お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「E電」「ランバダ」「もつ鍋」「悪魔ちゃん」・・・・・

2005年11月23日 | 本・雑誌・漫画
現代“死語”ノート〈2〉1977‐1999

岩波書店

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今は、どんなものも(タレント等も)消費されるのが速いが、「日本語」もその一つのジャンルになっているのかもしれない。
こんな言葉、あったあったと頷きながら、読んでいた。「熱しやすく冷めやすい」日本人の特性をこの本を読んで感じた。
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「言葉」によるコミュニケーションは全体の7%に過ぎない。

2005年11月23日 | 本・雑誌・漫画
人は見た目が9割

新潮社

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http://www5b.biglobe.ne.jp/~honyomi/

「人の表情・ポーズ」「匂い」「色」がどれだけ、「コミュニケーション」に役立っているかを分かりやすく書いた本です。
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「生きる」

2005年11月23日 | エッセイ・日記・意見
今日は「蘇る金狼感謝の日」・・・いや、「勤労感謝の日」。昨日、仕事で遅くなり、高校の友人の経営する「南インド料理の店」
http://r.gnavi.co.jp/g898700/で遅い夕食を打ち合わせしながら食べ、帰宅し、寝て起きたら、午後12時45分。「勤労」というより「体と心が金属疲労」を起こしているかの様に、長時間熟睡しました。

妻は長男と、サッカーの試合。長女と次男と三人で家にいます。寒いねぇ。大阪も東京以上の寒さになっていると聞きました。

一昨日書いた「自殺」というブログへのコメントが多く、やっぱり、「死」とか、「自殺」とか、「どうして生きていくのか」とか、考えている人の多さを実感しています。

あと、一ヶ月あまりで「新年」。妻はこの時期、「年賀状のイラスト」を何にするかで、大騒ぎです。僕も、このパソコンを買った時、「パソコンなら、年賀状のデザインなんか、簡単やで」と豪語していましたが、説明書を読まない僕にとっては、「ホームページやブログを見る」「メールの送受信」「ワード」「エクセル」「ネットワークウォークマンの為の音楽リストの編集」・・・しかできません。というか、それ以上、憶えるのが面倒くさいのです。
多分、歴代の携帯電話にも「凄い機能」がついていたのかもしれませんが、ほとんど使っていません。

その個人個人にあった「機能のみついているパソコン」を選べる様な「品揃え」にして、パソコンの価格を下げてもらうと嬉しいのですが。

昨日発売の雑誌「FLASH」で「ミッキーマウス」と「ミニー」が「別の名前」で、信濃町の「創価学会」の本部に飾られていたという記事を先程読みました。日本のディズニーの社長が「学会員」で、「黙認」したという形でしょうか。

いろんな「宗教」があり、僕は「仏教」の幼稚園に通い、「中学・高校」とカトリックの学校に通いました。うちの宗教は「真言宗(仏教)」ですが、本当にそれを実感できるのは、葬式の時くらいで、普段は「宗教」に関して、それ程強い興味は持っていません。
ただ、半年くらい前に読んだ吉川英治の「親鸞」にはいろいろ学ぶところが多かったですが。手塚治虫の「ブッダ」もそうですね。

「創価学会」をうんぬん言うつもりはありませんが、「学会員」を使って、いろいろと世間にアピールするというのはどうかと思います。上記の「ディズニー」の件はともかく、通勤電車の社内吊りでよくみる「創価学会系の出版社」が出している雑誌の広告を見ていると、「池田大作がどこどこの国で名誉賞を貰った」とか、「池田大作が世界の有名人と握手している写真」とか・・・僕は決して好印象を持ちません。

「学会員」なのに、「クリスマス(キリストの誕生日)」を祝ったり、お正月に「初詣」(これは「神道」の儀式ではないでしょうか)をあげたり、受け取ったり・・・阿藤快さんではないですが、「なんだかなぁ~」という気持ちにさせられます。

僕自身、「宗教」というのは必要と思っていて・・・特に年間3万人の自殺者が出ている今の日本には・・・僕の恩師の先生で神父であるFさんはアメリカ人なのに、「自らの行動をもって、僕たちに生きる事についての大切な事を教えてくれました。今は、高齢で体調がすぐれないので、リタイアして、余生を送っておられます。
恩師に去年、会いに行きました。彼の故郷はアメリカのバッファロー・・・ナイアガラの滝に近い町です。
「先生は、バッファローに戻られないのですか?」とおききしたところ、もう何十年も戻ってないとおっしゃられました。多分、人生の最後まで日本におられる事と思います。
僕がその恩師から学んだ事は、「人の為に何かを無償の愛を持ってする事」だと思っています。そうする事が、自分自身の幸せにも繋がるのです。

そういう意味では、「キリスト教」「イスラム教」「仏教」等への信仰が厚い国・地域の人々は、「神様や仏様に対しての自分(つまり、良心)」をちゃんと持っているので、たとえ、経済が発展して、物質文明になろうとも、「自分の生き方」「生きる目的」を
見失う事が少ないのではないかと思います。

インテルの会長が「慈善事業に寄付した金額」が、あのビル・ゲイツを抜いて、今年、トップになったと新聞で読みました。やはり、成功して、たくさんのお金を儲ける様になったら、それを社会に還元するという暗黙のルールがアメリカ社会にはあるのだと感じました。いずれにしろ、お金を山ほど持っていても、「墓場」までは持っていけませんから。

お隣、韓国は「儒教」の国です。親とか、年上の人を敬うというのは、「儒教の精神」から来ているのです。
日本にも、江戸時代、「儒教」が入ってきましたが、根付きませんでした。
ここからはかなりの私見ですが、「儒教」の精神と「仏教」の精神を取り入れたものが、今の「日本人」には合っているのかもしれません。
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