つ

まだクラブツーリズムの添乗員 お客様に居たのが若い女性グループだった

三日間のバスツアー ガイドも居ないので 私がガイド兼添乗員である

 

 

バス車内は いつものように私のトークやハーモニカでほんわかムードに終始

別れ際に グループの女性からメモが渡された 是非 施設に来てほしいと・・

訪問してみれば 認知症の症状の重い方が多く 行っては見たが何をしてよいか

 

今でもそうだが あまりにも無反応だと ボランティアの方は敬遠する

一度 うたごえの仲間を連れて行ったが 逆にカルチャーショックを受けていた

施設側も ただ漠然と立っているだけ 利用者はテーブルごとに寝たり所在無げ

 

 

徐々に施設スタッフに注文を付け 皆さんが歌える 聴く 状態にして行った

何故か長い利用者さんも多い おひとりづつの症状が行くたびにわかる

楽しそうにしていた人が やがて無表情になる 奇声を上げる人 怒鳴り散らす

 

自傷行為予防で拘束される人 さまざま それでも歌が心に届けと心を傾ける

全神経を集中しながら 周囲を見て 目を合わせ 唇の動きを見る

歌は聞こえてこない だが心で歌っている人がいる 勿論無反応の人も目立つ

 

 

多い時は 施設訪問7カ所あったが ここが一番きつい 終わると疲れが出る

添乗員をしながら うたごえの活動もして 併せて施設訪問 休日が少なかった

年を重ねながら施設訪問も少なくした来たが この施設だけは続けようと思う

 

他の施設は ボランティアの方が居る 発表できる場として行きたい人もいる

ここだけは誰も行かない 私が辞めれば誰もまた来ない 他は辞めても行こう

そう思いながら10数年経った 施設の責任者もスタッフも何度も変わって行った

 

 

最近 脚のケガもあった 健診だけは何十年異常無しを続けている

だが80歳も過ぎた 施設で一時間近くたっていると正直腰が痛いと悲鳴を上げる

歩いている方が楽である それと神経集中する気力はまだあるが 辞め時か

 

あと2カ所の施設は 訪問しても軽い気持ちで行ける まだ継続をしようと思う

もう いいでしょう 辞めさせてくださいねと心に決めて訪問した

しかし 静かなうたごえ それでも見つめる目がある これが私を戸惑わせる

 

一応 来月 最終回にしたが その以後 歌を歌う 聴く こんな機会は失われる

私が倒れるまで行くなんて出来ない でも 心を鬼にしなければ決断できない

ごめんね 後残された私の人生 少し気楽にさせてください

 

 

残る2カ所の施設訪問と うたごえは これからも続ける

最終的には ボランテイァをやめることがあっても うたごえだけは辞めない

ボランティア活動に目覚めて活動 休んでいた時もあるが60年の歳月が経過した

 

 

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