お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

国語辞書 誰も知らない出生の秘密

2007年06月27日 | 本・雑誌・漫画
国語辞書 誰も知らない出生の秘密

草思社

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例えば、「広辞苑」にどの言葉を載せて・・・という「言葉の選択」。そして、「言葉」の説明。「国語辞書」って、作るのはかなり難しい作業だ。
机の上に「広辞苑」を置いてあるだけで、「勉強家」というイメージを持つのは僕だけだろうか?
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ミステリの名書き出し100選

2007年06月27日 | 本・雑誌・漫画
ミステリの名書き出し100選

早川書房

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内容(「BOOK」データベースより)
コナン・ドイルからT・J・パーカーまで原文付きの名書き出しをエッセーで味わう。



ミステリーを立ち読みしていても、すぐに惹き込まれる文章とそうでないものとがある。翻訳家の技量(海外のミステリーの場合)もあるのだろうが。いい書き出しをまとめた本。シングルモルトのウィスキーをちびりちびり飲みながら、休みの前日の夜に読むと至福の時が訪れる。

内容(「MARC」データベースより)
夜、ウイスキー・グラスを片手に頁をめくる。そこには心奪われる名文句の数々が…。コナン・ドイルからT.J.パーカーまで著名作家100人の書き出し100点を解説した楽しい本。ベッドサイドに置いておきたくなる一冊。
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腐女子彼女。

2007年06月27日 | 本・雑誌・漫画
腐女子彼女。

エンターブレイン

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出版社/著者からの内容紹介
見た目は美人系、実は腐女子(しかもかなりの!!)Y子と、
いたって普通の大学生だった僕の日常。
彼女のオタクな趣味に振り回されながら、
日々戦い、翻弄され、時にラブラブな僕の人生は、
いったいどこに向かっているのか……。
オタク女子と非オタク男子の恋愛ノンフィクション。
話題のブログが待望の書籍化!

内容(「BOOK」データベースより)
このブログは、腐女子な彼女を待つ男の、戦いの記録です。…すいません、嘘つきました。戦えてません。もう一方的です。日々、オタクの世界に突き進んでおります。このブログを読んだせいでこっちの世界に目覚めても、当方は責任を負いかねます。とってもオタトークですので、用法・用量を守って正しくお読み下さい。オタク女子と非オタク男子の恋愛ノンフィクション。

内容(「MARC」データベースより)
2コ年上の彼女は、最近ブーム(?)の腐女子だ。しかもただの腐女子じゃない。オタク度も非常にハイレベルな腐だ…。ブログ界で話題騒然、オタク女子と非オタク男子の恋愛ノンフィクション。

出版社からのコメント
見た目は美人系、実は腐女子(しかもかなりの!!)Y子と、
いたって普通の大学生だった僕の日常。
彼女のオタクな趣味に振り回されながら、
日々戦い、翻弄され、時にラブラブな僕の人生は、
いったいどこに向かっているのか......。
オタク女子と非オタク男子の恋愛ノンフィクション。
話題のブログが待望の書籍化!



「鉄ちゃん」と呼ばれる「鉄道マニア」の女性が増えたり、オタクの女性が出てきたり、「女性→男性」の流れなのか、「ユニセックス(中性的)に男女ともなってきている」という事なのか・・・面白がっていいのか、悲観した方がいのかさえ分からなくなって来ている。

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拝啓 愛しき人へ

2007年06月27日 | 本・雑誌・漫画
拝啓 愛しき人へ

マガジンハウス

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内容紹介
メール全盛の今だからこそ、手紙にしかない良さ、手紙でしか伝わらない気持ちがある。各分野で活躍している旬の人、23名に思い思いの相手にお気に入りのスタイルで書いてもらった。23通の手紙に綴られた、23通りのストーリーには、スターの素顔の人生が垣間見える。
寄稿者:林真理子、秋元康、北川悦吏子、柴門ふみ、町田康、ほしよりこ、中谷美紀、劇団ひとり、YOU、光浦靖子、倉田真由美、黒木メイサ、堀北真希、AKB48、小泉今日子、鈴木おさむ&大島美幸、辛酸なめこ、大塚愛、山口智子、土屋アンナ、小西真奈美、イ・ビョンホン

カバーの折り返し
手紙には、そこに書かれたメッセージ以上の何かが潜んでいる。
文字から伝わる書き手の気持ち、
行間に滲む微妙なニュアンス、
手紙だけが持つ、ミステリアスでエモーショナルな力。
まるで、一編のショートストーリーのような、
23通のスペシャルなラブレター。

抜粋
Sさん、お元気でいらっしゃいますか?
私は先週、五十三歳の誕生日を迎えました。
ダイエット、美容といろいろ頑張ってはいるけれども、
女としての定年はもうそこまで来ているという感じです。
(「遥かな人へ」林真理子より)




やはり、手書き・・・それも僕の大好きな「万年筆」で書かれた手紙を頂くと、ものすごく嬉しくなる。メールは文章の書き方で、相手を傷付けてしまう事もあるので、注意が必要。毎年250枚の年賀状を出している僕。でも、その事が苦にならないし、一枚毎に手書きで書く内容を変えている。文章は手書きで書く事で、書いた人の人柄が想像できる。それも生きている中でのささやかな楽しみなのである。
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超能力番組を10倍楽しむ本

2007年06月27日 | テレビ番組
超能力番組を10倍楽しむ本

楽工社

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超能力番組も相撲中継もプロレス中継と一緒で、一つの「ショー」と考えれば、楽しめるのでは・・・
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支給もれ年金私が「探し方」教えます―あなたも簡単にできる!!

2007年06月27日 | 本・雑誌・漫画
支給もれ年金私が「探し方」教えます―あなたも簡単にできる!!

ビジネス社

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出版社/著者からの内容紹介
高齢者が受給中の厚生年金や基礎年金(国民年金)に支給漏れが
見つかった。件数にして、約5000万件。そのうち60歳以上が
約2880万件にものぼっている。そこで、17年前に金融機関の年金相
談窓口で、支給もれ年金を見つけ出した時の感動から、年金コンサルタントに
なった著者が、支給もれ年金の探し方をお教えします。著者への相談シート付。

著者について
昭和23年生まれ。川口市在住。年金コンサルタント、社会保険
労務士。平成3年、金融機関の業務部企画課係長として入庫。支給もれ年金の
年金相談キャンペーンを企画、年金担当として職員の研修と年金相談を行う。
平成8年、長年の夢だったボランティア活動を行うため、金融機関を退職。独立
して産友社会保険労務士事務所を開設。現さいたま農協と川口市農協の顧問、川
口商工会議所専門相談員を務めながら、埼玉県内の老人クラブを中心に個別の
年金相談にあたり、現在までに2000件以上の支給もれ年金を見つける。



僕は入社以来、転職もしていないので、支給もれ年金は無いと思うのだが、世間がこれだけ大騒ぎになっていると、心配になってくる。
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吉本興業から笑いが消えた…相次ぐ問題に株主がツッコミの嵐

2007年06月27日 | 笑い
 創業家と経営陣の対立が伝えられている吉本興業(大阪市、吉野伊佐男社長)の株主総会が26日、大阪市内で開かれた。お家騒動をはじめ、所属タレントの「黒い交際」疑惑や使途不明金騒動など「笑えない」報道が続いており、会場はピリピリムード。出席した株主からも厳しいツッコミが相次いだ。


 株主総会はこの日午前10時から、大阪市西区の大阪厚生年金会館大ホールで開かれた。朝から100人を超える報道陣が詰めかけ、異様なムードに包まれた。

 総会には昨年の535人を200人以上も上回る758人が出席。吉本の特別顧問を務める落語家、笑福亭仁鶴(70)も株主として姿を見せた。週刊誌上で経営陣を批判してきた故林裕章前会長の妻で創業家の林マサさん(63)は姿を見せなかった。

 出席した株主らによると、吉野伊佐男社長(64)が冒頭、「お騒がせして申し訳ありません」と陳謝。週刊誌報道が発端となった一連の騒動に対し、株主からは厳しい質問が相次いだ。

 吉野社長は「週刊誌の報道には迷惑している」としたものの、所属の漫才師、中田カウス(57)と暴力団のつながりを指摘した報道には「事実でない部分が含まれている」などと歯切れが悪かったという。コンテンツ事業を展開する連結子会社「ファンダンゴ」(東京都)の上場廃止についても「不正な支出はない」としたが、使途不明金騒動には「現在、調査中」「調査結果を7月中に公表する」という受け答えに終始した。

 一連の報道に対して明確に否定するコメントが聞かれず、出席した株主の男性からは「7月に公表するとは言っていたが、報告が(きょう)なかったのは不安。週刊誌の報道が誇張だというのならはっきりそう言ってほしい」。別の男性も「明確な答えがなく、報道とのギャップを感じた」と話していた。

 また同社の株価が下落していることから「役員は賞与を返上すべき」という声や、株主優待についての不満も出た。

 総会は約1時間50分で終了。広報センター長の竹中功氏は「株主様からのご質問は全部受け、丁寧に回答させていただいた」と説明。報道陣からの「カウスさんと暴力団は関係ないんですか?」という質問には「はい」と答えた。

 株主として出席した吉本関係者は「質問は多かったけど荒れなかった。爆弾(発言)もありませんでした」とホッとした様子。総会では、ファンダンゴの橋爪健康会長らを新しい取締役として選任する案など9つの議案はすべて承認された。


★中田カウス登場もあいさつでスベった?

 総会に出席した株主には弁当と、吉本が創刊した漫画誌「コミックヨシモト」(320円)などが配られた。

 総会後には懇親会と“株主総会ライブ”も行われ、漫才コンビの「ブラックマヨネーズ」「おかけんた・ゆうた」「今いくよ・くるよ」、仁鶴、「中田カウス・ボタン」が出演。吉本新喜劇も上演された。

 渦中のカウスは「話題の男、中田カウスです。どこまでいっても『白い』男」とあいさつし、笑わせようとしたが、さすがに時節柄、爆笑とまではいかなかった。


■吉本のお家騒動
 発端は3月26日発売の「週刊現代」の記事。創業者一族で大株主でもある故・林裕章前会長の夫人、マサさんと交流のある山口組系暴力団の元幹部が、役員人事をめぐり、同社の大崎洋副社長を脅迫したと報道した。
 これに対しマサさんは「週刊新潮」に告発手記を寄せ、古参の芸人で当時、同社特別顧問の中田カウスが山口組との関係を背景に、経営に口だしをし、悪影響を及ぼしていると批判。一方のカウスは「週刊現代」で「吉本興業“創業家”と暴力団の癒着こそタブーだ」と題し、マサさんの手記に反論した。
 さらに「週刊新潮」の報道で吉本経営陣による数億円もの使途不明金疑惑も浮上。吉本側は4月9日、一連の騒動を受け、カウスの特別顧問退任と、「重大な名誉棄損」として週刊新潮への法的手段を検討中と発表した。同23日付で第三者による調査委員会を設置した。



■吉本興業株式会社
 昭和23年設立で、本社は大阪市中央区。24年5月に大証に、36年に東証上場。平成14年に日本経団連に加盟した。明石家さんま、ダウンタウンら約700人のタレントを抱える日本最大芸能プロダクション。広告代理業や不動産業も手掛けている。根強いお笑いブームを背景に株式は市場で人気を集め、現在の時価総額は約600億円。26日の東証1部の終値は前日比25円安の1865円。
(サンケイスポーツ紙面より引用)




推測の域を出ないが、多額のお金が動いたのでは・・・ないかと僕は思っている。
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9月武道館で坂井泉水さん追悼ライブ-ファンの声が後押し

2007年06月27日 | 歌・CD
9月武道館で坂井泉水さん追悼ライブ-ファンの声が後押し
 先月27日に急逝したZARDの坂井泉水さん(享年40)を偲び、追悼アルバム3枚の発売と、9月にゆかりのアーティストが出演する追悼ライブが行われることが26日、発表された。坂井さんの訃報からこの日までの1カ月間で、ZARDのCDトータル売り上げ枚数は100万枚を突破するなど社会現象になっている。そんなファンの声に後押しされたかっこうだ。


 この1カ月間、追悼作品を出してほしいという電話やメール、手紙が所属事務所のビーイングに殺到。ファンの熱い要望にこたえるため、音楽葬「坂井さんを偲ぶ会」が開かれた東京・青山葬儀所で追悼盤と追悼ライブが発表された。

 追悼盤は計3枚。1枚目は坂井さんが自ら選曲していたカップリング曲とアルバム収録曲のベスト盤「LOVE&POWER」。発売を発表していたが、坂井さんの急死で再検討されていた作品だ。2枚目は、ZARDの制作スタッフが選曲したベスト盤で、どちらも8月15日に発売される。

 3枚目はファンからリクエストを募る「ZARD BEST~Request MemorialII~」。27日からHP(http://wezard.net)で募集し、今秋に発売。

 スタジオでのレコーディング風景など未公開映像を集めた追悼DVDと、16年間の彼女を追った写真に加えて、直筆歌詞などを掲載した写真集「ARTIST FILE VOL・II」の同日発売も決定した。

 9月7日に大阪フェスティバルホール、同14日に東京・日本武道館で、ゆかりのアーティストが出演する追悼ライブも決まった。坂井さんにとって平成16年に唯一の全国ツアーをスタートさせ、フィナーレを迎えた思い出の場所だ。天国の坂井さんも、きっと喜んでいるに違いない。


◆ZARDの「永遠」が主題歌となった映画「失楽園」の原作者で作家、渡辺淳一氏(73)
 「坂井さんが私の作品のファンだときいた。一度、お会いして対談できればよかったのにと思った」



◆所属事務所の元同僚、T-BOLANのボーカル、森友嵐士(41)
 「デビュー同期だったので、お互い頑張っていこうと話していた。天国でも素敵な歌を歌ってほしい」



◆所属事務所の元同僚、DEENのボーカル、池森秀一(37)
 「まだ実感がない。坂井さんの音楽に多くの人が勇気づけられた」



◆所属事務所の後輩歌手、倉木麻衣(24)
 「本当に信じられない事故から約1カ月。今でも坂井さんの歌声が鮮明になるばかりです。とても残念です…。ZARDのライブを観に行かせていただいたり、私のライブには楽屋まで来て下さって、色々と指導して下さったり、励ましてくれました。心から坂井さんは尊敬できる方でした」



◆B’zの稲葉浩志
  「坂井さんには、まだまだ歌いたい言葉がたくさんあったのだろうになと思うと、ただただ胸が痛みます。ステージで1曲ずつひたむきにまっすぐな声で歌いあげる姿は今も胸に焼きついています。素晴らしい歌声をありがとうございました」



◆B’zの松本孝弘
 「あまりに突然の悲しい知らせに愕然たる思いでした。本当に残念ですが、彼女の美しい歌声と、作品はこれからも多くの人達の心の中で生き続ける事でしょう。坂井さんの様な素晴らしいミュージシャンと共に仕事をさせて戴いた事を光栄に思います。心よりご冥福をお祈り致します」




★偲ぶ会、TOKYO FMで生中継

 TOKYO FMでは27日午後2時から3時間にわたり東京・青山葬儀所から「坂井泉水さんを偲ぶ会」を生中継。全国のファンにその模様を伝え、リクエスト曲を募る。
(サンケイスポーツの紙面より引用)




今日は一般のファンの「音楽葬」の日。お参りした気持ちでいっぱい。

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「ハケンの品格」・・・知り合いの派遣社員の女性は「胃潰瘍」になっても働かされていた。

2007年06月27日 | エッセイ・日記・意見
ハケンの品格 DVD-BOX

バップ

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Amazon.co.jp
丸の内にある食品会社「S&F」のマーケティング部の主任になった賢介は営業部の隅に追いやられた部署を任され落ち込んでいた。その部署に派遣社員がふたりやってきた。ひとりはパソコンもできないのに「できます」と偽ってやってきた美雪。もうひとりは残業、休日出勤いっさいナシきっちり3か月勤務を約束させた春子。愛想もなく態度も大きく正社員に媚びない態度は、最初から反感を買うが、じつは彼女、あらゆる資格を持った“スーパーハケン”。春子は次々に会社のピンチを救っていくのだった…。
どんなに大変な仕事でも勤務時間内に必ず仕上げ、会社の窮地を救っていく派遣社員の大前春子。無表情でクールなたたずまいながら、豪快な仕事っぷりで周囲を圧倒するヒロインは、爽快でかっこいい。篠原涼子も勢いのある芝居で、存在感たっぷりに魅了する。正社員VS派遣社員の実情をベースにしながらも、リアリティよりも大げさに描くことで辛い現実を笑いとばす娯楽ドラマに仕上げたのが大成功。中園ミホの脚本も秀逸だ。春子と敵対する正社員の東海林は一歩間違えば嫌味な男だが、演じる大泉洋のユーモラスなたたずまいが東海林の毒を緩和させて絶妙! 人がよすぎて頼りない主任を演じる小泉孝太郎、お気楽派遣社員を演じる加藤あい、やさしい中にも厳しさも感じさせる部長を演じる松方弘樹など、 キャスティングも適材適所。愉快痛快なお仕事コメディだ。(斎藤 香)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『anego[アネゴ]』の中園ミホ脚本、篠原涼子主演による日本テレビ系の人気ドラマ全10話を収録した4枚組BOX。大手総合食品会社にやって来た、有能だが契約外のことは一切しないスーパー派遣社員・大前春子の活躍を描く。




先日、かつて一緒に仕事をした事がある女性から夜の11時頃、携帯に電話がかかってきた。彼女は今「ハケン」として、ある会社で働いているのだが・・・
仕事が忙し過ぎて、朝5時まで働き、自宅でシャワーを浴びて、朝9時20分には会社に来て仕事をしている様な状態が続いている。ついに、胃が痛み出し、医者に行った所、「胃潰瘍で即入院が必要」と診断された。しかし、派遣されている会社は、そんな彼女に辞めるなら、「仕事の引き継ぎ」をちゃんとやって欲しいと、無茶苦茶な要求を出してきた。どうしたらいいですか?と僕に相談してきたのだ。
僕が言ったのは、「派遣社員」なのだから、「派遣会社」の担当の人に事情を説明し、すぐに辞め、入院すべきだと答えた。「派遣会社」の担当の人も2ヶ月に一回、「派遣先」に来たらいい方で、実情を把握していない。
「派遣会社」の担当者と話す時は、ICレコーダーで録音しますと言いなさいとも言った。それで、相手がその事を断るなら、労働基準局(?)等に話に行きなさいともアドバイスした。「胃に穴が開いている人」に対して、「派遣会社」も「働いている会社」も「人間」と思っていないんじゃないかと、僕自身の中で怒りが沸々とこみ上げてきた。
僕自身はサラリーマンとして、ちゃんと給料を会社から貰っているが、いわゆるワーキング・プアと呼ばれている人が増えているのも実感としてある。「ミートホープ」の解雇された従業員も本当に気の毒だ。こんな社会で良いはずがない。
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ダイハツ・フェローに乗っていた母。

2007年06月27日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
フェロー (Fellow) は、ダイハツ工業の軽自動車である。

歴史

初代(1966年-1970年)
1966年に発売された初代モデルはFR方式でサスペンションに4輪独立懸架を導入。独特プリズムカットと呼ばれる箱形のボディー形状で大人4人がしっかり乗れる軽自動車として人気を博し、当時のダイハツの軽自動車販売シェアを大きく伸ばす事に貢献した。2ドアセダンのみでなく商用の3ドアバン、トラックのボディバリエーションがあった。角型のヘッドライトは日本車で初採用されたものである。

1970年には、北海道・東北等の降雪地帯を除いて100台限定で販売されたバギータイプの「フェローバギィ」も発表された。名前こそフェローと付くが、商用軽自動車であるハイゼットピックアップをベースに、ドアの無いバスタブ型のFRP製ボディーと大型ロールバー、グリルガードを装備し台数限定車にもかかわらず低価格で販売された。


2代目

フェローマックス(1970年-1977年)
1970年4月、2代目のフルモデルチェンジで名称は「フェローマックス (Fellow Max) 」となり、当時の軽自動車としては珍しいFF駆動になる。

型式は『L38』。前モデルより軽量化され、更に当時のパワー競争の煽りで軽自動車最大の40馬力を発生させるまでに至ったが、オイルショックや排気ガス問題で幾度かのマイナーチェンジでエンジンの変更も行われパワーも低下。ファミリーカーとしての需要もリッターカーへ移行して行った時代でもあり、人気は徐々に下火になった。ボディバリエーションは2ドアセダンと3ドアバンでスタートし、後にハードトップと4ドアセダンが追加された。

1970年7月、ツインキャブを発売。グレードはSSとS。

1970年10月、ハイカスタム(シングルキャブ)を発売。

1971年3月、マイナーチェンジ。

1971年8月、ハードトップを発売。グレードはツインキャブのGXLとSL、シングルキャブのGLとTL。GXLとSLには前輪ディスクブレーキを標準装備。

1972年3月、マイナーチェンジ。インストルメントパネル、フロントグリル、フロントフード、等を変更。ハードトップGHL(前輪ディスクブレーキ・レザートップ等を標準装備したシングルキャブの豪華仕様)を追加。

1972年10月、4ドアセダンを発売。グレードはデラックス・カスタム・ハイカスタムの3車種で全てシングルキャブ。同時に排出ガス清浄化が施され、ツインキャブは40psから37psに、シングルキャブは33psから31psに最高出力が低下。

1973年5月、マイナーチェンジ。フロントグリル、フロントフード、フロントフェンダー、等を変更。2ドアセダンのリヤスタイルをカムテールから4ドアセダンと同じ形状に変更。ハードトップのリヤスタイルも大幅に変更。2ドアセダンハイカスタム、2ドアセダンパーソナル、ハードトップGXL、廃止。2ドアセダンスーパーデラックス、4ドアセダンSTD、ハードトップGSL、ハードトップL、を発売。

1973年10月、保安基準改正に伴う安全対策を実施。

1975年2月、マイナーチェンジ。ツインキャブ車を廃止。ナンバープレート大型化に伴う前後バンパーの形状変更、インストルメントパネルを変更、シートバック、を変更、等。

1975年12月、マイナーチェンジ。ブレーキオイル残量警報装置を採用、等。

1976年5月、マイナーチェンジ。ハードトップを廃止。ZM型360cc2ストローク2気筒エンジン車は50年排ガス暫定規制適合。AB型550cc4ストローク2気筒SOHCエンジンを搭載し、51年排ガス規制適合の550発売。550cc搭載モデルはバンパー延長のみで車幅は360ccサイズのままだった。

ダイチャレではレストアされた車両がまれにL2クラスで参加がある。

初期型ハードトップのイメージは後の2代目オプティに似ており、サイドビューはフェローMAXハードトップを4ドア化した印象がある。


マックスクオーレ(1977年-1980年)
1977年7月、「マックスクオーレ (Max Cuore) 」を発売。

フェローマックスのビッグマイナーチェンジ版であり、車幅が広げられた。形式はセダンがC-L40・バンがH-L40Vである。2ドアセダン(STD/DX/カスタム)、4ドアセダン(DX/カスタム/ハイカスタム)、3ドアバン(STD/DX/スーパーDX) エンジンはAB型2気筒4サイクル。547cc、28馬力である。

1979年3月 セダンは53年排出ガス規制適合でE-L40。バンは54年排出ガス規制適合でJ-L40V。

1980年7月 生産終了。 後継車はセダンが「クオーレ (Cuore) 」、バンが「ミラ・クオーレ」である。




うちの母は今でこそ、車の運転をしないが、昭和40年頃から車を運転していた。110キロ位のスピードを平気で出して、僕達をびびらせたものだった。もちろん、当時の車はオートマでは無く、ギアチェンジ。フェローはコラムシフトと言って、ハンドルの横にギアチェンジのレバーが突き出していた。
ある時、実家の岡山へと国道を走っていたら、そのシフトレバーがはずれた。母は慌てて車を路肩に寄せ、JAFを呼んだ。まだ、岡山まで高速道路なんて無い時代の話。

夏の猛暑の日、神戸の鵯越墓地に墓参りに行くと、ちょくちょくオーバーヒートした。そうそう、今の車は「オートチョーク」だが、昔はエンジンをかける時、チョークのボタンを押し引きして、エンジンに送るガソリンの量を調節していたのだ。「チョーク」という言葉も今では「死語」だが。懐かしい思い出である。

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佐々木 信也は・・・どこへ行った?

2007年06月27日 | テレビ番組
佐々木 信也(ささき しんや、1933年10月12日 - )は、プロ野球選手、野球解説者、スポーツキャスター。

来歴・人物
1949年、湘南高校で夏の全国高等学校野球選手権大会に一年生ながら出場し優勝。監督は彼の父親であった。慶應義塾大学では後に読売ジャイアンツ監督となる藤田元司と同期で、二塁手としてレギュラー、4年次には主将をつとめた。特に早慶戦では大活躍し、「慶早戦男」と呼ばれた。

1956年に高橋ユニオンズに入団。同年、新人ながら154試合に出場した。これはシーズン試合出場の日本タイ記録である(他は同年の飯田徳治、杉山光平によるもの)。さらに全イニング二塁手として守備し、622打数(日本記録2位)でリーグ最多の180安打(同23位)を放った。併せてこの年、141単打を放っており、この3つの記録は現在も新人記録として残っている。新人王の有力候補であったが、稲尾和久投手(西鉄ライオンズ)に敗れ受賞を逸した。

その後合併・吸収先の大映ユニオンズ、大毎オリオンズにスライド移籍したが、外様選手ということもあってか出場機会が減少、1959年で現役を引退。解説者となる(27歳での野球解説者就任は、現在に至るまでも史上最年少記録であると思われる)当初は日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)、のち日本テレビと専属契約を結び、出演した。

1976年から1988年まで、フジテレビ「プロ野球ニュース」(1987年度は「FNNニュース工場『プロ野球ニュース』」→「FNN DATE LINE『プロ野球ニュース』」)初代総合キャスター。スポーツ選手経験者が司会を務める先駆的番組として注目を集めた。番組では「元野球選手が解説をする」スタンスではなく、あくまで「司会者」に徹した。解りやすく聴きやすい語り口、ソフトなイメージと時折見せる鋭い指摘、湘南高→慶応大卒に恥じないインテリジェンスで、人気を博した。

降板後は同番組(「ニュース最終版『スポーツワイド・プロ野球ニュース』」)のスーパーバイザー、テレビ東京のインタビュー番組「佐々木信也のスポーツメイト」のホストを務めた他、2001年4月から、CS放送のフジテレビ739でスタートした新生「プロ野球ニュース」のキャスターを務める。また、2005年4月・5月にはNHK人間講座をリニューアルさせた知るを楽しむ月曜日・この人この世界で「個性がプロ野球を救う」と題した講義を担当した。プロ野球ニュース担当期間中の1979年ごろには海外の動物をテーマにしたドキュメント映画の日本語版「信也の動物バンザイ」(テレビ東京=東京12ch)でもナレーターを務めていた。

1980年、いしいひさいち原作のアニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」シリーズの2本(激闘ペナントレース・あゝつっぱり人生)に、スポーツキャスターの「ササキさん」役で声の出演をした。

貴乃花・若乃花兄弟の生誕に関して講演で「貴乃花は輪島の子供」等の風説の流布を行い、実母の藤田憲子や実父の貴ノ花を深く傷つけさせ後に謝罪したという。凛として、によれば憲子はDNA鑑定も検討したほどであったという。

1981年、ドリフ大爆笑のコントに1回出演した。




今、テレビに一番出ているのは「みのもんた」。だけど、「みのもんた」はかつてフジテレビ「プロ野球ニュース」の土・日担当で、平日は佐々木信也だった。佐々木さんは今どうしているのだろう?
コメント (3)
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