NATIONAL DIET LIBRARYなのだ。何故ゆえ、「DIET」という単語が使われているのだろう?
国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)は、国会議員の調査研究のための図書館であり、また納本制度に基づき、原則として国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。英語名はNational Diet Library。
立法府である国会に属する国の機関で、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする。同時に納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および国民に対するサービスをも行っている。
施設は東京本館、関西館と多数の支部図書館に分かれており、東京本館は東京都千代田区永田町一丁目、関西館は京都府相楽郡精華町精華台に位置する。
沿革
国立国会図書館は、戦前に、旧憲法下の帝国議会両院に置かれていた衆議院図書館、貴族院図書館と、文部省に付属していた帝国図書館の3館を淵源としている。両院の図書館は1891年の両院図書室設置を起源としており、帝国図書館の前身である書籍館の創立は1872年にまで遡る。
第二次世界大戦後、民主主義的な国会の立法と運営には議員のための調査機関である議会図書館の拡充が必要という要請に従い、国会法第130条に議員の調査研究に資するため国会図書館を置くことがうたわれた。このために国会法と同時に国会図書館法(1947年4月30日公布)が制定され、両院の図書館を合併させた国会図書館の設立が定められたが、国会議員の調査研究に足る充実した国会図書館を設立させるにはその内容は不十分であるとみられた。
そこでアメリカから図書館使節団が招かれ、国会はその意見を取り入れて国立国会図書館法(1948年2月9日公布)を成立させた。同法がアメリカ図書館使節団の強い影響下に誕生したために、国立国会図書館は米国議会図書館 (Library of Congress) をモデルとして、議会図書館であると同時に国立中央図書館の機能を兼ね、国内資料の網羅的収集と整理を目的とした法定納本制度をもつことになった。
法の制定とともに国会図書館の設立準備が進められ、初代館長には憲法学者で日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣だった金森徳次郎が迎えられて、1948年2月25日に国立国会図書館は発足した。続いて初代副館長に美学者で尾道市立図書館長だった中井正一が任命され、1948年6月5日に旧赤坂離宮(現迎賓館)を仮庁舎として正式に開館した。
翌1949年には国立国会図書館法で規定されていた方針に基づき、戦前に出版法に基づいて納本された出版物を所蔵していた上野の国立図書館(1947年に帝国図書館から改名)が統合され、国立国会図書館は名実ともに日本唯一の国立図書館となった。旧帝国図書館の蔵書と施設はそのまま上野に残され、同館は国会図書館の支部図書館である支部上野図書館とされた。
組織の創立に対して建設が遅れていた国会図書館の本館庁舎は、国立国会図書館法と同時に公布された国立国会図書館建築委員会法に基づいて検討が進められ、国会議事堂の北隣にあった旧ドイツ大使館跡地に建設されることになった。永田町の本館(現在の東京本館)は1961年に第一期工事を完了し、両院図書館からの引継書と戦後の収集分からなる赤坂の国会図書館仮本館蔵書約100万冊と、帝国図書館による戦前収集分を基礎とする上野図書館の蔵書約100万冊が移転、ここに別々の歴史をもつ二館の蔵書は一館に合流した。同年11月1日、国立国会図書館本館は蔵書205万冊をもって開館した。
本館の工事は開館後も続けられ、増築の進捗にともなって旧参謀本部跡(現憲政記念館)の三宅坂仮庁舎に置かれていた国会サービス部門も本館内に移転し、赤坂・上野・三宅坂の三地区に分かれていた国会図書館の機能は最終的な統合をみる。本館は開館から7年後の1968年に竣工し、地上6階地下1階の事務棟と17層の書庫棟からなる施設が完成した。
国立国会図書館・東京本館の遠景1970年代には蔵書の順調な増大、閲覧者の増加が進み、本館の施設は早くも手狭になりつつあった。このため本館の北隣に新館が建設されることになり、1986年に開館した。地上4階地下8階で広大な地下部分をすべて書庫にあてた新館の完成により、国会図書館は全館合計で1200万冊の図書を収蔵可能な巨大図書館となったが、これも21世紀初頭に所蔵能力の限界に達することが予測された。
このため1980年代以降、第二国立国会図書館を建設する計画が浮上した。第二の国会図書館は増えつづける蔵書を東京本館と分担して保存するとともに、コンピュータ技術の発達にともなう情報通信の発展に対応する情報発信、非来館型サービスに特化した図書館として関西文化学術研究都市に建設されることになり、国立国会図書館関西館として、2002年に開館した。関西館には科学技術関連資料、アジア言語資料、国内博士論文などが移管され、東京本館とともに国立国会図書館の中央館を構成する一角となった。
また、関西館の開館に前後して、支部上野図書館の施設を改築の上、国際子ども図書館として活用する計画が進められた。国際子ども図書館は国立国会図書館の蔵書のうち児童書(主に18歳未満を対象とする図書館資料)を分担して所蔵する児童書のナショナルセンターとして位置付けられ、2000年に部分開館、2002年に全面開館した。
近年は、電子図書館事業の拡充に力が注がれる一方、2005年の国立国会図書館法における館長の国務大臣待遇規定の削除、2006年の自由民主党行政改革推進本部の国会事務局改革の一環としての独立法人化の提言、2007年の国会関係者以外からは初めてとなる長尾真元京都大学総長の館長任命など、国会図書館の組織のあり方をめぐる動きが相次いでいる。
英語で「the Diet」といえば(デンマーク・スウェーデン・日本などの)国会の意味がある。但し、それぞれの意味は語源が異なるため、英英辞典では別個の単語として扱われている。
ちなみに、「食餌療法」としての diet は、古ギリシア語の「生活様式」を意味する diaita に由来し、「国会」という意味の diet は、ラテン語の「(会議の)日程」を意味する dieta に由来する。この dieta が古ギリシア語の diaita に由来しているという説もあるが、定かではない。
なるほどなるほど。










国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)は、国会議員の調査研究のための図書館であり、また納本制度に基づき、原則として国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。英語名はNational Diet Library。
立法府である国会に属する国の機関で、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする。同時に納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および国民に対するサービスをも行っている。
施設は東京本館、関西館と多数の支部図書館に分かれており、東京本館は東京都千代田区永田町一丁目、関西館は京都府相楽郡精華町精華台に位置する。
沿革
国立国会図書館は、戦前に、旧憲法下の帝国議会両院に置かれていた衆議院図書館、貴族院図書館と、文部省に付属していた帝国図書館の3館を淵源としている。両院の図書館は1891年の両院図書室設置を起源としており、帝国図書館の前身である書籍館の創立は1872年にまで遡る。
第二次世界大戦後、民主主義的な国会の立法と運営には議員のための調査機関である議会図書館の拡充が必要という要請に従い、国会法第130条に議員の調査研究に資するため国会図書館を置くことがうたわれた。このために国会法と同時に国会図書館法(1947年4月30日公布)が制定され、両院の図書館を合併させた国会図書館の設立が定められたが、国会議員の調査研究に足る充実した国会図書館を設立させるにはその内容は不十分であるとみられた。
そこでアメリカから図書館使節団が招かれ、国会はその意見を取り入れて国立国会図書館法(1948年2月9日公布)を成立させた。同法がアメリカ図書館使節団の強い影響下に誕生したために、国立国会図書館は米国議会図書館 (Library of Congress) をモデルとして、議会図書館であると同時に国立中央図書館の機能を兼ね、国内資料の網羅的収集と整理を目的とした法定納本制度をもつことになった。
法の制定とともに国会図書館の設立準備が進められ、初代館長には憲法学者で日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣だった金森徳次郎が迎えられて、1948年2月25日に国立国会図書館は発足した。続いて初代副館長に美学者で尾道市立図書館長だった中井正一が任命され、1948年6月5日に旧赤坂離宮(現迎賓館)を仮庁舎として正式に開館した。
翌1949年には国立国会図書館法で規定されていた方針に基づき、戦前に出版法に基づいて納本された出版物を所蔵していた上野の国立図書館(1947年に帝国図書館から改名)が統合され、国立国会図書館は名実ともに日本唯一の国立図書館となった。旧帝国図書館の蔵書と施設はそのまま上野に残され、同館は国会図書館の支部図書館である支部上野図書館とされた。
組織の創立に対して建設が遅れていた国会図書館の本館庁舎は、国立国会図書館法と同時に公布された国立国会図書館建築委員会法に基づいて検討が進められ、国会議事堂の北隣にあった旧ドイツ大使館跡地に建設されることになった。永田町の本館(現在の東京本館)は1961年に第一期工事を完了し、両院図書館からの引継書と戦後の収集分からなる赤坂の国会図書館仮本館蔵書約100万冊と、帝国図書館による戦前収集分を基礎とする上野図書館の蔵書約100万冊が移転、ここに別々の歴史をもつ二館の蔵書は一館に合流した。同年11月1日、国立国会図書館本館は蔵書205万冊をもって開館した。
本館の工事は開館後も続けられ、増築の進捗にともなって旧参謀本部跡(現憲政記念館)の三宅坂仮庁舎に置かれていた国会サービス部門も本館内に移転し、赤坂・上野・三宅坂の三地区に分かれていた国会図書館の機能は最終的な統合をみる。本館は開館から7年後の1968年に竣工し、地上6階地下1階の事務棟と17層の書庫棟からなる施設が完成した。
国立国会図書館・東京本館の遠景1970年代には蔵書の順調な増大、閲覧者の増加が進み、本館の施設は早くも手狭になりつつあった。このため本館の北隣に新館が建設されることになり、1986年に開館した。地上4階地下8階で広大な地下部分をすべて書庫にあてた新館の完成により、国会図書館は全館合計で1200万冊の図書を収蔵可能な巨大図書館となったが、これも21世紀初頭に所蔵能力の限界に達することが予測された。
このため1980年代以降、第二国立国会図書館を建設する計画が浮上した。第二の国会図書館は増えつづける蔵書を東京本館と分担して保存するとともに、コンピュータ技術の発達にともなう情報通信の発展に対応する情報発信、非来館型サービスに特化した図書館として関西文化学術研究都市に建設されることになり、国立国会図書館関西館として、2002年に開館した。関西館には科学技術関連資料、アジア言語資料、国内博士論文などが移管され、東京本館とともに国立国会図書館の中央館を構成する一角となった。
また、関西館の開館に前後して、支部上野図書館の施設を改築の上、国際子ども図書館として活用する計画が進められた。国際子ども図書館は国立国会図書館の蔵書のうち児童書(主に18歳未満を対象とする図書館資料)を分担して所蔵する児童書のナショナルセンターとして位置付けられ、2000年に部分開館、2002年に全面開館した。
近年は、電子図書館事業の拡充に力が注がれる一方、2005年の国立国会図書館法における館長の国務大臣待遇規定の削除、2006年の自由民主党行政改革推進本部の国会事務局改革の一環としての独立法人化の提言、2007年の国会関係者以外からは初めてとなる長尾真元京都大学総長の館長任命など、国会図書館の組織のあり方をめぐる動きが相次いでいる。
英語で「the Diet」といえば(デンマーク・スウェーデン・日本などの)国会の意味がある。但し、それぞれの意味は語源が異なるため、英英辞典では別個の単語として扱われている。
ちなみに、「食餌療法」としての diet は、古ギリシア語の「生活様式」を意味する diaita に由来し、「国会」という意味の diet は、ラテン語の「(会議の)日程」を意味する dieta に由来する。この dieta が古ギリシア語の diaita に由来しているという説もあるが、定かではない。
なるほどなるほど。










