お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「マクド」

2005年11月17日 | 料理・飲み物・食べ物
関西圏で、「マクドナルド」の事を「マクド」と言う。関東は「マック」。
しかし、先日読んだ読売新聞には、「マクド」と関東エリアでも呼ぶのが浸透しつつあるとの調査が載っていた。
但し、アクセントが違う。大阪の場合は「マクド」の「ク」にアクセントを置く。
東京の場合は、アクセントはフラットなのだろうか。そこまで新聞には書いてなかった気がした。

またまた、脱線。南アフリカの四カ国で、「マクド」を見たのは一軒だけ。「ケンタッキー」も一軒しか見なかった。儲からないから進出しないのか、アフリカ諸国の政府の方針なのか、分からない。ちなみに、「エジプトのスフィンクス」の前には「マクドナルド」がある・・・と「トリビアの泉」で言っていた。と思っていたら・・・「ケンタッキーフライドチキン」でした。
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「ミイラ」を訪ねて、三千里・・・

2005年11月17日 | 旅・外国
僕の最初に行った国はエジプトである。正確には、当時ヨーロッパ線はアンカレッジ経由だったので、「アメリカ」、そして数時間入国した「イギリス」があるのだが。

エジプトで僕が楽しみにしていたのは、「ミイラ」を見る事である。「即身仏」等も、見たいし、ペルーのリマでは、「人骨で作られた教会の様な建物」にも行った。

怖くないのか、と言われれば、夜一人とかでなければ、怖くない。
ちょっと違うかもしれないが、「ジェットコースター」が大好きだったり、スキー場に行くと、「いちばん上のリフト」に乗らないと、気が済まない。バンジージャンプも機会があったら、是非やりたい。

という訳で、大学の卒業旅行でエジプトに行った。
エジプトの博物館に、ワクワクしながら入っていく。
しかし・・・しかし・・・「ミイラ」が無いのである。現在はどうか分からないが、元々イギリス領だったエジプトは「ミイラ」をイギリスに持って行かれた。
だから、27日間のツアーで最後に訪れた国・イギリスのロンドン「大英博物館」で僕は初めて「エジプトのミイラ」に対面した。ちゃんと、「エジプトのミイラの部屋」があるのである。なんたる事か・・・。

ちょっと、話は脱線するが、長男と次男が夏休みにキャンプに行くのに、「寝袋」を買わなければいけない事になり、インターネットで探していたら、あった。いろんな型があるのだが、オーソドックスな型は「マミー(MUMMY)型」なのであった。「マミー」は英語で「ミイラ」の事。確かに、体形に合わせた「寝袋」は「ミイラ」に似ている。だからといって、キャンプ用品の名前に「ミイラ」を使うとは・・・ちょっと嫌だなぁ。皆さんはどう思います?
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「上映終了後、立てない映画」

2005年11月17日 | 映画・DVD・ビデオ
ブレージング・サドル

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映画館で、上映が終わって明るくなっても、興奮したり、感動して、しばらく脱力感に襲われ、立てなくなる映画が数本ある。こんな映画に始終めぐり合いたいのだが。

僕は、順不同で言うと、「砂の器」(号泣)、「ブレージングサドル」「007/私を愛したスパイ」「あなただけ今晩は」・・・最近では「スウィング・ガールズ」「パッチギ!」「Ray」等。

こんな映画を見た後は、幸せな気分になり、いつものバーで一人ウィスキーのグラスを傾ける。

それにしても、最近、映画館に行っていない。「ミリオンダラー・ベィビー」以来だ。
僕は「日本アカデミー賞」の会員に数年前なった。年会費は2万円。正直、高いと思う。「東宝」「東映」「松竹」「日活」のロードショー館が初日・日曜・祝日以外は、フリーで入れる。
一本1800円としても、年間12本見ないと、元が取れない。でも、これを持っていると、映画に行かなくては・・・というエネルギーが出てくる。一度行くと、結構立て続けに行くのだが、最近上映している映画には触手が動かなかった。上野樹里の「タイムマシンブルース(タイトルが違っているかもしれない)」には、行きたかったが、躊躇しているうちにロードショーが終わってしまった。

これからも、「上映が終わって、立てないような映画」を探し求めていくつもり。
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「泣きネタ」

2005年11月17日 | エッセイ・日記・意見
「涙本」とか、「涙が出る映画」が求められているらしい。
韓国映画の「私の頭の中の消しゴム」のヒット、最後にはボロボロと泣いてしまう本がベストセラーになっている。

「涙」は以前、このブログでも書いた様に、「赤血球の抜けた血」である。何故かしら、その「血の涙」を出し、号泣すると、生きる元気が湧いて来る。
逆に言えば、それだけ、「泣きネタ」の需要が多いという事は、「元気が無い。元気を社会に吸い取られている」という現実があるのではないだろうか。

先日、旅した」「南アフリカの人は、「泣きネタ」も入らない位、ユーモラスで元気だった。あんな大自然と動物、美しい風景に囲まれていれば、そんなものは要らない。

日本人が「泣くという行為」を通して、「元来持っていた日本人の叙情性」を取り戻そうとしているかのようだ。
みんな、元気になろうぜぇ~思いっきり泣いて・・・。

昔の日本テレビの青春ドラマに「泣いてたまるか」というのがあった様な記憶がある。
あの頃の日本人に「心」は戻りたい。もう、「もの」も「情報」も要らない。ひとつの生き物、日本人として生きて行きたい。
http://www.keshigomu.jp/index2.html
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