お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

昨日から今日にかけて・・・日々一歩一歩しかない。

2007年06月04日 | エッセイ・日記・意見
昨夜、長女が帰って来て、「陸上部のリレー」で「都大会出場が決定した」と僕と妻に告げた。長女と握手を交わしながら、とっても嬉しい気持ちが僕の中で、こみ上げてきていた。長女の手のひらは、一日、陸上競技をやっていたのか、ちょっと湿っていた。塾に行き、サッカーも習い、陸上部で部活もやり、こっちが「大丈夫か?」と思わず訊いてしまいそうになる程のスケジュールである。

長男はサッカーの強い中学に進学した為、午前6時40分に家を出て、毎日、「朝連(朝の練習)」に通い、放課後も練習。土日も試合でサッカー漬けの毎日。汗をかくと「痒くなる」という思いが強い僕には耐えられないかも。
この土日は久しぶりに「部活」が無かったので、睡眠をよく取り、好きなマンガを読み耽っていた。

次男は社会と理科が好きだ。小学校四年生。
「おとうさん、徳川家康のおとうさんって、誰?」と、こちらが油断していると突然質問してくる。
「う~んっっっ」と唸っていたら、今日、小学校の図書館で自分で調べてきた。「明智光秀と戦ったのは誰?」と訊かれ、「関ヶ原の戦いだから、徳川家康じゃない?」と不安げに答えると、「豊臣秀吉じゃないの?????」と突っ込まれ、即答できず、彼がまた自分で調べてくるのを待つ事にした。


今日は、月に一度通っている「世田谷呼吸センター」の診察日。僕はここで数年前、寝ている間に呼吸が53回止まりかけている、いわゆる「無呼吸症候群」と診断され、寝る時は毎日「マスクから強制的に空気を送り、呼吸が止まらないようにして寝ている」・・・いつ治るんですか?と医師に訊くと、やはり、「体重を落とす事」に尽きるそうだ。つまり、太っていると、寝ている時、気管が圧迫されやすくなり、「無呼吸症候群」になりやすいそうだ。いろんな意味でやせなくては。

帰宅後、「情熱大陸」(毎日放送)のCMプランナー・箭内 道彦(やない みちひこ)さんのドキュメントを見て、「さんまのまんま」(関西テレビ)の松本人志がゲストの回を見、そして「NNNドキュメント・神戸児童連続殺害事件の10年後(つまり少年Aの事件)」(読売テレビ)を見た。3つの番組、全然違う方向性のものだったが、「何故、生きているのか?」という僕自身への問いかけの「答え」を見つけたいが為に見たというのが正直なところ。

本や写真集、DVD等、「読みたい」「観たい」はたくさんあるのだが、ちゃんと「睡眠時間」を取らないと、精神的に不安定になるので、どこかで時間を区切って割り切らざるを得ない。まあ、日々こんなもんだろう。

金曜日の後輩がプロデュースし、いつも一緒に仕事をしたディレクターが演出した「藤原紀香主演の2時間ドラマ」も、僕の師匠のプロデュースした土曜日の「テレサ・テン物語」もいい視聴率を取ったので、拍手である。




箭内 道彦(やない みちひこ、1964年4月10日? - )はコピーライター、CMプランナー、クリエイティブディレクター 。 「楽しくぬるま湯で仕事できるなら、質は下がってもいい」という思想だそうです。http://blog.excite.co.jp/mottainai-lab/i2

プロフィール
1964年福島県郡山市にて生まれる。
福島県立安積高等学校を卒業。
1990年東京芸術大学美術学部デザイン科卒業。
広告代理店の博報堂に入社。その後独立し、2003年に事務所、ショップ、ギャラリーを兼ねる風とロックを設立。
実家は和菓子屋さんを営んでいる。
2007年5月22日、女優の南野陽子と真剣に交際していることが報じられた。

主な企画作品
タワーレコード 「NO MUSIC, NO LIFE.キャンペーン」[1]
フジテレビジョン「きっかけは、フジテレビ」


CM
FUJIFILM 「Photo is 」[2]
資生堂「uno お笑い芸人52人CM」[3]
森永製菓「ハイチュウ」
資生堂「uno デオドラントスプレー」
東京メトロ


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羽田 健太郎 さん、死去。

2007年06月04日 | 歌・CD
羽田 健太郎 (はねだ けんたろう、1949年1月12日 - 2007年6月2日) は、日本の作曲家、編曲家、ピアニストである。通称ハネケン。

劇伴音楽を多く手がける。2000年4月からはテレビ朝日の音楽番組『題名のない音楽会21』の司会を務める。地方都市の文化会館が落成すると、必ずといって良いほど呼ばれた。

2007年6月2日、午後11時53分、肝細胞癌のため、東京都内の病院で死去した。享年58。

プロフィール
1949年東京都生まれのピアニスト、編曲家、作曲家。東京音楽大学客員教授。桐朋学園高等部から桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業。有賀和子、故井口基成、柴沼尚子など、業界では特にスパルタで知られる高名な教育者たちに師事。

幼くして父を亡くし、母親と祖父によって育てられた。

中学3年のときには師匠の有賀和子に「これで(桐朋高校受験は)間に合うかしら」と心配させた。当時練習していたチェルニー50番をチェルニー30番へと戻され、基礎から学びなおすことになった。高校入学後は一日16時間もの猛練習でライバルとの差を一気に縮め、急速に実力を伸ばし、大学生時代には音大生のトップレベルに上り詰めていた。羽田が『徹子の部屋』で語ったところによれば、「片手ずつゆっくりさらい、完全に出来るようになったら片手ずつ速くさらい、それが出来たら今度は両手でゆっくりさらい、それが完全に出来るようになったら、最後に両手で速くさらう」という地道なものであったが、これを実際に実行すると長い練習時間を必要とする。

なお、桐朋音楽大学への進学は羽田自身が希望したわけではなく、当時(現在も)の習慣どおり師事した師匠の母校へ進学する、という慣例のため。羽田は自伝でその点について記している。

第39回日本音楽コンクールピアノ部門第3位入賞。入賞曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。演奏後に羽田は自分が優勝するかもしれない、と思っていたが3位という結果に落胆したわけではなかった。現在は日本音楽コンクールの価値が当時よりは下がっているが、当時としては瞠目すべき成果であり、日本音楽コンクールで入賞すること自体が一流ピアニストとしての出発点と目されていた。そして羽田もクラシック演奏家として出発すると期待されていた。

しかし羽田は大学生の頃から、ピアノを弾いてバイトすることを既に始めており、クラシック演奏家になることだけが唯一の道である、という考えは持っていなかった。桐朋音楽大学卒業後はクラシック演奏家の道を進まずにスタジオ・ミュージシャンを経て編曲家・作曲家として活躍。本人の意向としては外車に乗り、一戸建ての家を買い、家庭を築きたいという現実的な夢をかなえることに興味があった(本人の著作による)。

スタジオ・ミュージシャンとしては、クラシック出身で指が確実に高いレベルでよく動く人材が当時は乏しかったため、非常に重宝され、朝から晩までスタジオにこもり、次から次へと録音をこなしていった(そしてこなせるだけの高い技術があった)。著書によれば、当時のサラリーマンの月給を一日で稼げるほど売れっ子だった。羽田の回想によれば、金は要らないから休ませて欲しいと思うほど、当時は仕事が次から次へと回ってきた。スタジオ録音全盛期の時代と、羽田の活躍の時期が重なったことは幸運であった。

1978年~1980年頃はシンガーソングライター渡辺真知子のバックバンドのリーダーを務めていたことがある。ちなみに彼女の初期のアルバムでピアノを弾いているのは羽田その人である。

当時収録されたレコードの謳い文句には、羽田はクラシック出身であるがポピュラーにも強い、というプロフィールが書かれており、現在のプロフィール(桐朋音楽大学出身で、クラシックに造詣が非常に深い)とは正反対の売り方をしており、若き日の羽田は現在とは違う営業方針をとっていた。それは上記のスタジオ・ミュージシャンとしての活躍のためだったと推察される。

師匠である有賀和子に対して、このような行動はおそらく不快であろうという羽田の配慮から長年、羽田の側からの有賀への接触を遠慮していたが、有賀は「羽田を破門した覚えはない」という意思を表明し、羽田の一方的な思い込みによる誤解は解けた(羽田は破門されたと思い込んでいた)。

羽田はNHK交響楽団からリヒャルト・シュトラウスのピアノと管弦楽の協奏曲『ブルレスケ』のソリストを依頼されたとき、有賀和子へレッスンを申し込んで師弟関係を戻している。羽田の言葉によれば、楽譜を渡された時点で弾けるだろう、と高をくくっていたが、N響との公式リハーサルの時にまだ暗譜が出来ておらず、楽譜を見ながらリハーサルをしていた、それくらいに切羽詰まったものだった。

30代後半にはN響とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストも務めている。

40代にはいってからは服部克久の『ピアノでポップスを』(NHK教育)をはじめとする音楽バラエティ番組に出演を増やすようになり、スムーズにポピュラー音楽奏者へとシフトしていった。『タモリの音楽は世界だ!』ではかつらを被り、ベートーヴェンの役を演じてピアノを弾いたり、クラシック分野からの出題を担当するなど、クラシックとポップスの橋渡し的役目を果たした。またCDの製作にも意欲的で、『フックト・オン・シリーズ』を手がけ、クラシックを気楽に聴けるように編曲・録音にも力を入れた。

『ニュースステーション』では富士山山頂からの中継や、自然豊かな森林、風情のある寺、夜桜中継など映像と音楽を調和させる演出の中で、情緒あるポピュラーピアノ曲(自作)の演奏を行うようになり、視聴率の高いこの番組で一般人にも知られるところとなった。

この頃から純粋なピアノ演奏以外のトークを交えた仕事も引き受けるようになる。『おもいッきりテレビ』でコメンテーターとしての出演、舞台(ピアニスト役、実際舞台でピアノを弾く)も出演した。この頃の羽田はテレビへの露出を多くし、知名度を上げることでさらに仕事が増えるというパターンをとっており、結果としてコンサートなどの演奏機会を増やすことに成功した。

近年は慢性的な飲酒がたたって体調を崩し、療養と称して『ニュースステーション』を降板した時期があった。『新 ハネケンの音楽は愉快だ』によれば、朝、昼、晩と飲酒を繰り返し、ある朝突然倒れて病院に搬送され、血液透析を1週間繰り返してなんとか一命を取り留めたという。その後は飲酒は一切やめたが、体調不良のため不定期にコンサートのキャンセルなどを余儀なくされている。療養後は色白だった顔がやや色黒に見えている。

音楽家生活35周年コンサートでは、長年の飲酒によって障害を起こした肝臓により、コンサート直前に入院を余儀なくされたが、病室に電子ピアノを持ち込んで練習を重ね(ガーシュウィンのピアノ協奏曲へ調)、コンサート当日に高熱を押して、見事コンサートを最後まで持ちこたえた。

また、以前はピアノ独奏・トリプルピアノ主体の演奏会を開いていたが、近年は指揮者へと傾向を変えている。ピアノ演奏は多少するが、難度の低い曲にとどまっている(雨だれの前奏曲やノクターン第2番など)。英雄ポロネーズなどの難度の高い曲を取り上げるときもある(羽田の自主公演では無い)。最近は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番やラヴェルのピアノ協奏曲など、羽田個人が演奏しておきたい曲(必ずしも有名曲とは限らない)を積極的に企画し、オーケストラと交渉して演奏会を実現させている。

晩年は、ソロコンサートと同時にジョイントコンサート、指揮者としての出演が多く、また長女(声楽家)とのジョイントコンサートも多かった。

プロ野球東京ヤクルトスワローズのファンであり、何度か神宮球場で『東京音頭』を演奏したことがある。


主な作品

アニメ
宝島 (1978年)
宇宙戦士バルディオス (1980年)
ムーの白鯨 (1980年)
恐怖伝説怪奇! フランケンシュタイン (1981年)
夏への扉(1981年)
まんが 水戸黄門 (1981年)
科学救助隊テクノボイジャー (1982年)
スペースコブラ (1982年)
超時空要塞マクロス (1982年) - 日本アニメ大賞音楽賞
BGM、主題歌のみならず、多数の挿入歌やイメージ音楽も。
超時空世紀オーガス (1983年)
宇宙戦艦ヤマト 完結編 (1983年)
後に『交響曲宇宙戦艦ヤマト』としての「作曲」および独奏ピアニストを担当。(『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』とは別物)。
はだしのゲン(1983年)
ゴッドマジンガー (1984年)
大自然の魔獣 バギ (1984年)
名探偵ホームズ (1984年)
超時空要塞マクロス(映画版) (1984年)
書き下ろし多数。ただし、挿入歌とエンディングのみ別
オーディーン 光子帆船スターライト (1985年)
おねがい!サミアどん (1985年)
銀河探査2100年ボーダープラネット (1986年)
続名探偵ホームズ2 ドーバーの白い崖 (1986年)
機甲戦記ドラグナー (1987年)
プロジェクトA子 完結篇 (1989年)
三丁目の夕日 (1990年)
おにいさまへ… (1991年)
ドラえもん のび太の太陽王伝説 (2000年)

ゲーム
ウィザードリィ
幻想水滸伝

テレビ
渡る世間は鬼ばかり(TBS)
キッド(NTV)
西部警察 PART-II(テレビ朝日)
西部警察 PART-III(テレビ朝日)
事件記者チャボ!(NTV)
気分は名探偵(NTV)
瑠璃色ゼネレーション(NTV)
刑事物語'85(NTV)
爆竜戦隊アバレンジャー(テレビ朝日)※羽田健太郎 with Healthy Wings名義
NHK連続テレビ小説青春家族
NHK月曜ドラマ風子のラーメン
ただいま絶好調!
久米宏のTVスクランブル(日本テレビ)番組テーマ曲
砂の器(TBS)ピアノ協奏曲『宿命』(千住明作曲)のピアノ演奏

映画
戦国自衛隊 (1979年12月5日)
薔薇の標的 (1980年4月19日) - 第4回日本アカデミー賞優秀音楽賞
復活の日 (1980年6月26日)
積木くずし (1983年11月03日)
さよならジュピター (1984年03月17日)
F2グランプリ (1984年04月14日)
子象物語 地上に降りた天使 (1986年07月26日)





とてもテレビで見ている感じでは「温厚なイメージ」だったが、「お酒を断てない時期」があったとは・・・「ものを作る人」は繊細な神経をしている。それにしても、若い・・・まだまだ「新しい音楽」を生み出して欲しかった。合掌。
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泣かぬなら殺してしまえホトトギス―悪徳業者を涙の海に沈める方法・・・人気ブログが本に。

2007年06月04日 | 本・雑誌・漫画
泣かぬなら殺してしまえホトトギス―悪徳業者を涙の海に沈める方法

角川SSコミュニケーションズ

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内容(「MARC」データベースより)
オレオレ詐欺も振り込め詐欺も出会い系業者も訪販業者もクレーマーも、みんなまとめて地獄送りじゃ! 1000万アクセス突破のブログから、「悪徳業者と戦う」シリーズ中心の珠玉の傑作選11編+書き下ろし大作を収録。




うちのパソコンにも、一日50件以上の出会い系メールが来る。僕は「エッチ系サイト」を見た事も無いのに、何で僕のメルアドが分かるのだろう。機械か何かで、アトランダムに出して、エラーにならないアドレスには何度も送ってくるのかもしれない。「あなたは当選しました」とか・・・だんだん、文言は「勧誘し、騙そうというモード」になりつつある。そんな世の中、甘い商売していて、生活できまへんで・・・と呟きながら、毎日せっせと、その類のメールを削除している日々。ちょっと虚しい。
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デカい女・・・本の表紙に物凄く惹かれた。

2007年06月04日 | 本・雑誌・漫画
デカい女

幻冬舎

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負け犬すぎて、怪獣女のホンネの話―幸せのカタチはひとつじゃない!…はず

大和出版

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内容(「BOOK」データベースより)
一度読んだら、頭からゼッタイ離れない!OLの歪んだ恋心を歌った曲「ストーカーと呼ばないで」でブログやラジオで人気沸騰!今、いちばん話題な女芸人の初エッセイ。聴いてはいけないCD付。

内容(「MARC」データベースより)
OLの歪んだ恋心を歌った曲「ストーカーと呼ばないで」でブログやラジオで人気沸騰! 30歳過ぎ・独身・子供なしの女芸人が「負け犬の幸せのカタチ」をテーマに、様々な思いを綴る。http://suserin.exblog.jp/

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
オオタ スセリ
東京生まれ。1984年凸凹コンビ「コントペコちゃん」を結成。テレビ朝日「ザ・テレビ演芸」でチャンピオンになるが1988年に解散。その後はピン芸人として活動。2005年、突然思い立って始めた弾き語りで、OLの歪んだ恋心を歌った『ストーカーと呼ばないで』を発表するやいなや、ラジオやブログで大反響を呼ぶ。そしてついに2006年1月シングル『ストーカーと呼ばないで』(ビクターエンタテインメント)でデビュー。同年6月には歌とコントのアルバム『聴いてはいけないオオタスセリの世界』(同)を発売。今や、お局や負け犬などをネタにした歌とコントでひっぱりだこ。176cmの長身から張り上げる歌の内容に、多くの人の共感を得ている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

聴いてはいけないオオタスセリの世界
オオタスセリ
ビクターエンタテインメント

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曲目リスト
1. 朝の風景
2. ストーカーと呼ばないで
3. 箱入り娘
4. 五月病
5. 婚姻届
6. 私のイロハ
7. 応援演説
8. カフェ
9. 富山の薬売り
10. 女達の恋歌
11. 落とし物
12. 負け犬
13. 待ち合わせ
14. 私が通る!
15. 明日のうた
16. ごあいさつ
17. ストーカーと呼ばないで音頭
18. 楽屋落ち

ストーカーと呼ばないで
オオタスセリ, 松尾和博, 菅野浩司
ビクターエンタテインメント

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曲目リスト
1. ストーカーと呼ばないで
2. 友達の話
3. 恋愛相談
4. リストラ


商品の説明

内容(「CDジャーナル」データベースより)
ブログ界で話題沸騰、永六輔や高田文夫もラジオ番組で紹介した、謎のシンガー・ソングライター(お笑いタレントという説あり)によるラブ・ソング。怖くて、でも笑ってしまう究極の愛の形。



こんな「芸人さん」が少なくなってきた。面白い・・・


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キャベツ【夜だけ】ダイエット

2007年06月04日 | 健康・スポーツ
キャベツ【夜だけ】ダイエット

アスコム

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内容紹介
食前にキャベツを食べるだけでみるみるヤセる話題の「キャベツダイエット」。 本書で紹介するのは、日中は仕事をしていて外食が多い人でも、「夜だけ」ダイエットを実践すれば、確実に効果が出る画期的なダイエット法。
著者であり「キャベツダイエット」の考案者でもある医学博士・吉田俊秀氏が、2000人以上もの肥満患者の減量を成功させた経験を生かし、ダイエット成功への「裏ワザ」を余すところなく紹介します。

ヤセてキレイになりたい、という女性はもちろん、メタボリック症候群や糖尿病予備軍、高脂血症などに悩む人たちにも、おすすめのダイエット法です。

急激なダイエットは、身体に負担がかかり、リバウンドのもとになります。
せっかくがんばってやせても、リバウンドを繰り返しては、意味がないどころか、さらにヤセにくい身体になるばかりで悪循環。

「キャベツダイエット」は、食前にキャベツを食べることで、満腹中枢を刺激し、無理なく自然に食欲をコントロールできるので、結果的に「ヤセる」理想的な減量法です。さらに、キャベツの栄養効果で、ヤセた後にも、シワやたるみは一切なく、美肌効果も期待できます。

そして、今回紹介するのは、この話題の「キャベツダイエット」を夜ごはんのときだけ実践するもの。
じつは、5kg、10kgといった減量なら、「夜だけ」でも、十分な効果が得られることが判明したんです!

本書は、「キャベツダイエット」の考案者である吉田俊秀氏が、これまで蓄積したノウハウを余すことなく紹介した、まさにダイエット本の集大成。

33kgもの減量に成功した医師の証言、ダイエット成功者が語る「成功の秘訣」、さらにキャベツに飽きないための「裏ワザ」を65通りも紹介します。

「夜だけ」キャベツダイエットで、理想的な身体を手に入れてください!

著者について
吉田俊秀氏(京都市立病院糖尿病・代謝内科部長/京都府立医科大学臨床教授)
「キャベツダイエット」の考案者。肥満および糖尿病の専門医として25年の実績をもつ。多数の肥満患者や糖尿病患者を改善させ、医学界でも高い評価を受けている。




僕も「朝、寒天を食べたり」、「ジョバ・フィットに15分毎日乗って」、ダイエットに励んでいる。しかし、お酒を飲むと、食欲が増す性質なので、なかなか体重が減らない。

キャベツと言えば、大阪の「二度漬け禁止の串カツ屋」にはカウンターに、どれだけ食べてもいいように、大皿に盛ってあった事を思い出した。長い商売の知恵で、「串カツ」には「キャベツ」・・・で肥満予防という方程式が出来上がったのかもしれない。朝、昼、とダイエットを実行しているので、夜、「キャベツ」を食べて、体が軽くなれば最高。試してみよう。
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紀香&陣内に紅白司会!? 高視聴率でNHKノリノリ

2007年06月04日 | テレビ番組
“格差婚”がかえって共感を呼んだ紀香・陣内の披露宴
 日本テレビ系が5月30日に中継した藤原紀香(35)と陣内智則(33)の披露宴が驚異的な視聴率を記録したことで、早くもあの国民的番組が夫婦に目をつけ始めている。

 披露宴中継は当初、「2003年12月20日の『谷佳知・田村亮子』の平均視聴率17.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を超えるかどうかが、成否の分かれ目」(民放関係者)といわれていたが、この目標を軽くクリアした。

 平均視聴率は、関東地区24.7%、名古屋地区31.0%、関西地区40.0%と高い数字をマーク。関西では、星野監督率いる阪神タイガースが18年ぶりの優勝を決めた試合の32.6%(関西テレビ)や、昨年のNHK紅白歌合戦の37.6%をも上回った。

 とくに陣内がピアノの弾き語りでコブクロの「永遠にともに」を熱唱して、紀香に贈った直後の午後8時56、57分にはピークに達し、瞬間最高視聴率が、関東地区で32.7%、関西地区では49.2%にも。

 この数字に即、反応したのがNHKスタッフ。テレビ誌編集者が明かす。

 「NHKのスタッフと、視聴率がすごかったねと話し合っていたんですが、『大みそかの紅白の司会にどうかな』って。冗談っぽく言ってました。実際検討するんじゃないですか」

 一部では、「お涙ちょうだいの島田紳助のスピーチや、陣内のヘタなピアノに引いてしまった」「寒い演出」(ネットの巨大掲示板)などの声もあったが、大半の視聴者は温かく見守ったようだ。

 NHK紅白歌合戦といえば、ここ10年は視聴率の低迷に悩み続けている。昨年の紅組白組の司会は仲間由紀恵(27)、中居正広(34)と手堅いコンビだったが、相変わらず裏番組の格闘技などに押されっぱなし。放送関係者は、こうささやく。

 「史上初の夫婦司会、となれば話題を呼ぶ。2人ともテレビ番組の司会は経験済み。ありえない話ではない。ただ、ネックは紀香か。K-1とは切っても切れない縁。ここをどう折衝するか。早すぎるようだが、大型番組の企画は半年前からスタートする。もう6月だ」
(ZAKZAKより引用)



「レコード大賞」も「紅白」も今の時代の流れに合っていない番組だと思う。「無理矢理、その年のNo.1の歌手を決める事」「男女が紅白に分かれて、点数を競う事」に僕は意味を見出せない。
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