フェロー (Fellow) は、ダイハツ工業の軽自動車である。
歴史
初代(1966年-1970年)
1966年に発売された初代モデルはFR方式でサスペンションに4輪独立懸架を導入。独特プリズムカットと呼ばれる箱形のボディー形状で大人4人がしっかり乗れる軽自動車として人気を博し、当時のダイハツの軽自動車販売シェアを大きく伸ばす事に貢献した。2ドアセダンのみでなく商用の3ドアバン、トラックのボディバリエーションがあった。角型のヘッドライトは日本車で初採用されたものである。
1970年には、北海道・東北等の降雪地帯を除いて100台限定で販売されたバギータイプの「フェローバギィ」も発表された。名前こそフェローと付くが、商用軽自動車であるハイゼットピックアップをベースに、ドアの無いバスタブ型のFRP製ボディーと大型ロールバー、グリルガードを装備し台数限定車にもかかわらず低価格で販売された。
2代目
フェローマックス(1970年-1977年)
1970年4月、2代目のフルモデルチェンジで名称は「フェローマックス (Fellow Max) 」となり、当時の軽自動車としては珍しいFF駆動になる。
型式は『L38』。前モデルより軽量化され、更に当時のパワー競争の煽りで軽自動車最大の40馬力を発生させるまでに至ったが、オイルショックや排気ガス問題で幾度かのマイナーチェンジでエンジンの変更も行われパワーも低下。ファミリーカーとしての需要もリッターカーへ移行して行った時代でもあり、人気は徐々に下火になった。ボディバリエーションは2ドアセダンと3ドアバンでスタートし、後にハードトップと4ドアセダンが追加された。
1970年7月、ツインキャブを発売。グレードはSSとS。
1970年10月、ハイカスタム(シングルキャブ)を発売。
1971年3月、マイナーチェンジ。
1971年8月、ハードトップを発売。グレードはツインキャブのGXLとSL、シングルキャブのGLとTL。GXLとSLには前輪ディスクブレーキを標準装備。
1972年3月、マイナーチェンジ。インストルメントパネル、フロントグリル、フロントフード、等を変更。ハードトップGHL(前輪ディスクブレーキ・レザートップ等を標準装備したシングルキャブの豪華仕様)を追加。
1972年10月、4ドアセダンを発売。グレードはデラックス・カスタム・ハイカスタムの3車種で全てシングルキャブ。同時に排出ガス清浄化が施され、ツインキャブは40psから37psに、シングルキャブは33psから31psに最高出力が低下。
1973年5月、マイナーチェンジ。フロントグリル、フロントフード、フロントフェンダー、等を変更。2ドアセダンのリヤスタイルをカムテールから4ドアセダンと同じ形状に変更。ハードトップのリヤスタイルも大幅に変更。2ドアセダンハイカスタム、2ドアセダンパーソナル、ハードトップGXL、廃止。2ドアセダンスーパーデラックス、4ドアセダンSTD、ハードトップGSL、ハードトップL、を発売。
1973年10月、保安基準改正に伴う安全対策を実施。
1975年2月、マイナーチェンジ。ツインキャブ車を廃止。ナンバープレート大型化に伴う前後バンパーの形状変更、インストルメントパネルを変更、シートバック、を変更、等。
1975年12月、マイナーチェンジ。ブレーキオイル残量警報装置を採用、等。
1976年5月、マイナーチェンジ。ハードトップを廃止。ZM型360cc2ストローク2気筒エンジン車は50年排ガス暫定規制適合。AB型550cc4ストローク2気筒SOHCエンジンを搭載し、51年排ガス規制適合の550発売。550cc搭載モデルはバンパー延長のみで車幅は360ccサイズのままだった。
ダイチャレではレストアされた車両がまれにL2クラスで参加がある。
初期型ハードトップのイメージは後の2代目オプティに似ており、サイドビューはフェローMAXハードトップを4ドア化した印象がある。
マックスクオーレ(1977年-1980年)
1977年7月、「マックスクオーレ (Max Cuore) 」を発売。
フェローマックスのビッグマイナーチェンジ版であり、車幅が広げられた。形式はセダンがC-L40・バンがH-L40Vである。2ドアセダン(STD/DX/カスタム)、4ドアセダン(DX/カスタム/ハイカスタム)、3ドアバン(STD/DX/スーパーDX) エンジンはAB型2気筒4サイクル。547cc、28馬力である。
1979年3月 セダンは53年排出ガス規制適合でE-L40。バンは54年排出ガス規制適合でJ-L40V。
1980年7月 生産終了。 後継車はセダンが「クオーレ (Cuore) 」、バンが「ミラ・クオーレ」である。
うちの母は今でこそ、車の運転をしないが、昭和40年頃から車を運転していた。110キロ位のスピードを平気で出して、僕達をびびらせたものだった。もちろん、当時の車はオートマでは無く、ギアチェンジ。フェローはコラムシフトと言って、ハンドルの横にギアチェンジのレバーが突き出していた。
ある時、実家の岡山へと国道を走っていたら、そのシフトレバーがはずれた。母は慌てて車を路肩に寄せ、JAFを呼んだ。まだ、岡山まで高速道路なんて無い時代の話。
夏の猛暑の日、神戸の鵯越墓地に墓参りに行くと、ちょくちょくオーバーヒートした。そうそう、今の車は「オートチョーク」だが、昔はエンジンをかける時、チョークのボタンを押し引きして、エンジンに送るガソリンの量を調節していたのだ。「チョーク」という言葉も今では「死語」だが。懐かしい思い出である。











