平成17年11月2日。
ついに、世界三大瀑布の一つ、世界遺産「ビクトリアの滝」と御対面!ホテルを8:00にマイクロバスで出発。5分で滝の入口に到着。
やはり、大量の水が激しく落下する「さま」は、素晴らしい。心が文字通り「洗われる」。
雲ひとつ無い快晴。「ジンバブエ晴れ」である。
約1時間半の散策。道端には赤い花が咲いていたり、滝のあげる水煙で綺麗な「虹」が何ヶ所かで見られた。
とうとう、「ナイアガラ」「イグアス」「ビクトリア」と三大瀑布を制覇する。迫力で順番をつけると、「イグアス」→「ナイアガラ」→「ビクトリア」であるが、「ビクトリアの滝」は僕が行った時は水量が少なく、多い時は30倍以上の水が流れ落ちるそうだ。但し、水量の多い時期は水煙が物凄く、滝自体が見えなかったり、ずぶ濡れになったりするので、今の時期が程よいのかも・・・と添乗員さんは言っていた。
滝の観光は、この滝の発見者である「リビングストーンの像」から始まり、「デビル滝」「メイン滝」、そして最後に「デンジャラスポイント」というところに出る。切り立った崖の先端で、腹這いになって、下を流れる川を見られる。もちろん、「柵」などというものは無い。落ちたら、「自己責任」である。
「ピサの斜塔」のテッペンにも、柵が無かった様に、欧米人は「過保護」では無く、ちゃんと「自己責任」という事を認識している。大人だと思った。
この「デンジャラスポイント」から、一年に一人くらいは落ちると、ガイドさんが言っていた。
南アフリカは大丈夫だが、このジンバブエ、ザンビア、ボツワナの3ヶ国では、「マラリアを感染させる蚊」が発生し始める時期。僕もホテルの部屋で寝る時に点けておく「電気蚊取り機」と外を歩いている時に腰にぶら下げておく携帯の「電気蚊取り機」を持っていって使った。ただ、ほとんど、蚊は見なかったので、大量発生のシーズンより少し早いのかもしれない。
「マラリア」は4種類あり、最悪のものに罹ると、3日くらいで死に至る事もあると今回の旅行社から送られてきた資料には書かれていた。
外務省からの通告もその資料の中に入っており、「渡航に際しては十分注意をする事(特に治安の面)」となっていた。
滝観光の後は、樹齢1500年の「バオバブの樹」を見て、ジンバブエを出国、ザンビアに入国し、リヴィングストン空港から、13:10発BA-6292便でヨハネスブルグヘ1時間40分のフライト。
このあたりから、胃腸の調子がおかしくなり、日本から持っていった「抗生物質」と「消化を促進する薬」を飲み始める。
南アフリカでは、5人に1人がHIV(エイズ)に感染しているとの情報もあり、何かの病気になったり、ケガをして、輸血を受ける事はなるべく避けた方がいいとガイドブックに載っていた。
4カ国とも、水道の水は飲めるが、ほとんど毎日、ミネラルウォーター。
14:50、ヨハネスブルグ空港に到着。
南アフリカ、再入国。南アフリカの旅行社のエリカさん(この人が最初に南アフリカに着いた時も世話をしてくれた)の出迎え。
VOLVOのゴージャスな大型バスに乗り込んで、ヨハネスブルグ市内で、南アフリカを代表する花「ジャカランタ」の咲いている地域を回る。高級住宅街の家々には「高圧電線」や「鉄条網」が塀の上に張り巡らされ、どの家にも、警備会社のマークが貼られていた。やはり、「治安」は物凄く悪いのだろう。
バスは、高級住宅街に咲く「ジャカランタ」の近くに止まり、しばし、写真タイム。それ以外の場所では降りなかったのは、ツアー客の安全を考慮しての事だと思う。裸足で歩いている子供もいたし、信号待ちをしていると、道路の真ん中に出てきて、新聞を売り始める人々をたくさん見た。こういう光景はインドや南米でも一緒である。
次にバスが止まったのは、ダイヤモンドのお店というか、ビル。ダイヤモンドはユダヤ人の経営する「デ・ビアス社」が世界的に管理しているとの事。
このビルに入る時には、「入館証」を渡され、表のドアから我々ツアー客が全員入ったのを確認して、表のドアを閉め、中へ入る、第2のドアが開けられるという、厳重なセキュリティーシステムをとっている。
ダイヤモンドに関するビデオを見せられ、店員さんが早口の英語で添乗員さんに説明。添乗員さんが、「頭から英語のシャワーを浴びせかけられている状態」になった。それでも、添乗員Hさんは必死でメモを取りながら、何とか我々に分かるように、かいつまんで、ダイヤモンドの説明をしてくれる。
そして・・・買い物タイム!!!!!
妻に、ダイヤモンドを18金で挟んだシンプルなデザインのペンダントを買う。ツアーのおばさん方が値段を訊いて、「こりゃ、安いわぁ~」と驚きの声をあげていた。新婚さんはどうも、奥さんの方が強いらしく、真剣にダイヤモンドを選んでいる。男性諸氏は、「何で女性は宝石の前に立つと浮き足立って、嬉しそうな、幸福そうな顔になるのだろう」とでも言わんばかりに、店の壁際のイスに座っていた。
いざ、ショッピングを終え、プレトリアへ。南アフリカの経済の中心だ。フリーウェイが渋滞していて、1時間くらいかかっただろうか。その間、飲酒運転でパトカーに捕まっているバイクを見たり、椰子の木の様に作られた「携帯電話の電波塔を見たりして、プレトリアのマンハッタンホテルに暗くなって到着。
この町の治安も悪く、ホテルに着くなり、添乗員さんの方から、「午後7時以降は絶対にホテルから外に出ないで下さい。近くにスーパーマーケットもありますが、そこに行くのも危険です。プレトリアの住人達も、午後7時を過ぎたら、外出はしないという。どれくらい治安が悪いのだろう。
ホテルの部屋に入り、シャワーを浴び、くつろぐ。旅の疲れも「絶好調」である。日本への国際電話は「ビクトリアフォールズ」のホテルの女性授業員の携帯から繋がって以来、幾らかけても繋がらない。
音楽を聴きながら、本を読んで就寝。
この日も長い一日だった。