僕たちが生きていく上で、必要な事に「食べる」という行為がある。「食べる」が必要なら、「排泄」という行為も必要。さもなければ、体中、排泄物でパンパンになってしまう。
昔読んだ筒井康隆のSFに、どうしても「ウンコ」が出ない(便秘ではなく、ウンコがどこかへ消えてしまっている)話があった。オチは、「ウンコ」が「宇宙のブラック・ホール」に入って、「宇宙の一角」で山の様なウンコになっていたという事が発覚する。
今までいろんな国に行ったが、トイレがいちばんきれいだったのは、「ニュージーランド」。「公衆トイレ」もピカピカだった。
日本はトイレが「きれいな部類の国」に入ると思う。
こないだ行った「南アフリカ」は思ったより、トイレは「きれい」だった。土産物屋さんのトイレにも紙があり、ちゃんと使えたし、空港のトイレもきれいだった。
南米は地域によるが、ペルー・チリあたりでは、トイレはホテルで朝済まし、旅に出発していた。
あの銃撃戦で有名になったペルーの首都リマの「日本文化資料館(正確な名前は忘れた)」でトイレに行きたくなり、駆け込むと紙が無い。そこで、向かいのスーパーマーケットでトイレットペーパーを買いにいく。そういう時に限って、現地通貨の持ち合わせが足りない。すぐ、横に銀行があったので両替。トイレットペーパーを買って、元のトイレに戻ると、さっきは気付かなかったが、「便座」が無い。足が吊りそうになりながら、用を足した想い出がある。
この「便座」が無い国が結構イタリアなど、ヨーロッパでもある。「便座」が盗まれるのである。
南米のトイレのもう一つの特徴は「水の流れが弱い事」である。だから、おしりを拭いた紙は便器の横に置いてある「カゴ」に入れる。そうしないと、トイレが詰まってしまうからである。でも、南米のそういうところは、「乾燥」していて、臭いがしない。
もっと凄かったのは、以前、このブログにも書いたがペルーのリマから地上絵で有名なナスカ方面に行く途中のドライブインのトイレ。
店員さんに場所を訊くと、「ウラにあるよ!」と言われ、気軽にその部屋のドアを開けて、引っ繰り返りそうになった。僕の身長より高かったから、3メートルくらいのピラミッド状のウンコの山が部屋いっぱいにできていたのだ。多分、部屋の真ん中に便器があって、それが詰まり、向こうの人はそんなことは気にせず、どんどんウンコをしていった結果がピラミッドウンコ。僕はこれだったら、野糞の方がいいと思ったが、ホテルのトイレまで我慢する事にした。
イタリアのトイレで面白かったのは、トイレの「大」の方に入ると、足を置く「足型の島」がふたつあり、周りは「島」より低い穴になっている。用を足して、水洗のボタンを押すと、島の周りを水が凄い量とスピードで流れるのである。
だから、海外旅行で、帰りの飛行機に乗ると、ホッとするのである。飛行機のトイレには紙もあるし、ちゃんと水で流してくれるからだ。但し、「エア・インディア」と「パキスタン国際航空」のトイレは乗ってすぐ行った方がよい。
インドは、左手でお尻を拭く国だし、パキスタン国際航空も「南廻り」でチケットが「エジプト航空」と並んでいちばん運賃が安いので、香港あたりから、出稼ぎの人々がたくさん乗り込んできて、トイレが汚れてしまう可能性が高いからだ。
「用を足す」と言っても、エネルギーが必要な国はたくさんある。
余談だが、ボリビアとペルーの国境の町で「有料トイレ」に入って、小便をしようと思ったら、どこでしていいか分からない。チップをあげるトイレのおばさんに訊くと、ここだと言う。そこは、どう見ても、日本人なら手を洗うところの様に思える高さで、189センチの身長の僕がやっと、おちんちんを載せて小便できた。南米の人は足が長くてスタイルがいいのだとその時、実感した。








