お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

死刑を拒否すれば生きられたのに・・・殺してくれと言った殺人犯の物語

2005年11月29日 | 本・雑誌・漫画
心臓を貫かれて

文藝春秋

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みずから望んで銃殺刑に処せられた殺人犯の実弟が、兄と家族の血ぬられた歴史、残酷な秘密を探り哀しくも濃密な血の絆を語り尽します。読む程に、「何故、殺人犯の兄が死刑にしてくれと言ったかが、胸に突き刺さってくる本。文庫でも出てますが、一気に読んだ方がいいと思ったので、単行本の方をあげました。
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駅の「何番線」はどうして決めるのか?

2005年11月29日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
「閑話休題」。
駅のホームの「何番線」というのは、どうして付けられるか知っていますか?
基本は、「駅長室」に近い方から、「1番線・2番線・・・」という風に決めます。

但し、京王と都営地下鉄の「新宿駅」。京王線のホームには、「1~3番線」、都営新宿線のホームは「4・5番線」、都営大江戸線のホームは、「6・7番線」という様に、分かりやすくなっています。これは多分、三つの線が改札を出なくて乗り換えできるからそうしたのだと思います。

「上り列車」「下り列車」は、基本的にJRの場合、「東京駅」から出発する列車を「下り」、到着する列車を「上り」と呼んでいます。
僕の知っている例外は、新潟県の弥彦線。終点に「弥彦神社」という由緒正しい神社がある為、「弥彦駅」から出る列車が「下り」、着く列車が「上り」です。

こんな情報、要らないという方も多いでしょうが、「鉄チャン」なので・・・堂々と書きます。
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22年前、「年越し」のニューヨーク・・・

2005年11月29日 | 旅・外国
「年越しのニューヨーク」に新入社員の時、同期と二人で行った。タイムズ・スクエアーに程近い「文豪」も泊まった事があるという二人で25000円位のホテルに泊まった。

「年越し」の夜、つまり、大晦日の夜、タイムズ・スクエアーは、広場のセンターを中心に十字架の形に、人が入れず、騎馬警官が巡視するスペースが設けられる。

人は12時に向かってどんどん増え、やがて、同期の友達も見失い、自分の体を動かす事もままならない状態になる。
そして、カウント・ダウン。「年越しの瞬間」には、あちらこちらでキスをしているし、タクシーの屋根の上、信号の上で飛び跳ねている奴はいるし・・・まあ、100万人集まれば、そうもなるだろうという状態。シャンパンの瓶が空を飛び交い、凄い大騒ぎである。

僕はいち早く、ホテルに退散。日本より遅れて放送している「CM入りの紅白歌合戦」を見ていると、友達がヘトヘトになって帰ってきた。

あれから22年。当時のニューヨークは治安が悪く、いわゆる「ボトラー」と呼ばれる人達もたくさんいた。何をするかといえば、紙袋の中に飲み物の瓶を入れて、歩いていて、これはという「獲物」を見つけると、「自然と、歩きながらぶつかって、紙袋を落とし、中に入っていた酒を弁償しろ」という手口。今のニューヨークはその頃より、ずっと治安が良くなったと聞いているが。

同期の友達が音楽好きで、四日連続、夜、「ミュージカル」を見に行った。「キャッツ」「42nd street」「ラ・カージュオフォーレ」「コーラスライン」。
僕はどれも熟睡していた。昼間、「メトロポリタン美術館」とか、散々何時間も歩き、音楽にそれほど興味も無かったので、寝て当たり前。
ジャズを聴きに「ビレッジバンガード」という超有名な店に行った時も、動けない位、客が入っているのに、首を縦に振り出し、やはり寝てしまった。
その同期には、金輪際、一緒に旅行には行かん!と宣言されてしまったが、眠いものは仕方が無い。

この旅行で、「ワールド・トレード・センター」にも上った。下から見上げると、ビルの途中に雲がかかっていて、すげえ!と本当に感動した。だから、9.11.のテロの時は凄いショックだった。自分が自分の足で上ったビルが崩れる瞬間を見てしまったから。

あれから、その同期とは旅行に行っていない。


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小説を書いていた親友が事故で亡くなり、それを自分が書いた事にして

2005年11月29日 | 本・雑誌・漫画
著者略歴

早川書房

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その本が大ベストセラーになった主人公の「悲喜劇」。面白い。
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スタンダップ・コメディーとは・・・

2005年11月29日 | 本・雑誌・漫画
スタンダップ・コメディの勉強―アメリカは笑っている

晶文社

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正確には、「スタンダップ・コミック」という。日本で言えば、「漫談」。しかし、アメリカではこの分野から出て来た俳優さんは多い。「ビリー・クリステル」「スティーブン・マーティン」「ロビン・ウィリアムス」等。
「笑い」という「文化」が分かるのは素晴らしい事だと思う。本書を読めば、アメリカの「笑い」を知る事ができます。
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「育英社」と「旺文社」、そして「Z会」。

2005年11月29日 | 教育・学校
「育英社」の模試と「進研」の模試が中学・高校時代あり、確か、「育英社」の模試では、「近畿大学」のキャンパスに行き、校舎にエスカレーターの付いているのに、びっくりしたものだった。

「育英社」の模試は「簡単」で、「進研」は真剣に難しかった。何でこんなことを書き始めたかというと、まず、僕らが受けていた「模試」というものが未だに存在するものなのか?という単純な疑問。それから、「育英社」とか「旺文社」とかいう名前を聞かないので、会社が縮小したのだろうか・・・「旺文社」は一時、「テレビ朝日」の株主で、「赤単」と呼ばれる「試単」と並ぶ「英語の単語を憶える本」で有名だった。そのうち、「旺文社」一族の中で、揉め事が起こり、「テレ朝」の株もかなり手放したと僕の記憶にある。

「通信教育」というのもあった。岡八郎の「空手もやってたんやで。通信教育やけどな」ではないが、「育英社」と東大に行く人は「Z会」という通信教育があった。

僕は小学校四年生の時に、母が「算数の自由自在」を買ってきて、そこから「勉強の運動会」のスタート。小学校五年・六年は、浜甲子園から神戸の魚崎の塾に通った。塾での成績はまあまあで、成績の順位が貼りだされ、上位10人は名前も公表された。賞品も貰えた。
僕は一度も名前が出る事も無く、賞品も貰う事も無く、ただ二年間の「皆勤賞」だけ貰った。

「灘」や「甲陽」というトップクラスの進学校には入れなかったが、「進学校」と呼ばれる「私立」に入り、中一の時に、中一と中二の数学、中二の時に、中三と高一の数学という様に、「公立」より早い「勉強というエスカレーター」に乗り、高三までいった。もちろん、学校がカトリック系だったので、いろんな「人間の心」についても学んだ事は確か。

先日、南アフリカに行ったが、子供も大人も表情が明るく元気に見えたのは旅人だからだろうか。

あの「塾」から「灘」や「甲陽」にいった奴は今頃どうしているのだろう。「官僚」にでもなっているのだろうか。

人の人生、何が正解かなんて無いと思うけれど、出会った同級生のその後を知りたいなぁ~と「模試」という言葉がふと頭の中に出てきて思った。
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「帝国ホテルのカツサンド」

2005年11月29日 | 料理・飲み物・食べ物
「カツサンド」が食べたい!と心の中で叫びながら、今日、「帝国ホテル」に打ち合わせで行った。
確か、僕の記憶では、日本テレビ系の「どっちの料理ショー」で美味しそうな「カツサンド」が2200円・・・という数年前の記憶が残っていたからだ。
その放送を見てから、ずーっと、「帝国ホテルのカツサンド」をいつか食べてやろう、と思い続けた。

しかしながら、事前に電話して訊くと、「帝国ホテル」に「カツサンド」を出す店は無いのだそうだ。
「どっちの料理ショー」の取材も受けていないという。放送当時、メニューにあったものが無くなったのか、僕の勘違いか、「カツサンドを食べたいという妄想」だけが、僕の心の中で浮いたままになってしまった。誰かー、「カツサンド」の美味しい店、教えてよー。



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